【夏帽子 君の横顔 閉ざす窓 】13★
簡単あらすじ
・小森病院で待機すること数日後、粟島宿儺は密かに神奈川の実家へ戻ると言う。留守の間を任された因幡敦だったが、怪異が海斗の祖父母に襲いかかる様を目の当たりにしてしまい……。
・狐輪教の悪事を暴くために裏で動いていた高千穂レンは、怪異に侵された人々を救う鍵が粟島家の酒『常夜の宴』にあると言うのだが……?
「何か、嫌な感じだな……」
外は、夏休みだというのに不気味に静まり返っている。まるで宿儺以外誰もいなくなってしまったかのように。妙な肌寒さに、うっすらと鳥肌が立つのを感じた。
怖がりな友のことを、からかえなくなりそうだ。
宿儺の脳裏に浮かぶのは、両親のこと。
警察署で別れてから、既に数日。その間、RAIINや電話にも応答はない。ネットニュースでは不安を煽るかのように、若者を中心とした集団発狂事件を報じている。それは都内だけではなく、宿儺の住む神奈川にまで忍び寄っていた。
せめて、無事でいてくれることを願うばかりだ──。
病院から出て30分ほど経った頃。速度を上げながら国道を走るバイクの前方に、突然勢いよく人影が躍り出る。
それは、若い男だった。
宿儺の頭の中は一瞬にして真っ白になったが、あと少し判断が遅かったら最悪の事態になっていたかもしれない。
「ッ……」
何とかバイクを停車させ、呆然としている宿儺の目の前で、男が間延びした声で言った。
「ちょっとー……僕が死んだら、誰が動画を撮ってくれるんですかー」
まるで他人事のような声色に、宿儺の顔が引き攣る。
突然飛び出してきた男への怒りよりも、大事故を回避した後の気が抜けた心地でいっぱいで、宿儺は完全に油断していた。
「だ、大丈夫っすか……?」
国道の真ん中で人が飛び出してきたこの異様な状態に、少しの疑問すら持たなかったのだ。
「あー……」
男が顔を上げた。焦点の合わない目で宿儺を見つめる男の皮膚は黒ずみ、人とは思えない様相。それはまさにゾンビのような姿。
「がはッ……!」
男が突然掴みかかって来た。常人とは思えないほどの怪力で地面に投げ出され、タイガとの喧嘩で受けた傷がずきずきと痛む。
「謝罪してくださいよ……謝罪。全世界に拡散してあげますから〜」
男は、自撮り棒から伸びたスマートフォンをかざしながら宿儺を見下ろす。一見すると普通の言葉だが、その中には不明瞭なノイズが混ざっていた。
まるで水中の中で話しているようにくぐもったそのノイズは、やがて宿儺の耳にもハッキリと聞き取れるようになる。
「タベタイ、タベタイナァ……トコヨノコノミ」
聞き覚えのあるその言葉を頭が理解した時、宿儺の首に男の手が掛かった。
「タベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイ」
うわ言のように呟いて宿儺の首を絞めてくる。反撃をしようにも、宿儺の体は力が入らない。
怪我の痛みだけならまだ耐えられた。けれど、目の前の化け物は人間とは思えない力で宿儺を押さえこみ、地面に押さえつけてくる。
「あ、ぐ……!」
首を折られて死ぬのが先か、それとも地面に押し付けられて圧死するのが先か、宿儺にも分からない。
徐々に肺から空気が抜け、息が出来なくなる。
このまま、両親の無事も確かめられずに逝くのだろうか。
まだ、海斗に謝罪すらできていないのに。
堕ちたくないという気持ちとは裏腹に意識は遠ざかり、深い闇の中へと沈んでいく。
その瞬間──突然、何者かによって首根っこを力強く引っ張られた。
「タベタ──」
化け物が視界から消え、辺りには白い霧が立ち込める。それはあっという間に辺りを覆って、足元すら視認できないほどの濃霧になった。
周囲を漂う霧──その匂いの正体が煙草だと気づいた頃、宿儺はようやく呼吸することを思い出す。
(まだ、いる……ッ!)
むせながら呼吸を整える宿儺の気配に気づいたのか、濃霧の中で化け物が蠢く。
再度、宿儺に襲いかかるべく化け物の手が伸びた時──頭上から煙草の煙が柔らかく漂った。
「ふー」
宿儺の頭上で、男が息を吐く。
そこには、すみれ色の着流しを纏った男が悠然と立っていた。
男は煙草を咥え、ゆっくりと紫煙を吐き出している。その煙は、まるで生き物のように男の周囲を漂い、まとわりつく。
「グ……」
煙を浴びた化け物が、自分の首を押さえて息苦しそうに呻いた。
「しみるかい?」
血のような赤い瞳が化け物を見つめている。その瞳の色を、宿儺は知っていた。
「タ、ベタ……」
先程の宿儺と同じように、化け物は呼吸すらままならないといった様子で自分の首を押さえていたが──。
やがて、その体は痙攣しながら崩れ落ちる。
「術の効かねェおたくらに朗報。コイツは体の中から効くんだよ」
男は煙草を口から離して笑った。以前にも化け物たちと戦ったことがあるような口ぶりだ。
「こんなとこでバイクふかしてたら危ねェよ、お兄ちゃん。早くお家に帰んな」
呆然としていた宿儺を見下ろして、男が笑う。化け物との対峙は、彼にとって挨拶程度の感覚でしかなかったようだ。男は終始落ち着いており、煙草を指で弾いて灰を落としている。
そのまま煙と共に消えてしまいそうな、不思議な魅力を纏った男だった。
宿儺が怪我をしていることに気づいたのか、男は煙草を咥えてその場に屈むと──。
「ふっ」
「──げほッ!」
宿儺の顔目がけて白い煙を吹き出した。
思わず咳き込んでしまうが、その煙には不思議と煙草特有の匂いがない。
そして──不思議と、体の痛みが消えていた。
「さてと……おじさんはもう行くわ」
男は、何事もなかったかのように、男は吸殻を小さなシリンダーの中に仕舞う。肺の中の煙を吐き出すように深いため息をついて、ゆっくりと体を起こした。
「じゃーなァ、お兄ちゃん」
まるで煙のように、今にもその場から立ち去ろうとする男の袖を、宿儺は反射的に握る。
「あのッ──鬼道柊さん、っすよね?」
「あ?」
突然袖を掴まれて、男が怪訝そうな表情を浮かべた。最後に見た時よりもずいぶんくたびれてはいるが、彼と同じ赤い瞳を見間違えるはずはない。
「オレです、粟島宿儺……くーちゃんです」
その告白に何故彼がぽかんとしたのか、理由はだいたい想像がつく。両親の後ろに隠れてばかりいた引っ込み思案な子供が、見違えるように成長していれば誰だって驚くだろう。
もちろん、彼が驚いているのはそれだけではなかったようだが。
「マジかよ、今年一番の衝撃だわ。何でグレちまったの?」
すぐに思い出の中の姿と合致したのか、鬼道柊は間の抜けた返事をする。
あわよくば不良になった理由を聞き出そうとする様子に、宿儺は苦笑しながら視線を泳がせた。
「それは──まあ、いや。引き止めてすんません」
「えー、誤魔化すの下手かよォ〜」
自分でも苦しい言い訳をしながらバイクの元に戻ろうとする宿儺を、柊が茶化す。
「急いで家に戻らないといけないんです。両親と、数日連絡が取れなくて──」
バイクのエンジンをかけ直しながら、宿儺が言った。
化け物に襲われてだいぶ時間を取られてしまったが、こうしている間にも両親の身が心配だ。
小さく頭を下げてバイクに跨ろうとしたその時、前方を塞いだ柊と目が合う。
「ちょうどいいじゃねェの。おじさんもくーちゃん家に用があんのよ……2ケツさせてくんね?」
その提案に、宿儺の視線が泳ぐ。
陰陽師である彼が、この状況で自分の家に来たがる理由──。
何故、こんな簡単なことに気づかなかったのだろう。
「……常夜の宴、っすか」
宿儺が確信を持って口にする。柊は、不器用に笑う楓とは似ても似つかない──まるで悪餓鬼のような笑みを返して、タンデムシートに腰を下ろした。
「ヘルメット無いし、何かあっても責任取れねえんすけど……まぁ」
アクセルを何度かあおるたびに、マフラーから甲高い咆哮と共に炎が吹き上がる。
宿儺はクラッチを握り、チェンジペダルを押し下げた。
「しっかり掴まっててください」
その言葉と共に、爆音を上げて国道に飛び出したバイクは、縦横無尽に闇夜を駆けていく。
霊験あらたかな粟島家の酒は、鬼を酔わせて邪なものを祓い、浄化できる。もしかしたら海斗を救うこともできるかもしれない。
それが贖罪になるとは思わないが、こんな自分にも何かができるかもしれないのだ。
宿儺は、迷うことなくアクセルを握りこんで速度を上げた。




