【小さな師匠】1
「楓、楓っ! 朝だぞー! 起きろー!」
なぜだろう。さっきからずっと、けたたましい声が聞こえるのは。
僕は反射的に布団を頭から被ったが、そんなのお構い無しで頭の上に柔らかいものが乗っかってきた。
「陰陽師の朝は早いんだぞー! 起きて修行するぞ!」
「……うるさいな。まだ修行の時間じゃないだろ」
僕は布団から手を出して頭の上にいるものを払……ったが避けられてしまったようだ。
獣特有の香ばしい臭いが僕の鼻先に近づく。
「楓っ、オイラとランニングしよう! 早朝のランニングは気持ちいいからなっ!」
「嫌だよ、何時だと思って……三時半? お前馬鹿だろ……」
僕は古びた目覚まし時計を暗がりの中で確認すると、再び布団を頭から被った。朝の修行は早朝六時からと決めているし、それに今夜は寝た気がしない。
親父の奴、遅い時間まで豆狸と酒盛りしやがって……。
寝ようとするたびにお酌をせがまれて結局布団に入れたのは日付が変わってからだった。
ってことは三時間も眠れてないじゃないか……今日は学校なのに。
「部屋に戻って寝ろよ……おやすみ」
「わー! 寝るなってば、楓!」
耳元でキャンキャンと鳴きながら獣臭い毛玉が駆け回る音が聞こえる。
僕は聞こえないふりをして寝る準備に入った。……のだが。
「起きんかッ! 鬼道楓ッ!」
「はいッ!?」
突如耳元で、部屋中を響かせるような野太い声が僕の名前を呼ぶものだから、僕は反射的に布団から体を起こしてしまった。
おそるおそる振り返ると、そこには大柄の体育教師……じゃない。豆狸がちょこんと座っている。
「へへっ、起きたな」
「ま、豆狸……いきなり日熊先生の声で大声を出すのはやめてくれ、心臓に悪いだろ」
嫌な高鳴り方をしている胸を押さえながら言うと、豆狸はニシシと笑って僕の傍に四つ足で近づいてきた。
「なあなあ、着替えてひとっ走り行こうぜ。オイラ体動かさなきゃ死んじまう」
「休日なら付き合ってやるから寝かせてくれよ……」
キラキラと目を輝かせながら懇願してくる豆狸に、僕は額に手を当てて俯いた。ああ、無理やり起こされたせいか頭痛がする……。
「付き合ってくれたら……妖怪のいる場所、教えてやるのになあ〜。儲かるぞ? 絶対」
「……妖怪の居場所なら僕も知ってる」
僕が俯いたまま言うと、豆狸は驚いたような声を上げた。
「ええっ? ど、どこだ?」
「ここだ」
オロオロと辺りを見回している豆狸を一瞥した僕は片手で豆狸の頭を鷲掴むと、そのまま布団の中に引きずり込む。
ふかふかとした体毛は結構抱き心地が良かった。臭いけど。
「ふぎゃっ! なっ、なにすんだよぅ!」
僕の腕の中で苦しそうな悲鳴を上げている小動物を無視して、僕は瞼を伏せる。
……ちょっと豆狸の体に顔を寄せてみたけど、やっぱり臭い。鼻がツンとするような香ばしい獣臭さだ。
でも何でだろう。この獣臭さが、少し懐かしい。
「変なの……」
舌の回らない声でそう呟くと、苦しげに呻いていた毛玉が腕の中でもぞもぞと体勢を変えた。
「何か言ったか?」
「言ってない……」
僕は問いかけられるままに答えると、再び小さな毛玉に顔を埋める。
こんなにも臭いのに、不思議と落ち着くのは何でだろう。僕は臭いフェチでもなんでもないのに。ふかふかとした体毛は、僕を再び眠りに誘ってくる。
夢か現か、ふわふわの毛玉が僕の頭を撫でてくれたような、そんな気がした。




