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最弱陰陽師は、自分にかけた呪いとまだ向き合えていない  作者: ふみよ
4部(狐の輪 教え授けし鬼遊び編)

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【狐の輪 教え授けし 鬼遊び】14

「傷を治しても、貴様の力は回復していない。今向かうのは愚策だ……やめておけ」


 襖に手をかけ、今まさに部屋から出ていこうとしていた彼に声をかけたのは、豪鬼(ごうき)だった。

 その赤い瞳には、未だ癒えぬ八雲(やくも)の輪郭が、まるで陽炎のようにぼんやりと揺れている。

 八雲はその視線を訝しげに受け止めていたが、やがて舌打ちをして襖から手を離した。


「今から登山かよ。だりぃ……」

「あんたはそればっかだね」


 2人のやり取りをよそに、紅葉(くれは)江都(えと)は緊張感のない様子で、早速神和樹海(かむなぎじゅかい)へ向かう計画を立てている。


 大人たちの打ち合わせを聞きながら、香取(かとり)はひとり所在なげにうつむいていた。

 こんな時、意気揚々と話しかけてくる千代之介(ちよのすけ)は気配すら見せない。


(あれだけ人を焚き付けておいて……もう成仏したわけ?)


 いつもならここで、彼は空気を読まずに話しかけてくる。自分の創作欲のためだけに香取に本を手に取らせ、現代の怪異をその目で見たがっていた、何とも迷惑な幽霊作家。

 けれど今、彼は姿を見せない。たったそれだけのことが、香取を無性にイラつかせていた。


 そんな時。


 香取の手に、()()が触れた。それはずっしりと重みがあり、ひんやりしていて気持ちがいい。

 ビクッと体を震わせて手元を見ると、白く艶のある鱗が目に飛び込んできた。

 太く、重みのある胴体。それが腕に絡みつこうとしている。


「うわあああッ!?」


 悲鳴を上げた香取はのけぞり、思わず尻もちをついてしまう。


「ほにゃ!」


 悲鳴を上げる香取に驚いて、蛇が情けない声を上げた。それがますます混乱を煽り、腰が抜けてしまった香取は、這うようにして江都の袖にしがみついた。


「な、何かいる! 何かいるッ!」


 香取は、あまりのパニックで語彙力すら崩壊しながら叫んだ。江都の肩口から、紅葉と猿神(さるがみ)が顔を覗かせて香取の指した方向を目で追う。

 畳の上には、立派な白蛇が堂々ととぐろを巻いていた。その蛇の頭には2本の角と、そして下肢にはまさかの足が生えているのだ。


八重(やえ)ちゃんじゃん」


 そんな香取の混乱をよそに、猿神は躊躇いもなく蛇の胴体を両手ですくい上げる。

 蛇の胴体が優雅に揺れながら、猿神の顔の近くまで持ち上げられると──白蛇は、人間のように頭をもたげて言った。


「お、驚かせてしまって申し訳ございませんっ……(わし)です、お分かりになりますか? 香取様」


 赤い瞳をした蛇は、おろおろしながら頭をもたげている。

 どこかで聞いた気弱そうな声と名前に、香取は『あっ』と声を上げた。


「八重、花……さん?」


 その名を口にした瞬間、名前を呼ばれた八重花(やえか)は、嬉しそうにぶんぶんと頭を振って頷いた。

 その鱗はまるで月光を纏ったように淡く光り、角は真珠のような滑らかな質感を放っている。

 しなやかな体をくねらせるその姿は、まさに柳川千尋(やながわちひろ)の本に登場する怪異、ミズチのよう……。

 こんな時まで脳裏を過ぎる胡散臭い赤毛の作家の姿に、香取は思わずかぶりを振った。

 そんな香取を見て、八重花はかわいらしく小首を傾げている。


(ひいらぎ)様の言いつけで……ずっと力を蓄えていたのです。お話は伺っておりました。どうか、儂の力をお使いくださいませ」


 猿神の手の中で身を小さくしながら、八重花が恭しく頭を垂れる。


「ま、先に関東入りしてるはずのあいつが何もしてないわけないか。白蛇様は一体何をしてくれる気?」


 江都は笑って香取の肩を軽く撫でると、猿神に指示をして八重花をテーブルの上に置いた。

 八重花は器用に口を使って、菓子の入った箱に蓋をしてから一同を見上げる。


「ミズチの儂には、ヒトには見えない特別な《路》が見えます。皆様を結界の元に案内することも……」

「ならば今すぐに連れて行ってくれ」


 八雲の声には焦燥が滲んでいる。八重花はおろおろとした様子で頭を下げた。


「も、もちろんそのつもりです。しかし、柊様を待ってからでないと……」

「兄貴はいいだろ。()()()って言ってたし」


 辛辣な紅葉の返事に、八重花はしゅんとした様子で頷く。


「じゃあ確認だけど……敵さんの本拠地に行くのは私と紅葉(くれは)日吉(ひよし)古御門(こみかど)常夜(とこよ)の王様でOK?」


 江都が最終確認を取る。が──。


「いや」


 紅葉が言った。


「そこの嬢ちゃんも連れていく。(むく)に顔がバレてる以上、口封じに遭う危険性もあるんでな」


 きょとんとした様子で、香取が顔を上げる。紅葉の赤い瞳が、まっすぐに彼女を見つめていた。


「珍しいね、あんたがそんな優しい男だったなんて思わなかった」

「うるせえよ……」


 江都にからかわれた紅葉は、嫌そうな顔を隠すことなく舌打ちする。

 やがて、鳥の巣のような自分の髪を片手でかきあげた紅葉は、香取を一瞥するなり一言。


「行くのか行かねえのか、さっさと決めな」


 それだけ言って、ゆっくりと体を起こすのだった。

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