【狐の輪 教え授けし 鬼遊び】16★
香取の決意表明にも関わらず、幽霊からの返事はない。
彼はすぐ近くにいるはずなのに。いつだって好き勝手に喋ってきたくせに、こんな時だけ、ずるいくらいに黙ってる。
今更、怖がって逃げたのか?
いや──そんなことは許さない。
「アンタのせいで、アタシがどれだけ危険な目に遭ったか分かってんの?」
突然、虚空に向けて話し始めた香取を、猿神や江都たちはどう感じただろう。しかし、周りを気にしている余裕などない。
ここまで自分を巻き込んだ、憎らしい幽霊から返事がないのだから。
「いい加減……聞いてるなら返事しろって言ってんの! この性悪糸目男ッ!!」
香取は、恨み言たっぷり頭上にぶちまけた。その声に呼応するように、赤毛の幽霊はうっすらと姿を見せる。
激動の時代を生きた文豪にして、香取にとっては厄介な幽霊──柳川千代之介。
あれだけ怒鳴ってやったというのに、香取の声が聞こえていないのか、ぶつぶつと呟きながら何やら本に筆を走らせている。
「常夜の王、青い炎、9つの心臓、鬼道家の陰陽師による裏切り……あの白髪の少女は妖怪か? いや、それよりも……謎の組織、狐輪教の恐ろしい企みに常夜香果の存在まで現実味を帯びてきたッ──ああ、これじゃ筆が追いつきゃしないッ!」
髪をぐしゃぐしゃとかき乱した千代之介は、突然叫ぶなり空中で大の字に倒れ込んだ。開きっぱなしの本には、彼にしか読めないであろう達筆のメモが綴られている。おそらくネタ帳なのだろう。
「アンタ……話聞いてた?」
怒る気力もなく、香取が尋ねる。千代之介は弾かれたように上体を起こした。
「もちろん聞いてましたとも! これから神和樹海に行くんでやんしょ? 何故ならば、そこに狐輪教の本拠地があるから──でやんす♡」
千代之介は、そう言ってニヤリと笑った。相変わらず胡散臭い糸目が弧を描く。
「で、出発はいつです? あちきはいつでも構わないんで、行きましょ行きましょ!」
どうやら、彼は本当に香取の悪態が聞こえていなかったらしい。
つくづく、高千穂レンのような奴だ。香取は、急にどっと疲労を感じて項垂れた。
「ねぇ、誰と話してんのぉ? 空想の友達?」
気づくと、怪訝そうな顔を隠そうともしない猿神が様子を窺っている。
「あ……まあ、なんて言うか」
頭上の千代之介から視線を逸らして誤魔化そうと、香取が苦笑する。というのも、猿神はもちろん、江都や八雲にも、千代之介の姿が見えていないようなのだ。
時間も限られているため、香取は自分に幽霊が憑いていることをかいつまんで説明した。
「柳川千尋……ねえ?」
江都は顎に手を当てて何もない空間を不思議そうに眺めている。当然というべきか、千代之介と視線は合っていない。
しかし、紅葉だけは違っていた。しっかりと千代之介の姿を捉えているかのように、虚空を見上げていたのだ。
「あら?」
明確な視線を感じて、千代之介が首を傾げる。
しかし、紅葉はすぐに視線を外してしまう。その一連の動作が気になり、香取は遠慮がちに声をかけた。
「コイツが見えるの?」
「……だりぃ」
紅葉はバターサンドを袂に入れながら、彼らしい言い方で答える。
袖から引き抜いた指先からは、白い炎が揺らめいていた。
「菓子の礼だ。うぜぇなら祓っとくぜ」
その言葉を聞くなり、千代之介は大慌てで香取の後ろに逃げ込む。
香取は背後の千代之介を気にしながら苦笑した。
「考えとくよ」
「……そォかい」
その返事に、紅葉は長い前髪の間から落窪んだ赤い瞳を覗かせて不気味に笑う。
どうやら、千代之介の姿は一般人だけでなく、妖怪や普通の陰陽師にも見えていないらしい。
少し妙な話だ、と香取は思った。姫野椿には千代之介の姿が見えたし、何より霊力のない自分にも、彼と会話ができるのだから。
「皆様、大変お待たせいたしました……«路»が完成いたしました」
テーブルの上で鎮座したままの八重花が言った。壁には水で出来たリングが出現し、その先はまるで渦のようにうねっている。
いよいよ、鬼道家を離れて神和樹海へ向かう時だ──。




