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最弱陰陽師は、自分にかけた呪いとまだ向き合えていない  作者: ふみよ
4部(思ひ染む 逆さ芙蓉の 鬼子母神編)

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【思ひ染む 逆さ芙蓉の 鬼子母神】2

簡単あらすじ

・京都へ到着した日、鬼道紅葉に叩きのめされた猿神は、屈辱感で楓の前から姿を消してしまう。

・腹を空かせて山をさまよう中、奇妙な行列を見つける。行列の先には結界があり、そこでは多くの信徒たちが猿神を快く迎え入れるが、不意をつかれて棺に閉じ込められてしまう。仙北屋江都によって胸に釘を打ち込まれ、自由を奪われた猿神は……。

 棺の中で意識を失って、どれくらいの時間が過ぎたのだろう。体毛が擦れて、かゆい上に息苦しい。

 胸に釘を打ち込まれた瞬間、妖力がコントロールできなくなった少女の体は異常なほど体毛が伸び、中途半端に獣化した姿となっている。

 絶対に、この醜い姿で外に出たくない。

 そんなことを考える彼女の気持ちなど知らず、棺の外では不快な談笑が不気味にこだましていた。


「あの白い猿ですがねぇ、剥製にしてホールに飾りませんか? きっと迫力がありますよぉ」


 耳障りな、下卑た男の声が聞こえる。会話の相手は、どうやら子供。確か、狐輪教(こりんきょう)狐白(こはく)と呼ばれていた。

 食事に夢中ですっかり忘れていたが、御花畑(おはなばたけ)親子が追っていたとされる宗教の名前が狐輪教ではなかったか。


(完全に忘れてたヨ……)


 猿神(さるがみ)はため息をつきながら、棺の外の声に聞き耳を立てる。


「残念ですが……葛西(かさい)先生、白猿様はお母様への供物にしたいのです」

「最悪毛皮だけ残っていれば作らせますけど、如何です? 1000万くらいで」


 猿神は、怒りでどうにかなりそうになるのを、必死に唇を噛んでこらえた。胸に刺さったものに触れようとするが、引き抜こうとすると全身から力が抜けてしまい、再び意識を失いそうになる。どうやら、自力でこの呪具から逃れることはできないらしい。


(あの女、絶対殺してやる……)


 自分に釘を打ち付けた女のことを思い出して、ふつふつと殺意を募らせる。そうでもしないと、暗所に閉じ込められている恐怖で気が変になりそうだ。

 募る殺意で、棺の中の温度はますます上がり、次第に頭がクラクラしてきた頃──葛西はようやく部屋からいなくなったようだ。

 室内にいるのは、おそらくひとり……狐白の気配だろう。


「冷房の設定を下げました。後で換気もさせますよ」


 狐白の手が、ゆっくりと棺の蓋を撫でる音。猿神は低い唸り声を上げて、せめてもの殺意を剥き出しにする。

 くす、と狐白が笑う気配がした。


()()()()たちの祖とも言うべき白猿様を、このような狭い場所に閉じ込めておくのは胸が痛みます。ですが、どうか怒りを鎮めてくださいませ」


 狐白は、猿神をなだめるように優しい声で言う。


「共に、お母様の供物となりましょう」


 その狂気じみた囁きに、背筋がぞくっとした。

 このまま力が戻らなければ、訳の分からない儀式に利用されて殺されてしまう。それだけは絶対に嫌だった。


(やだ、やだ……死にたくないッ!)


 パニックになったように、猿神は足をばたつかせながら唸り声を上げる。恥もプライドも捨てて、いつものように命乞いをしたいのに、舌が上手く回らない。


「た……助け、て……」


 恐怖で震える舌を必死に動かし、何とかして助けを求めようとする猿神の声に被るように、着信音が響いた。

 狐白は、棺の傍で電話に応じる。


「もしもし」

『──儀式は順調か?』


 聞きなれない低音が、猿神の耳にも聞こえた。電話の相手は、先程の葛西という人物よりも、ずいぶん年配の男らしい。


「滞りなく進んでいます、柚蔵(ゆぐら)様」


 狐白の声が棺から離れる。床を歩く足音が、棺の周りをゆっくりと動いた。


「あなた様の協力が無くては、狐輪教がここまで大きな組織となることはできませんでした。本当にありがとうございます」


 猿神のことなどそっちのけで、狐白は電話の男との会話に興じている。しかしその温度感は、あまり親密な関係とは言い難い。


『俺と貴様は、互いの目的のために利用し合っているだけに過ぎん』


 低い声が冷たく応えた。狐白は小さく笑って『そうでしょうか』と返事をする。

 そして、棺の中の猿神に聞かせるかのように言い放った。


「私は嬉しいです。鬼道(きどう)家の次期当主である柚蔵様にご助力いただけたことが……」


 鬼道という言葉に、猿神の体はビクッと痙攣する。

 電話の相手は鬼道家の人間だった。それも、柊や紅葉よりも年上。遠縁か兄弟か──どちらにしても、陰陽師であることは間違いない。


(何で、鬼道家の陰陽師と狐輪教が手を組んでんの?)


 状況が分からないまま、猿神はしばらく聞き耳を立てていたが、狐白は男と会話をしながらゆっくりとその場から離れていく。

 ほどなくして、人の気配がなくなったのを感じた。


 しん、と静まり返った空間。

 いっそう、狭い箱の中に閉じ込められたという事実が、恐怖に変わっていく。


 声も上げられない状況が、もどかしくてたまらない。唸り声すらも、蚊の鳴くような微かな音になってしまう。

 今すぐ逃げ出したいのに、体が痺れて自由がきかない。

 それでも懸命に力を振り絞って、棺の内側に両手を伸ばそうとしたその時──突然目の前が明るくなった。誰かが棺の蓋を退かしたのだ。


「よし、生きてるね」


 猿神の釘を打ち込んで、棺に閉じ込めた女がそこにいた。

 以前にも、御花畑親子誘拐事件で(かえで)と共に戦ったことがある匂いだ。


「おねえ、ちゃん……?」


 あの時は狐の面をつけていたが、その素顔は思い出の中の少女によく似ている。


「言いたいことはたくさんあるだろうけど、ステイ。私はあんたに危害を加える気はないからね」


 彼女はそう言って、猿神の体を抱き起こすように棺から出した。

 ほっそりとした腕はすっかり白い毛に覆われ、全身が猿へと変化している。

 よりにもよって、自分のいちばん嫌いな姿。醜悪な毛。それを見ると、無性にムカムカしてきた。

 自分をこんな目に遭わせたこの女を、今すぐ食い殺してやりたいところだが、猿神には彼女を殺せない。

 体に力が入らないのはもちろんだが、彼の中の何かが、彼女に手を出してはいけないと警報を発しているようだった。

 せめて、めいっぱいの反抗心を表すように、鼻を鳴らしてそっぽを向いてやる。


「……っは。人間のくせに頭が回るんだネ。ボクをこんな不細工な姿にしたくせに」


 そんな猿神の様子を見ても、女は飄々とした様子だ。


「そうでもしなきゃ、剥製にされるくらいじゃ済まないのよ。むしろその姿に感謝してちょうだいな」


 女の言いようには腹が立つが、人間たちに好き勝手されるのはもっと腹が立つ。剥製など以ての外だ。

 奴らの娯楽のためだけに生皮を剥がされるだなんて、想像するだけではらわたが煮えくり返るような心地がした。


「……それで、ボクをどうしたいの?」


 何とか怒りを抑えて、引きつった顔で尋ねる。女は目を細めて笑うと、毛むくじゃらになったその手を軽く握った。

 中途半端に猿化していた体は、すっかり大猿に戻っている。すべすべの腕も細い足も醜く変貌していて、本当に最悪だ。


「ここから逃がしてあげる代わりに、ちょっと私に手を貸して欲しい」


 猿神が本来の姿を人前に晒すことは、情けなく命乞いをする行為よりも嫌だ。恥ずかしくて、みっともなくてたまらない。

 なのに、この女への憎悪はなかった。

 それどころか──。


「……協力の内容によるよ」


 ふてくされた子供のように、従順になってしまう。


「こっちだよ」


 ひとまず交渉成立と判断して、女は見張りがいないことを確認してから、部屋の外に猿神を呼び寄せた。


 建物内部は途方もなく広々とした空間で、そこかしこに扉があったが、女は迷うことなく猿神を導いていく。

 やがて猿神が招かれたのは、これまでの無機質な建物のイメージとは違う、ビジネスホテルの一室のような部屋だった。

 中にはベッドはもちろん、シャワーやトイレもあり、テレビも備え付けられている。


「何ここ」

「私の部屋」


 女はそう言って、冷蔵庫から取り出した缶ビールとコーラのペットボトルを1本ずつ手に取る。


「ひとまず──今夜はここに身を隠して。狐白は儀式の準備で忙しいから棺には近づかないだろうし……私も色々()()があるから」


 猿神は、差し出されたコーラを受け取りながら女の話を聞いていた。太い猿の指でキャップを掴み、くるくると器用に捻る。

 こういう時、人間のような手指があって良かったと思う。もしもこれが犬や猫の手だったら、上手く力が入らずにキャップを開けられなかっただろうから。


「ぷはァ」

 

 コーラはそれほど冷えていなかったが、狭い棺の中に閉じ込められていたせいか、とても美味しく感じた。


「はは、いい飲みっぷり」


 女が笑う。それが何だか気恥ずかしくて、猿神は背中を向ける。


「……で、ボクに何をさせたいの?」


 女は、ビール缶のプルタブに引っ掛けた指を止めた。その視線が泳ぐ様を、猿神が背中を向けたまま静かに窺う。

 やがて、静かにプルタブが押し開けられた。


「助けたい女の子がいる」


 それまでの飄々とした態度を抑えて、女がぽつりと呟く。

 彼女の話によるとこうだ。

 彼女にとって、娘のような存在だと言うその少女の名は、鬼道杏珠。杏珠とは長い間師弟の関係で共に暮らしていたが、今年で16歳となった杏珠は生家に戻された。


 柚蔵の子供を、産むために。


「約束してんの。この仕事が終わったら迎えに行くって」


 女の手が、ビール缶を強く握りしめる。その感情の詳細について、彼女は多くを語らない。けれど、杏珠の運命を変えたいと思う気持ちだけは、猿神にも伝わっていた。

 分かりたくなくても、分かってしまう。人間よりずっと頭が良くて、妖怪よりもずっと人間らしい心を持った自分には。


「死亡フラグじゃん」


 だから、わざとらしく茶化した。

 つくづく呆れてしまう。人間とは、こうも生き急ぐタイプしかいないのだろうかと。

 ただの獣だった彼女()に人の言葉を教え、胸いっぱいの愛情を注いでくれたあの少女も、そういう人間だった。

 もし、彼女の運命を変えることができたなら──今頃はもう少し素直に、人間と寄り添える存在だったかもしれない。


「まあ……いいや──付き合ってあげる」


 飲み干したコーラのペットボトルを、ぐしゃりと手で潰した猿神は、女の手に握られていたビール缶をひょいっとつまみ上げる。


「ボクがそのコを助けてあげるヨ。報酬は……その陰陽師の心臓(ハツ)で良いや」


 悪意たっぷりの笑みを浮かべて一気にビールを飲み干した猿神は、紙くずのようにアルミ缶を握りつぶした。

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