【夏帽子 君の横顔 閉ざす窓】12★
簡単あらすじ
・傷ついた海斗は未だ目覚めない。
・そんな中、宿儺は敦に仲間たちを託して神奈川の実家に戻ると言う。残された敦は、弟や海斗を守るべく気合いいっぱいだったが……?
橘海斗は、宿儺の友人だったという。
ふたりの関係がどれほどの仲だったのかを敦は知らないし、探るつもりもない。けれど、先日の宿儺と隼人のやりとりから察するに、海斗は宿儺にとって、非常に大きな存在だったのだろう。敦が聖を大切に思うように、宿儺もまた海斗のことを大切に思っている。
宿儺の友人なら、自分たちの仲間も同然だ。
(イヴの友達もその家族も、ぜってーオレが守ってやる……!)
宿儺を送り出してすぐ、海斗の病室の前には敦の姿があった。
張り付くようにしてしゃがみこんだり、不審な人物がいないか廊下をくまなく監視している敦に気づき、病室から出てきたのは海斗の父、隼人だ。
「あれ……宿儺くんは?」
病室の冷蔵庫から持ち出したコーラを、ふたつ手にして廊下に出た隼人は、不思議そうに首を傾げた。
「え、えーっと……」
咄嗟の言い訳を考えることが出来ず、敦が慌てふためいていると、隼人はその様子を見て何かを察したように苦笑する。
「高見さんとレガーレさんが心配なんだね。でも大丈夫。妻も一緒にいるんだ」
隼人は、そう言いながらコーラを2本手渡した。1本は弟さんと分けてねと告げられ、ありがたくそれを受け取る。
どうやら、海斗の母と宿儺の母は親しいらしい。家族ぐるみの付き合いだったのか、と敦は思った。
「その、何で海斗くんのお母さんには知らせなかったんすか?」
敦が、遠慮がちに問いかける。
隼人は病室で眠る息子を気にするように視線を彷徨わせたが、やがて小さなため息をついて窓際に寄りかかる。
「来年、家族が増えるんだ。妻に心配をかけたくなくて……言えなかった。父親失格だよね。でも……」
そう言って目を細めた隼人が、自分の手を握りしめる。
その手は、小さく震えているように見えた。
「海斗くん、マジで大丈夫なんすかッ?」
敦が慌てた様子で問いかける。
「う、うん。病院の先生と、助けてくれた君たちのおかげで……体は何とかね」
隼人の返事は、妙に含みのある言い方だった。
さらに問い詰めようとして身を乗り出す敦だったが、続いた言葉に口を噤むことになる。
「体は問題ないんだけど、意識だけが戻らないんだ。……あ、脳に損傷とかは無いんだけど」
敦や、ここにいない宿儺に心配をかけまいとしてなのか、隼人が慌てて付け足した。
もしかすると、海斗の容態は思った以上に悪いのかもしれない。
敦は責任を感じて唇をギュッと噛んだ。もっと早くにタイガの企みを阻止できたら、海斗が怪我をすることもなかった。痛いのが嫌いな敦でさえ、あの抗争から逃げ出したいと思ったほどだ。
けれど──。
あの抗争がなかったら、再び宿儺に出会うことは出来なかったかもしれない。それを思うと、複雑な気持ちだ。
気まずくなって窓の外を見ると、ちょうど病院を見上げている男と目が合った。
「あ……?」
しかし、何か様子がおかしい。
男は、まるで敦を見つめているかのように、ぼうっと窓を見上げたまま動かないのだ。
(勘弁しろよ、こんな時に……)
敦は、その視線に気づいていない振りをして目をそらした。
『タベタイ』
その瞬間、確かに聞こえたのだ。ねっとりとした不快な声が。
「ひッ!」
驚いて辺りを見回すが、敦の周りに怪しい人物はいない。それなのに、嫌な気配はどんどん強くなっていく。
『タベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイ』
敦は昔から、よくないものを感じやすい体質だ。こちらの都合なんかお構い無しに、見たくもないものが視界に飛び込んでくる。
公園で遊ぶ足のない女の子や、電車のホームに飛び込む学生の姿。どれも、この世にいてはいけないモノ。
(や、やめろッ……)
全身に寒気を感じて、その場に崩れ落ちた敦を、隼人が慌てて支えた。
「だ、大丈夫かい?」
敦の顔は青ざめ、まるで舌が凍りついたかのように呂律が回らなくなっていく。大丈夫です、と発した声すら呻き声にすらならない。
隼人はおろおろしながら敦に肩を貸すと、海斗の眠る病室を開ける。中には、チューブが繋がれたまま眠る海斗の姿。傍らには、テレビを見ている彦右衛門と、薬を飲んでいるサチエがいた。
「……隼人、何だいその子は」
「ええと、あの……気分悪くなっちゃったみたいで……休ませようかと……」
不機嫌そうな顔をしたサチエに強い語調で尋ねられ、隼人がしどろもどろになりながら答える。
サチエは、くしゃくしゃになった葉っぱ状のものをバッグから取り出し、手早くオブラートに包んで敦に差し出した。
「さっさと飲みな」
朦朧とした意識の中、敦はコーラでそれを流し込む。いったい何を飲まされたのか、彼自身にも分かっていなかった。
「はぁ……はぁ、あざっす」
それを飲んだことによる効能か、はたまた単なるプラシーボ効果なのか、どちらにせよ何とか喋ることができるまでに落ち着きを取り戻す。隼人はホッと胸を撫で下ろした。
「お義母さん、今のって何の薬ですか?」
「ああ? ただの皮だよ」
サチエは、何事もなかったように薬箱をバッグに仕舞いながらそっけなく答える。隼人はすぐに納得したようだが、敦はあまりピンときていない様子だ。
ふと、テレビを見ていた彦右衛門が顔を向けた。
「みかんの皮を干して乾燥させるとな、薬になるんだ。風呂に入れたら体もあったまるぞ。お父さんとお母さんに持ってくかい?」
彦右衛門は嬉しそうに説明しながら、今にもサチエのバッグに手を伸ばそうとしている。
その手を、サチエがすかさず引っぱたいた。パン、と思いのほか大きな音がして敦が目を丸くする。
「人様に差し上げるようなモンじゃないよ、こんなの!」
サチエは、すっかり機嫌を損ねたようにぶつくさと文句を言いながらバッグを抱え込んでしまう。しかし、本気で怒っているわけではないらしい。
「冬にはまたたくさん皮が出るから、欲しけりゃ勝手に店に来な」
サチエは、言葉が強いしそっけない。一見すると不機嫌そうなその顔も怒っているかのような印象を受けるが、それらが誤解だと気づくまでには、少し時間がかかる。
敦も橘家と関わり始めて、彼女の不器用な優しさに気づき始めていた。
「うち4人家族なんで、多めに貰えると嬉しいっす!」
だからこそ、打ち解けた会話ができる。
「遠慮って言葉を知らないのかい? 郵送はしないからね、めんどくさいんだから」
サチエはぶつぶつと文句を垂れながらそっぽを向いたが、彼女が本気で気を悪くしたわけではないと分かっている。
「うちのサチエは昔から素直じゃなくてな、初恋の男の子に誤解されて失恋してたんだ」
「はあ?」
満面の笑みで惚気ける彦右衛門に、サチエは今度こそ機嫌の悪そうな声を上げる。そんなふたりを見守る隼人の顔は、とても嬉しそうだった。
和やかな病室の中で、不意にテレビから声が聞こえた。
『国民の皆さん、こんにちは。自由共生党の葛西菖蒲です』
どこかで見たような中年の男が、そこに映っている。その男の顔立ちにどこか引っかかるものを感じた敦だったが、すぐに思い出すのを諦めた。ただでさえ色々なことが起きているのに、これ以上頭を使うのはごめんだ。
チャンネルを変えてくれと文句を言うサチエと、リモコンを探す彦右衛門をよそに、テレビの中の男は饒舌に語り始める。
『現在都内では、若者を中心に未知の集団ヒステリーが広まっています。皆さんと同じように、私も大変怖いです。ですが、安心してください』
その声は、どこか台本を読んでいるかのように不自然な抑揚で、そして耳障りだった。
『皆様の安全と命を守るため、ただちにワクチンの接種をお願いします。このワクチンは仙北屋グループの技術提供を得て、我々が独自に開発したものです』
「せんぼくやグループ?」
聞いた事のない名前に敦が首を傾げた。そんな敦の疑問に答えたのは彦右衛門だ。
「昔っからある製薬会社だよ。年寄りには馴染み深いんだけどな……仙北屋の置き薬って聞いた事ないか?」
敦はさらに首を傾げた。怪我をした時に使う消毒薬の名前すら覚えられないのに、会社の名前なんて分からない。
その時、廊下の奥から看護師の声が聞こえた。
「ちょっと聖くん! 病室から出ちゃダメだって何回言えばわかるの!?」
その声に病室の扉を開けると、誰よりも遥かに重傷である聖が、スマートフォンを弄りながらのんびりと廊下を横断している。
敦に気づいた聖は、平然と近づいてきた。
「あっちゃん、やっほー」
どこまでもマイペースな弟だ。
「やっほーじゃねーよ……こんな奴ベッドに縛り付けてやってくださいッ!」
敦は、後から追いついた看護師に謝罪しながら、弟の大きな体を押し返す。しかし、聖の体はビクともしなかった。
涼しい顔をして看護師を見下ろした聖は、感情の読み取れない黒い瞳を静かに瞬く。
「ひょっ!?」
看護師の体を壁に追いやるように、聖の手が伸びた。いわゆる壁ドンというやつだ。
まるで、威圧するように見下ろされて看護師が怯む。
次の瞬間、聖は長い腕で敦の肩に腕を回し、看護師の前に引き出した。
「あっちゃんと2人部屋にして。そしたら大人しくする」
聖はそう言って、敦のこめかみに唇を寄せた。ヘアピンに歯を立てるその行為は、小動物が巨大な肉食獣に襲われているように見えたことだろう。
「ぜ、善処します!」
「しなくていいっすよーッ!」
看護師の即答に、敦は腕の中でもがきながら喚いた。そんな抵抗をあっさりと押さえ込んだ聖は、数日間の兄不足を解消するかのように、敦を抱きしめている。
「お兄ちゃんが大好きなんだねぇ」
聖の存在感に気圧されていた隼人が、微笑ましいものを見るような眼差しで言った。
何だか照れくさくなってしまい、敦は顔を赤らめて顔を逸らす。
「あ、兄離れしねーんすよ。マジ恥ずかしい奴で……」
「あっちゃん、これ見て」
聖はどこまでもマイペースに、スマートフォンを敦の顔前へかざした。
「ライブ配信」
そう言って再生されたのは、今現在の東妖市の様子だった。辺りは静まり返り、不気味な気配が漂っている。
『マジで誰もいませんねー。まあ政府が限定的に緊急事態宣言を出したからなんですけど。ここは特に厳しく制限されてる東妖市ですねー』
映像の中で説明しているのは、若い配信者。少し訛っているが、聞き取りやすい男性の声だ。夏休みということもあり、再生数はどんどん増えていく。よほど関心が高いのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
『集団発狂タベ事件と今回の外出タイ制限、何か引っかかりませんかー? なのでね、タベタイこれからカメラをタベタイ回して、ありのままをタベタイと、思ってます!』
配信者は饒舌に喋っているが、何やら様子がおかしい。先程から目は焦点が合っていないし、話している内容も妙だ。
ふと、先程病院を見上げていた不審者の口走った言葉が、敦の脳裏を過ぎった。
『僕もそろそろ、タベタイんでね。早くタベタイですよ、タベタイ。タベタイなぁ、タベタイ、早くッ! タベタイッ!』
配信者の様子はどんどんおかしくなっていく。激しく画面が揺れているのは、彼が走っているからだろう。
やがて、何かがぶつかる音が聞こえてカメラが地面に落ちた。
画面に映し出されたのは、ふらふらと体を起こして立ち上がった配信者の姿。まるで何かに酔っ払っているかのように、足取りもおぼつかない。
「タベタイ」
不意に耳元からその言葉が聞こえて、敦は身震いした。恐る恐る顔を上げるが、聖の声ではない。
「お義父さん!?」
隼人の声が聞こえた。その視線の先には、椅子に腰掛けたままの彦右衛門がいる。
しかし──何か、様子がおかしい。彦右衛門は目を大きく見開いて、顔は土気色になっている。
「タベタイ」
まるで壊れた機械のようにもう一度、彦右衛門が言った。ぽかんと開いた口は、まるで顎が外れてしまったかのように大きく開けられ、だらりと伸びた舌が口から飛び出た。
「ど、どうしたんです? 具合でも悪いんですか?」
隼人の問いかけにも、返事は無い。
老人にしては綺麗に生え揃った健康的な歯が、勢いよく舌を押し潰すように振り下ろされた、その時。
「うわあああッ!」
サチエは半狂乱で叫びながら、バッグから取り出したみかんの皮を、手のひらごと彦右衛門の口にねじ込んだ。ごぷっ、と彦右衛門の喉が空気の漏れた音を立てる。
「ひいッ!」
次の瞬間、サチエの手に歯が立てられた。彦右衛門の顎を、大量の鮮血が滴る。
「せ、せせ、先生を呼んできますッ!」
看護師が慌てて病室から飛び出していく。
「や、やめてくださいッ! お義父さん! どど、どうしちゃったんですか!? 何やってるんですかッ!」
隼人は、怯えながらも必死に彦右衛門に呼びかけている。敦は、サチエを助けるべく彦右衛門を羽交い締めにした。
「何やってんだよおじさん! 早く何とかしないと、ばーさんの手が食われちまうッ!」
「わ、わ、分かったよ!」
相変わらず何をしていいか分からず半泣きでおろおろしていた隼人は、敦に急かされるようにして彦右衛門の口に手を伸ばす。
両手で彦右衛門の口を開かせようとするが、サチエの手はものすごい力で噛みつかれているため、彦右衛門の顎を開けようにもビクともしなかった。
無理やり手を引っ張れば、サチエの皮膚を引き裂いてしまう可能性もある。
「おじさん、邪魔」
聖は、海斗に掛けられた布団を引き剥がして言った。
「ぐえッ!」
そのまま躊躇うことなく、無理やり彦右衛門の口に布団を押しこむ。
突然異物をねじ込まれたことによる咽頭反射で、彦右衛門が吐くようにサチエを解放した。
「そのまま押さえていてください!」
白衣を纏った医師が、看護師たちとともに病室へ飛び込んでくる。その中には王牙の姿もあった。
医師が彦右衛門のうなじに注射針を刺すと、やがて彼の体は小さく痙攣をしながら大人しくなる。その傍らで、サチエの手当も行われていた。
「……ワクチンを打っていたんだな」
彦右衛門の様子を見つめて、王牙が静かに尋ねる。責める様子はない。サチエは、浅い呼吸を繰り返しながら小さく頷いた。
「先週……封書が届いて。この人と一緒に……」
王牙が小さくため息をつく。
「わ、ワクチンって何だよ? ここに来る前もそんなこと言ってたよな……」
目の前で人が発狂する様子を見せられ、すっかり言葉を無くしていた敦が、恐る恐る尋ねる。
王牙は、眼鏡のブリッジに指を当てて黙っていた。
「自由共生党は、ワクチンという名のウイルスをばら蒔いているのよ!」
突然声が聞こえて振り返ると、開きっぱなしの扉の前にツインテールの少女が立っている。
祭りの夜、ハクと弥生を誘拐した車を追った際に通話で参戦した少女と同じ声がした。
「ワクチンを打った人を放置してると怪物に変わるわ。月桂神社の騒動みたいにね」
みるみるうちに、その場にいる者たちの顔色が青くなる。
「でも安心して。お兄様が急ピッチで対処法を考えてきたんだから!」
彦右衛門とサチエが看護師に連れられていくのを見送りながら、レンが腰に手を当てる。
宿儺がいないことに目敏く気づいて、王牙の眉間に皺が寄った。
「粟島宿儺はどこだ?」
「え、えっと……」
敦は、何とかごまかそうとして視線を彷徨わせる。
王牙の見た目は自分たちと同年代くらいに見えるが、警察関係者だと思うとどうにもやりづらい。
「さっき、バイクで外に出てった」
聖の空気を読まない発言に、敦はギリギリと歯ぎしりをする。怪我人でなければどついていたかもしれない……。
「あら、ちょうどいいじゃない!」
レンは腰に手を当てたまま強気に笑う。
「な、何がちょうどいいんだよ」
やたらと元気いっぱいだが、彼女は本当に怪我人なのだろうか、と内心思う。
敦の問いかけに、レンがパチンと指を鳴らした。
「粟島家は陰陽師御用達の酒造なの。邪を祓う常夜の宴──それがみんなを救うカギになるってお兄様は言ってたわ!」
レンによる高らかな宣言。
そういえば昔、弥生が言っていた気がする。宿儺の持っている酒には不思議な力があって、悪いものから祓ってもらったことがある、と。




