【思ひ染む 逆さ芙蓉の 鬼子母神】5★
簡単あらすじ
狐輪教に誘拐されたハクとキイチを救い、それぞれの戦いに決着をつけるために到着したのは天地が逆さになった裏芙蓉の樹海。仲間と散り散りになった猿神と江都は注意深く樹海を進むが、そこに狐輪教の協力者である鬼道柚蔵が現れる。毒蛇の牙にかかり、江都の命が削られていく中、猿神は迷うことなく柚蔵に銃を向けるのだった。
くるくるとシリンダーが回転し、その0.3秒後、霊銃に全ての弾が装填される。そこから引き金を引くまで、寸分の迷いもない。
「死ね!」
銃声が響くよりも早く、柚蔵はすかさず蟲の壁を作って身を守ろうとした。
しかし──。
「ぐふッ!?」
銃弾は壁を貫き、柚蔵の胸と足を撃ち抜く。あまりの痛みと衝撃で、柚蔵の目はこぼれ落ちそうなほど大きく見開かれていた。
「もう一発、いく?」
猿神は、手持ち無沙汰にシリンダーを指で回しながら、冷ややかに告げる。
柚蔵は負傷し、もう満足に動くことさえできない。人間に踏み潰された絶命寸前の虫のように、その場に情けなく血の跡を流して這いずるだけの存在。
慈悲や迷いなど欠片もなく、猿神は再度銃を構えた。
「日吉ッ──後ろッ……!」
その瞬間、息も絶え絶えに声を絞り出したのは、毒に侵された仙北屋江都だ。
鬼気迫る警告の声に、すぐさま体勢を変えようとする猿神だったが、突如土中から飛び出してきた巨大な芋虫が、数匹掛かりで四肢に巻きつき、自由がきかなくなる。
それは、しめ縄のように捻れながら華奢な少女の体を絞め上げてきた。
「……マジ、キモい」
それでも、ひしめき合う芋虫の肉の間から、覗く赤い瞳は冷ややかだ。
ぬるついたピンク色の芋虫たちは、ギチギチと音を立てて少女の体を覆い、圧死させようとしてくる。
「ふ、ふふ……仕舞いか? 小娘」
傷口に手を当てながら這いつくばっていた柚蔵が嗤う。
「バーカ」
くぐもった声と共に、ミチミチと芋虫の体が膨れ上がる。
次の瞬間、それは大きな破裂音と共に体液を撒き散らした。芋虫に絞め上げられていたその華奢な体は、華奢な少女からすらりとした少年のものへと変わっている。
「この牛尾日吉様を舐めんなよ」
ぺっ、と口から体液を吐き出した猿神が柚蔵を睨みつける。柚蔵が押さえた傷口には、じゅるじゅると音を立てて糸のような蟲たちが発生していた。
「……なるほど、面白い力だ。だが──」
しばし、互いの出方を見るように沈黙した後、柚蔵がニヤリと笑う。
土中の地鳴りを敏感に察知して、しっぽの毛が逆立つ。猿神は、即座に次の攻撃を警戒して霊銃を構えた。
「チィッ」
まるで土が煮立ったようにボゴッ、ボゴッと音を立てて地面が波打つせいで、上手く狙いが定まらない。
猿神は柚蔵を狙うのは止めて、足元目掛けて発砲した。装填した銃弾を目一杯、土中に向けて惜しみなく放つ。これだけ撃てば、1発はどこかに当たるだろう。
「ぐッ!」
次の瞬間、足元の土が飛び散り、そこから巨大な百足が飛び出す。どうやら地鳴りの正体はこの百足らしい。
指がシリンダーを高速回転し、もう一度弾を装填する。即座に百足目掛けて銃を構えた瞬間──土中から足を引っ張られた。百足はもう一匹いたのだ。
「はあ!?」
照準が大きくずらされ、乾いた音と共に弾は空へ発射される。
それを最後に、猿神の体は一気に土中へと引きずり込まれた。
「くく……はははッ! 他愛ないッ!」
柚蔵は笑いながら傷口から手を離した。銃撃を浴びたはずの傷は綺麗に塞がっている。
不気味なほど静まり返った樹海の中で、苦しげな江都の呼吸だけが空気を揺らしていた。
「さて──江都。最後に言い残したことがあれば聞いてやる。昔のよしみだからな」
高圧的な柚蔵の物言いにも、江都は怯む様子を見せずに鼻を鳴らす。
「へえ……覚えてんだ? 私の体に、一生消えない傷を残したことも?」
強い霊力を持った心臓を虫に食わせ、呪いを媒介にした器を作る禁術。仙北屋の人間は、先祖の禍蟲を食べてその力を繋いできた。
江都はその技術を柚蔵に提供し、見返りとして莫大な金を得ている。その金額には、ほんの少しの慰謝料も含まれていたのかもしれない。
「あんたのせいで……私はもう子供が望めない。だか、ら……杏珠だけは、私が……守る」
禍蟲の神経毒が回り、もはや立ち上がることすらできない江都を、柚蔵が見下ろしている。
「あの娘を自分の子供にしたいと?」
何がおかしいのか、笑いながら問いかけてくる柚蔵を、江都は黙って睨みつける。
「さぞ……気分が良いでしょうね。私のくれてやった技術で……禍蟲を支配してる気になってる……。あんた自身には、何の力もないくせに……」
それまで笑みを浮かべていた柚蔵の表情が、目に見えて歪んだ。
力任せに江都を蹴りあげようとしたその足先が、土中からの銃撃で勢いよく吹き飛ぶ。
「ぐあ、あああ〜ッ!!」
つま先を吹き飛ばされて、柚蔵が絶叫しながら足を抱えた。ひぃひぃと悲鳴を上げながら震える手でつま先に触れ、蟲で癒している。
『Faul und zerfalle──腐って崩れちまえ』
その言葉と共に、地面が崩れて溶けていく。泥まみれの体を払いながら、猿神がその姿を現した。
猿神の肩には、先程まではいなかった折り紙の雀が止まっている。
雀の声は、柚蔵にとって当然聞き覚えがあるはずだ。
もちろん、猿神にとっても。
京都を発つ時に、紅葉から折り紙を持たされた時は絶対に破り捨ててやろうと思っていたが、色んなことがありすぎて存在を忘れていた。
紅葉の術式が宿った遠隔操作の折り紙が、今頃になって発動したのだ。
「ボクひとりで良かったのに」
『は? 俺のおかげで助かったんだろ、猿野郎』
そんな軽口を言い合う余裕も生まれていた。
さらに猿神が毒づこうとしたその時、顔中に脂汗をかいた柚蔵が嗤う。
「──半年だ」
柚蔵は、地の底から響くような低い声で言った。
「杏珠が俺の子を産むまで、あと半年。それでも貴様たちは、あの穢れた娘が欲しいのか?」
しん、と樹海が静まり返る。その言葉の意味を考えて、江都が地面に爪を立てた。
『どういう、意味だよ』
震えた声で、折り紙の雀──藤之助が聞き返す。藤之助だけが、柚蔵の言った言葉を理解できていない。
「そのままの、意味だ。傍にいるんだろう? 聞いてみたらどうだ──俺の子を、妊娠した感想をな」
猿神は、この感覚を知っている。
折り紙は不安定に空中で上下していた。
『ゆ……柚蔵ぁあッ!!』
藤之助が狂ったように叫ぶ。
彼と似た部分がある猿神には、よく分かった。
藤之助は、理性を失っている。
大切なものを傷つけられて、我を忘れるほど怒り狂うとロクなことがない。大抵、自分が痛い目を見て自滅する。
この子供はまだ、その失敗を経験したことがないのだ。
『死ねよッ!! ぶっ殺してやるッ! 惨めに死んでッ、杏珠に詫びろぉおおッ!!!』
折り紙との繋がりが不安定になっているのか、藤之助の声にノイズが走る。
怒りで我を忘れ、自分でも何を叫んでいるのか分からない様子の折り紙が、呪いの言葉を吐こうとした瞬間。
「死ん──」
ぐしゃり。
紙くずを握りつぶしたのは、皮膚が異様に盛り上がり、血管が浮き立った獣の腕。
折り紙を握りつぶした手からは黒煙が上がっている。パソコンで例えるなら、シャットダウンもせずに電源ケーブルを無理やり引き抜いたようなもの。
恐らく藤之助も無事ではないだろうが、そこはおあいこだ。
「やめときなよ。それ以上やると……お前、ボクと同じになる」
折り紙は完全に沈黙した。どうやら、折り紙と藤之助の繋がりは切れたようだ。
猿神はため息をついて手のひらを軽く舐める。褐色の肌を覆った白い体毛が頬をくすぐって、たまらなく不快だった。
(子供の癇癪なんて、どーでもいい)
興味無さげに泳いだ赤い瞳が、柚蔵をとらえる。
鬼道家同士のイザコザなど、猿神には関係ない。いっそ勝手に自滅してくれたらいいのにとぼんやり思う。
それなのに──。
「代わりにボクが……あのクソッタレの心臓を噛みちぎってやるからさ」
今は、この胸にこみあげる不快感を、あの薄汚れた男にぶつけなければ気が済まない。




