【夏帽子 君の横顔 閉ざす窓】2
簡単あらすじ
・鬼道楓は京都での修行中に父の実家に立ち寄るが、殺人事件に巻き込まれてしまう。藤之助と共に犯人を探していたが、鬼道家4男である椋に襲われて生死不明となった。
・紅葉が江都と猿神を連れて関東へ向かったため、現在鬼道家にいるのは松蔭、杏珠、藤之助たちとなっている。
・現在、亡くなったのは当主の柊一、柚蔵の長女橙子、松蔭の次男桜太郎である。
布団でぐるぐるに巻かれた死体の傍に、事切れた桜太郎が転がっている。夏の暑さで既に腐乱した臭いが立ち込める地下で、松蔭は顔を顰めながら息子の死体を地下室の外へ運び出し、使用人に預けた。
「ひぃっ……橙子様だけでなく桜太郎様まで……」
使用人たちは、青ざめながら桜太郎の死体を丁重に受け取る。松蔭に同情的な言葉をかける者もいたが、松蔭は普段と変わらない表情のままだった。
地下室に戻る松蔭の後ろ姿を見て、使用人たちは口々に囁き合う。
「長年、柚蔵様の補佐をしていて、心が壊れちまったんでしょうか……」
「血が繋がってないとは言え、あの人も充分«鬼道»だねぇ……」
そんな囁きが松蔭の耳に入ってくるが、彼は表情を微塵も動かすことはなく、地下室へと戻った。
重厚な扉を閉め、周囲が暗闇に閉ざされる。提灯の形をした呪具に白い炎が灯り、松蔭の周囲を照らした。
「……」
その炎を見つめる鳶色の隻眼に、ほんの少しの喪失感が宿る。それは妻も息子も失い、ひとりだけ生き残った悲しみなのか、半世紀以上ずっと自分を支配してきた柚蔵から解き放たれた虚無感からくるものなのか、彼自身にも分からない。
しかし、それもほんの一瞬のこと。松蔭は、すぐに呪具を手にしたまま地下室への下り階段を進む。
妻も息子も失った松蔭に残されているのは、杏珠と藤之助しかいない。子供たちを守ることは、鬼道家を存続させることに繋がる。そしてそれは、今の自分の役目に他ならない。
「……」
階段の先は、兄が支配していた地下室の深部。そこは、何人たりとも足を踏み入れることは許されない場所。
足元には、無数の小さな骨が転がっており、異様な雰囲気を醸し出しているが、松蔭の表情は変わらない。
それらが全て、柚蔵が産ませた子供たちの亡骸だと察するまで、さほど時間は掛からなかった。
「父様」
足音と共に廊下の奥から近づいてきたのは、松蔭によく似た顔立ちの若い青年。彼の名前は鬼道竹次郎。既に故人である。
生前と変わらない温厚な顔立ちをした彼は、廊下の奥を指して言った。
「この先は行き止まり──なんだけど、ちょっと妙なんだ。楓くんの氣を感じる」
竹次郎はそう言って、松蔭の手の中にある呪具に目を落とす。
「早速、紅葉叔父さんの読みが当たったかもしれないね」
彼らの視線の先で、提灯の中の炎は先程よりも白い輝きを増している……。
今朝、松蔭たちと情報交換を終えた紅葉は、関東へ出かける直前、騒動に紛れて松蔭を別室へ呼び出した。
『これ、餓鬼を探すのに使え』
彼が懐から取り出したのは、古びた提灯。紅葉曰く、この呪具があれば生死不明となった楓の行方がわかるという。
しかし、楓はもう死んでいるはず。あの椋が手加減をするはずがない。それも、柊の子である楓ならなおさらだ。
そう口を挟むと、紅葉は鼻で笑った。
『馬鹿兄貴はともかく、あの餓鬼がくされムクドリごときで死ぬわけねえだろ』
相変わらずの口の悪さだが、その言葉の意味は、松蔭にはよく分からない。おそらく、鬼道の血を継ぐ者しか感じ取れないものなのかもしれない。
そして紅葉は、藤之助には内緒で最後にもうひとつだけ、彼に贈り物を残していった。
雀の中にいる竹次郎の魂を、より深く定着させ、彼が自分の意思で人の姿に成れるように、呪いをかけたのだ。
『くれないに掛けたやつと一緒だよ、一緒』
大したことではないと言いたげな口ぶりだったが、それは松蔭には決して到達できない秘術。
竹次郎と再びコミュニケーションが取れるようになった松蔭は、紅葉に託された呪具を使って地下室への捜索へ向かったのだ。
「足元に気をつけてね」
竹次郎の先導で、地下2階の最奥へと進んでいく。彼の言った通り、その通路は行き止まりとなっている。
紅葉に託された呪具は、間違いなく楓が地下にいたことを示すように、白い輝きで反応を見せていた。松蔭は地面に手を当て、軽く叩いて反響音を確かめる。
「古来より、鬼道家の地下深くは常夜に通じる十万億土の道があるという。もしや楓殿は……」
松蔭の言葉を裏付けるかのように、僅かな地響きが聞こえた。それはまるで、地下で鬼がうめくような低い地響き。
鬼道の血筋でなければ、これ以上の搜索は難しいだろう。
「楓くんは、鬼と修行でもしてるのかな?」
地上へ引き返す道中、竹次郎が言った。普通に考えれば奇妙な話だが、竹次郎は大真面目だ。
松蔭が何かを言いかけようとした時、地下室の重厚な扉の外から、藤之助の声が微かに聞こえた。
どうやら、事情を知らない藤之助が、チー太のことを探し回っているらしい。
「そろそろ、藤之助のところに戻らないと」
竹次郎がパチンと指を鳴らすと、その姿は小さな雀の姿へ変わった。パタパタと羽音を響かせながら、チー太が松蔭の周囲を飛び回る。
「チー太の正体がボクだってことは絶対に内緒だよ、父様!」
「……ああ」
藤之助にとって唯一の友が、死んだ兄であると知った時、きっと彼は屈折してしまうだろう。本当の父親である柚蔵のことも含めて、今の藤之助に明かすのは早すぎる。ただでさえ、あの子は家族の愛情に飢えているのだから。それは、ずっと藤之助のそばにいた竹次郎も、松蔭でさえ知っている。
「……いつも、お前には藤之助の世話を任せきりだったな」
地上へ続く階段を登りながら、松蔭が昔を懐かしむようにぽつりと呟く。
かつて、柚蔵から赤ん坊の世話を任された時、率先して育児を手伝ったのが竹次郎だった。桜太郎の面倒も見ながら、本当の弟のように藤之助をかわいがっていたのをよく覚えている。
鬼道の血が流れていない松蔭や彼の息子たちは、鬼道家の一員にはなれない。父や家を恨んでもおかしくないはずだ。それでも、竹次郎はまっすぐに育ってくれた。
そんな息子のことを、松蔭は心から誇りに思っている。
「ちー?」
地下室の扉を開けて廊下に出ると、ちょうど目の前を藤之助が横切ったばかりだった。チー太の鳴き声を聞いて慌てて振り返った藤之助は、松蔭と目が合うと少しバツが悪そうに視線を泳がせる。
「……あんたと一緒だったのかよ」
松蔭の足元に視線を落としたまま、藤之助がそっけなく言った。
「桜太郎兄さんのこと、さっきお手伝いさんから聞いた。その……」
藤之助の歯切れは悪い。
今朝の戦いを経てから、少しだけ親子の関係に変化があった。普段は棘のある藤之助の態度が、ずいぶん緩和している。
「桜太郎のことを、どう思った?」
松蔭が問いかける。片目を長い髪で隠した藤之助は眉を寄せたまま、反論することなく答えた。
「いい人、だった……と思う。小さい頃のこととか、家族のこと、色々話してくれたし」
珍しく素直な藤之助が、ぽつぽつと答える。長い黒髪の間から、赤い瞳が覗いていた。
柚蔵と同じ、鳶色と真紅のオッドアイ。怒る時の顔は若い頃の柚蔵に少し似ているが、今は──血が繋がらないはずの自分や、竹次郎によく似てきたと思う。
「……もう少し、話したかった」
微かに聞こえた藤之助の声は、少し寂しそうだった。提灯に停まったままのチー太が何かを言いかけた時、藤之助が『あっ』と大きな声を上げる。
「お、俺、杏珠探してたんだった! どこ行ったか知ってる?」
まるで照れ隠しのように、藤之助は早口で問いかける。松蔭がかぶりを振ると、照れ隠しなのか、いつもの調子で鼻を鳴らした。
「あっそ……チー太、来い」
「ちー!」
チー太は素直に提灯から離れて、藤之助の周囲を嬉しそうに飛ぶ。藤之助が捕まえようとすると、まるで追いかけっこをするように指の間をすり抜け、廊下の先へと飛んで行った。
そんなチー太の後を追いかけようとした藤之助の足が止まる。振り返った鳶色の瞳が、松蔭を気遣うように揺れていた。
「……あんた、部屋で休んでろよ。死にそうな顔してるから」
けれど、それを精一杯の嫌味で包んで、藤之助は振り返ることなく廊下を駆けて行った。




