【思ひ染む 逆さ芙蓉の 鬼子母神】6
簡単あらすじ
・裏芙蓉の樹海で鬼道柚蔵と交戦する猿神と江都。毒に倒れる江都を庇い、柚蔵へ銃を向ける猿神を禍蟲たちが襲う。
・柚蔵の口から語られた残酷な事実も、それによって傷つく仲間のことも猿神にはどうでもよかった。ただ、この男は気に入らない。だから殺す。猿神の中に、久しく人間を想う感情が生まれ始めていた。
猿神はリボルバー型霊銃のシリンダーをくるくると回した。妖力と霊力を編み上げた弾が次々に装填されていく。
再度の発砲を警戒して、柚蔵が距離を取ろうとする。
その時──。
「動くな」
赤い瞳が光った。次の瞬間、金縛りに掛かった柚蔵のふとももを、猿神の霊銃が撃ち抜く。
「ぐ、お……おおおッ!」
苦しげな悲鳴を上げて、柚蔵が足を抱えるように横たわった。
「お前、本当に鬼道家当主? 柊や弟のチビのほうがよっぽど強かったよ」
あまりにも弱すぎる、と猿神は思った。
あれほど大口を叩いておいて、この男はまともに防御すらできない。
傷ついた肉に蟲の糸が群がる様を見ながら、猿神は目を細めた。
「虫に頼らなきゃ何もできないの?」
柚蔵の額に銃口が押し当てられる。
それは挑発ではなく、強者が弱者をいたぶるための前戯でもない。
ただ、言葉にできない腹立たしさがあった。
「もしかしてお前、鬼道家の中でも落ちこぼれなんじゃない?」
こんな奴に辱められ、傷つけられた少女たちのことを考えると胸糞悪くなる。
誰も彼を裁けないのなら、人ならざる自分が裁こう。これまで散々人間を殺してきた自分がいくら殺そうが、何も変わらない。
かつての神性からは、遠ざかるけれど。
(ボクが、やってやるんだよ)
脳裏でチカチカと点滅する赤に、猿神は目を細めた。
かつて自分に愛を教えてくれた少女の面影ごと、全てが赤に塗りつぶされていく。
それも、全て人間のせいだ。
「どこを……見ている」
しゃがれた男の声がした。
その言葉に、ハッとして振り返ると、巨大な蛇が江都の体を捕らえているのが見える。
柚蔵は、その傍にいた。
では、自分が銃口を向けている相手は──?
猿神の視線の先には、彼の腕に絡みついた太い蛇。その蛇が手の甲に牙を立てていた。江都を噛んだものと同一種のようだが、色が違う。
斑点が暗く不明瞭だが、その黄色味を帯びた顎の色は毒蛇ヤマカガシによく似ていた。
「その蛇には特別な毒を2種類仕込んでいる……ひとつは、強い神性に反応すること」
頼んでもいないのに、柚蔵は饒舌に説明する。神性なんてとっくにないと思っていた体に鈍い頭痛が走り、猿神の思考力を鈍らせた。指先が痺れ、手から銃が滑り落ちそうになるのを何とか握り込む。
「ボクの武器は、銃だけじゃないんだよ」
再び赤い瞳が輝き、神通力を発動させようとするが──不発だった。
柚蔵は勝ち誇ったように鼻を鳴らして嗤っている。
「そして、もうひとつの毒は神経に作用する。これは医療用にも使われる物で──貴様の力を封じるにはこれ以上の毒はない」
先程から銃を握っているはずの手の感覚が、どんどん無くなってくる。これが毒の影響か、と猿神は舌打ちをして柚蔵を睨みつけた。
「この女を殺されたくなければ、どうすればいいか分かるな?」
オッドアイは楽しそうに猿神の次の行動を待っている。
彼の思い通りになるのは嫌だった。だから猿神は、自分の意志で銃を足元に放り投げる。
「物わかりのいい猿だ」
それはペットを褒めるような、不快な声色。
卑怯な奴、と口から悪態が出そうになったが、それはかつての自分に返ってくるだけなのでやめておいた。
猿神が黙ったのを見て気をよくしたのか、柚蔵は再び饒舌に語り始める。
「この樹海を育てたのは俺の禍蟲だ。この女から作り方を学び、俺が育て、俺が食った。どこに何が生息しているか、手に取るようにわかる。例えば──」
柚蔵の視線が、猿神の足元に向けられた。
ああ、見なくてもわかる。何かが土を這っている音だ。それは、じわじわと猿神の足元に近づいている。
「それは日本には生息していない毒蠍だ。一刺しで死に至る猛毒を持つ」
靴に這い上がろうとしてくる蠍を、振り払おうとする猿神だったが、膝から下が不自然に痙攣して動かない。
思いのほか、毒の回りが早いようだ。
「は。いい加減に……しとけよ。小物のくせに」
猿神の体がよろめく。
それを見て、柚蔵は狂ったように笑った。
江都の体を拘束する蛇の力が増す。みしみしと、骨の軋む音が聞こえた。
「そのまま頭を下げて命乞いをしろ。頭を下げて詫びれば──この女の命は助けてやる」
蛇が腕から移動し、猿神の首にゆるく巻きついてくる。断れば、今度はその毒牙が首に突き立てられるのだろう。首周りの感覚が無くなったら、おそらく呼吸ができなくなる。
幸い、命乞いなら猿神の得意分野だ。どんなに無様な真似でも出来るし、やれと言われれば靴でも舐められるだろう。
(……それは、まだ言われたことないけど)
けれど、この男に命乞いをすることだけは、死んでも嫌だ。
「はぁ……」
猿神は冷めた目で柚蔵を見つめていたが、やがて力の入らない膝を折って地面に両手をついた。目と鼻の先に、先程猿神が投げ捨てた銃がある。柚蔵に気づかれずに拾い上げて、寸分狂わず即座に撃ち殺せるだろうか。今はあまり自信がない。
そんなことを考えている猿神を制したのは、江都だった。
「いら……ない。そんなの……しなくて、いい……」
江都は朦朧とした様子で口を開いた。毒が回って息をするのも苦しいはずだが、彼女の眼差しは今もなお力強い。
「私、は……恨み屋、よ。元より……楽に死ねると、思って……ない……」
江都は苦しげに喘ぎながら笑った。
かひゅっと空気の漏れる音が聞こえる。
「やっちまい、な……この、変態クソ野郎を……!」
恨みのこもった慟哭と共に、毒蛇が江都の体を勢いよく締め上げた。パキパキと嫌な音が前方から聞こえ、江都が嗚咽する。
吐瀉物か血の混ざったものが、地面にびちゃびちゃと音を立てて零れる音が聞こえた瞬間──猿神の体は無意識に動いていた。
「ッくそ!!」
地面に倒れ込み、すくい上げるように拾った銃が震えて手から滑り落ちそうになる。
両腕を猿の手に変えることで辛うじて安定性を保ったそれを、毒蛇に向けて放った。
「ち……」
その弾丸は、大きく外れて木の幹をぶち抜く。
「馬鹿が! 落ちこぼれは貴様だッ! 神にもなれなかった畜生が!!」
柚蔵の笑い声と共に、蠍と蛇が襲いかかる。体勢を立て直している暇はない。微かに残った力で、神通力を成功させようとしたその時──猿神の眼前で、ヒラリと赤い葉が舞った。
それは弾けるように燃え上がり、猿神に毒を突き立てようとした追跡者を燃やす。
ひらりはらりと、不規則に舞い散る炎で出来た葉。その葉の名前を、彼は知っていた。
「な──何だッ!?」
気づいていないのは柚蔵だけだ。
黒玉の髪を靡かせて、目の前にふわりと降り立ったその少年は、赤い瞳をした陰陽師。
その立ち姿は、彼がかつて戦った最強の陰陽師のようで、全く別物。
最強の息子であり、最弱の陰陽師。
炎に包まれたカエデの葉が彼の周囲を舞う様は、まるで蛍のように美しくて儚い。
灰に変わったそれを軽く握りしめた少年は、切れ長の赤い瞳で柚蔵を見据えた──。




