【狐の輪 教え授けし 鬼遊び】18★
簡単あらすじ
・夏祭りの夜、海斗の記憶を取り戻すために自害した美燈夜は、不思議な空間で自分とそっくりな顔をした少女、鬼王冥鬼と出会う。
・冥鬼は『貴様はこれから母の元に戻り、常夜香果を得る』と言い、魂の片割れである美燈夜を十万億土の旅に送り出した……。
眩い光に視界を奪われ、意識が体から引き離され、どれだけの時間が過ぎたのだろう。
何年、何百、何千年……あるいは、まばたきをするほんのわずかな刹那か。遥かなる時を経て、彼女の魂は再び平安の世にたどり着く。
「うーん……」
青臭い新芽の匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、少女は柔らかな草の寝台で寝返りを打った。いつも寝ている橘家のベッドと違って少し固いが、彼女には何故か心地いい。
そよかぜが母のように優しく頬を撫で、少女を安らかな眠りに誘おうとしていた。
「母上、くすぐったい……」
甘えるような自分の声に起こされて、少女が薄目を開ける。目に飛び込んできたのは、どこまでも高く懐かしい色。
海神美燈夜が、いつか母と見た空と同じ色。
「う……」
美燈夜は、甘い夢を振り払うようにして体を起こした。
どうやら自分は、まだ生きている。そして──海斗の無事も、大切な人々の無事も確認できないまま、冥鬼の言った十万億土の旅へと足を踏み入れてしまった。
「ここは……?」
美燈夜は周囲を見回した。彼女が目覚めたのは、深い山の中。
人里から離れたその山には古くから天狗が住み着き、子供を誘拐し育てていると以前兄たちから聞いたことを思い出して、美燈夜は警戒を強めた。
「目が覚めたかい?」
軽快な声が聞こえた。そこに立っていたのは、黒い翼と立派な尾羽を持つ長身の天狗。顔には不気味な鳥の面を被っている。隣には、美燈夜よりも年下の小坊主が立っていた。
「その翼……天狗か」
確信を持って美燈夜が問いかける。鳥の面の下で、天狗が笑った気配がした。
「賢ちゃん、今日の夕飯は肉にしない? もう麦飯飽きちゃったよ」
天狗は質問に答えず、小坊主に話しかけている。小坊主は呆れた顔で天狗を見ると、慌てて美燈夜に頭を下げた。
「僕は紅賢と言います。こちらは紅蓮丸様」
紅賢と名乗った小坊主は、礼儀正しく頭を下げた。少なくとも天狗よりは話の通じる相手らしい。
美燈夜が何かを問いかけようとすると、それを遮るように彼女の腹が情けない音を立てた。
「おやおや、かわいらしい返事だね」
天狗がからかうように笑うので、美燈夜は恥ずかしくなって腹を押さえる。
祭りで軽食を食べたとはいえ、あれからどれくらいの時間が経ったのか、美燈夜には分からない。
「ついておいで──」
天狗はそう言って美燈夜に背中を見せた。
「どうやらお嬢さんは訳ありみたいだからねぇ」
天狗のふわふわとした口ぶりは、掴みどころがない。まるで鬼道澄真のように。
「無事で何よりでした」
紅賢は人の良さそうな顔で笑う。そのあどけない顔立ちに、美燈夜は遠い未来にいる友のことを思い出していた。
海斗は無事に魂の回帰から抜け出せただろうか? そして、仲間とともに楽しい夏祭りが過ごせただろうか。
「浮かない顔だね」
前方を歩く天狗が言った。背を向けている彼が美燈夜の表情を窺い知ることはできないはずだが、彼は背中に目でもついているのだろうか?
ふと顔を上げると、木にとまった小鳥が美燈夜の様子をうかがっていた。
「別に──問題ない。我をどこに連れていくつもりだ?」
小鳥から目を離して、美燈夜が再び前方を見る。先程まで歩いていたはずの天狗と紅賢は、忽然と姿を消していた。
その代わりというように──。
彼女の目の前には、血まみれの鬼が横たわっている。それは、鬼道澄真が退治したとされる悪しき鬼の姿にそっくりだった。




