【夏帽子 君の横顔 閉ざす窓】10
簡単あらすじ
・橘海斗は、何度も7月23日の夏祭りを繰り返していた。本人も忘却するほどの、途方もない死を繰り返す海斗。その原因は、怪異に侵された少年タイガからの執念だった。
・魂の回帰から脱する術は、海斗自身が死に抗わなければならない。美燈夜の犠牲と引き換えに記憶を取り戻し、魂の回帰から脱した海斗は激しい怪我を負った。
・小森病院へ搬送された海斗だったが、未だにその意識は戻らない。
彼らが病院に駆けつけた時、その子供は死んだように眠り続けていた。顔には、複数の生々しい擦り傷が残されたまま。腕には管が繋がれ、きっとこんな痛ましい姿を見たら妻は卒倒するだろう。
「夜中までバイクを乗り回すような不良と遊ぶなんて、海斗もとうとう反抗期になったってことか」
場を和ませようとしたのだろう。彦右衛門が独り言のように言った。けれど、今はあまり笑うことが出来ない。
現に、サチエの眼差しは冷たかった。
「引っぱたくよ、あんた」
「……」
強い口調で言い切られ、彦右衛門が借りてきた猫のように大人しくなる。
その気まずい空気にいたたまれなくなったのは娘婿の隼人だ。
「僕、ちょっと外に出てますね」
隼人は苦笑いしながら、頭を下げて病室を出る。
そこには少年がふたり、廊下の隅に立っているのが見えた。彼らは、海斗以上に酷い怪我をしている。
「良かったら、中に入る?」
隼人が声をかける。ピンク色の髪をした少年は、傍らの少年を気にして口ごもるだけだった。確か彼の名前は、因幡敦。弟の聖と共に、小森病院で怪我の治療をしているという話を、病室に入る前に聞いた。
そしてもうひとり。海斗の友人であり、一度顔を合わせたことがある少年。すらっとした体躯と、日本人離れした顔立ち。蜂蜜色の髪に海のような瞳をした彼の名前は、粟島宿儺だ。
「……海斗を守れなくて、すみませんでした」
沈痛な面持ちで、宿儺が深く頭を下げる。
彼らは、隼人たちが病院に到着してからずっと病室の前にいた。その様子だと、部屋に入ることすらできていないのだろう。
「頭を上げて! こんな再会になっちゃったけど……誰も宿儺くんが海斗を傷つけたなんて思ってないよ。しーちゃん──妻もきっとそう思ってる」
少しでも彼の罪悪感を軽くしようと試みるが、宿儺の表情は暗い。
幸い、汐里には海斗に起きたことを伝えていない。『海斗はオカルト研究部の合宿で、美燈夜や宿儺と共に部長の家に泊まっている』ことになっている。
夏祭りの後なのに息つく暇もなく泊まりなんて大変だと、汐里は無邪気に笑っていた。そんな汐里に『いっそあんたも泊まってきたらどうだい』と助け舟を出したのは、彼女の一番の理解者である母のサチエだ。
汐里はようやくつわりのピークを越えて、体調も徐々に安定してきている。来年からは育児に忙しくなるのだから、少しは自分のために時間を使ったらどうかと提案された汐里は、少しも疑うことなく、無邪気にそれを受け入れた。
その裏で隼人は、義父や義母と病院に行く手筈を話し合う。汐里が楽しそうに荷造りしている様子を見ながら、隠れて病院と連絡を取り合うたび、罪悪感で胃がヒリヒリした。結婚してからこれまで、彼女には一度も嘘をついたことなどなかったのに。
駅まで迎えに来てくれたレガーレと共に神奈川へ静養に行った汐里を見送り、ようやく病院へ向かうことができた隼人たちは、遅ればせながら7月26日──夏祭りが終わった翌週に小森病院に到着したのだ。
「こっちこそ遅れてごめんね。家のこととか、色々あって」
隼人は苦笑ぎみに言ったが、宿儺の耳に届いていたかは分からない。
美燈夜や宿儺のおかげで、海斗はずいぶん変わった。狭かった交友関係も広がり、異性を極度に怖がることもなくなり、そして──。
宿儺に感謝こそすれ、誰も宿儺のせいだとは思っていない。きっと、汐里もこの場にいれば同じことを言うだろう。
「あの子、家で君の話ばっかりするんだ。以前とは考えられないくらい明るくなったし、よくみーちゃんに呆れられててさ」
一方的な世間話をする隼人の脳裏をよぎるのは、海斗と共に夏祭りに行った美燈夜のこと。
美燈夜は、あの日以降どこにもいない。神社での騒動に巻き込まれたのか、あるいは自発的に姿を消したのか──彼女はまるで、最初からいなかったかのように、その痕跡を消していた。
「みーちゃん、どこに行っちゃったんだろうね。スマホでも渡してあげたら良かったな」
事件性も考えたが、美燈夜の強さは汐里と海斗から聞いたことがある。華奢な体をした姫君とはいえ、彼女は鬼神のように強いのだと。
だから、あまり心配はしていなかった。ただ、義理堅い美燈夜が何も言わずにいなくなってしまったことだけが少し引っかかる。
一体、夏祭りの夜に何があったのか──宿儺を見ると、彼は強く自分の拳を握りしめていた。強く握りすぎた指先は白くなり、血が滲んでいる。整った顔は海斗以上に傷だらけで、至る所にガーゼが貼られ、額には包帯が巻かれていた。
「その怪我、海斗を守ろうとしてくれたんだろ?」
聞かなくても分かる。それでも、尋ねずにはいられなかった。
そして、伝えたかった。
「海斗を守ってくれて、ありがとう」
宿儺は何かを言おうとして口を噤んだが、そのまま沈黙してしまう。
隼人は辛抱強く、宿儺からの一言を待った。
やがて、気の遠くなるような時間が経った頃、小さく息を吸う音が聞こえた。
「海斗は、世界一かっこいいんです」
宿儺は、そう言って唇を強く噛んだ。守れなかったことを悔やむように。
「アイツの、好きなものに対する姿勢とか、話し出すと止まんないとことか、大体何言ってるかわかんないんすけど……でも、楽しそうに話してくれるから、すげー嬉しくて……もっと聞きたくて」
宿儺は、声を押し殺しながら途切れ途切れに語り始める。それは次第に数を増やして、海斗との思い出を語ってくれた。
「アイツは強くて、勇気があって……オレなんかよりずっとデカくて……色んなこと、気づかせてもらったのに……」
そんな宿儺の肩を、隼人が撫でる。
いつの間にか、サチエと彦右衛門も廊下に出ていたことに気づいて、敦がぺこりと頭を下げていた。
彦右衛門は反射的に頭を下げると、小声でサチエに尋ねる。
「どっちが海斗をいじめた暴走族なんだ?」
「あんたは本当余計なことしか言わないね」
サチエはそう言うと、手に持っていた紙箱を宿儺に差し出した。中には、橘総本家の銘菓である常夜香果が入っている。
「海斗もどうせ起きないんだし……あんたらが食べちゃっていいよ」
「いや、オレたちは……」
宿儺は遠慮がちに断ろうとするが、サチエは強引に紙箱を押し付けた。
「いいから! こいつはね、あんたらを悪いものから守ってくれるんだ。……ひとつでいいから、食べときな」
サチエの言葉には、どこか含みがある。その言葉の意味は、隼人には分からなかった。
けれど、宿儺には分かっていたのかもしれない。
しばらく常夜香果を見つめていた宿儺は、何かを決意したようにそれを口の中に押し込むのだった。




