【狐の輪 教え授けし鬼遊び】13
「貴様は、狐輪教とやらにずいぶん詳しいようだ。まるで友人のように語る」
豪鬼が穏やかな声色で言うのを、当の江都は嫌そうな顔をして『冗談やめて』と大袈裟に肩を竦める。
「私は、禍蟲の作り方について教えただけ」
そう言って煙草を手で覆った江都の指の間から、黒い百足が姿を見せる。
香取が小さな悲鳴をあげると、指の間から現れた百足は、するすると江都の腕を伝って袖の中へと消えてしまう。
同時に、江都が咥えていた煙草も、いつの間にか彼女の手から消えている。その一連の動作は、まるで手品か魔法のようだ……香取はそう思った。
江都は、そんな香取の反応が面白いのか、妖艶に笑って説明する。
「せっかくだから、計画について話そうか? 狐輪教はお母様とやらを復活させたがってる。その材料は──」
もったいぶるように言葉を置いた江都は、自分の口元を手のひらで覆った。やがて手のひらが離れると、そこには先程の煙草が咥えられている。
「青い炎と、9つの魂を宿した心臓だ。ついでに、常夜の女王をその身に宿した少女も欲しがってたっけ」
「9つの……心臓?」
口にしてから、この話に加わっていいものか、と香取は思った。一度この輪に入ってしまえば、無関係を装うことはできない。
けれど──彼女は既に物語の中にいる。そこに友人が巻き込まれているなら、なおさら無視はできない。
やがて香取に答えたのは、江都ではなく猿神だった。
「家族の心臓を食いまくって、化け物になった人間のことだヨ」
かわいらしい顔に似合わず、ケケッと下品に笑った猿神が説明する。
人間の心臓を9つ──それも家族を食べるなんて、どう考えても異常者だ。
香取は、胃液がせり上がってくるような不快感を覚えて身震いした。
「じゃ……じゃあ、青い炎って何なの?」
「それはぁ〜……」
続けて尋ねる。
だが、それは専門外らしく、猿神は唇を尖らせて視線を泳がせていた。
「……キイチの、力」
ふと、押し殺すような声で呟いたのは、怪我を治癒されたばかりの古御門八雲。その顔は目覚めた時よりも蒼白になっている。
「あの子の父親は、鬼道柊だ。鬼道の血が流れているキイチには、不思議な力がある……」
またしても、香取の知らない衝撃の真実だったが、一同が特に驚いた様子は無い。猿神だけが、肩を竦めてわざとらしいため息をつくだけだった。
一連の話を聞いて、豪鬼は静かに腕を組む。
「青い炎には、常夜の本源が宿っている。それは理解できる。しかし、白夜の器まで奪った狙いとは……」
豪鬼が何かを言いかけて口を噤んだ。香取たちが静まり返る中、先に沈黙を破ったのは猿神だった。
「常夜香果?」
その言葉を耳にした瞬間、豪鬼の瞬きが不自然に止まる。
かつて豪鬼は、常夜香果は存在しないと断言した。妙に不自然なほど、ハッキリと。
しかし、今の豪鬼の反応は──。
「……やっぱあるんじゃん。嘘つき」
悪意たっぷりに笑った猿神の確信めいた声に、豪鬼は石のように沈黙したまま。
静まり返った居間に、壁掛け時計が秒針を刻む音だけが響いた。
「狐輪教のアジトは、どこだ」
重苦しい空気の中、八雲がぽつりと問いかける。江都は豪鬼から目を逸らし、静かに口を開いた。
「神和樹海。そこに、狐輪教本部の入り口がある」
「自殺の名所じゃねえか。いい場所選んだなァ」
突然、これまでずっと畳の上で横になったままの男が低く笑った。ゆらりと体を起こした男は、長い前髪から覗く落ち窪んだ瞳を泳がせる。その目が、香取に留まった。
「レモンバターサンド」
そう言ってバターサンドのお代わりを要求した腕の細さに、しばらく目を奪われてしまう。
ぼさぼさの黒髪に、和装の合わせから覗く痩せた胸板はとてもあの薙刀男の弟とは思えなかったが、彼とは別の不気味な気配を纏っている。
「……はい」
テーブルの上に広げられた箱から菓子を掴んだ香取は、それを恐る恐る差し出した。
紅葉は眠そうな、はたまた嫌そうな顔をして首を傾げると、『あー』とため息混じりの声を上げ……。
胸の前で、袋を破くようなジェスチャーを見せる。
(コイツ、開けろって言いたいの……!?)
香取は呆れて目を丸くしたが、渋々包装紙の上半分を破いて、もう一度中のバターサンドを紅葉に差し出した。
「ん〜……」
それを指で摘んだ紅葉は、惜しげもなく口の中へと放り込む。
やがて──のそりとした動作で身動ぎし、テーブルの上のコップを手招くと、察した江都が飲みかけの麦茶を手渡した。
それを礼も言わず紅葉が受け取り、喉を鳴らしながら麦茶を飲み始める。白く細い首筋を、飲み込みきれない麦茶が伝っていた。
「もういいの?」
「ああ」
江都に問われた紅葉は、袖で口を拭いながら頷く。そして、こめかみに軽く人差し指を当てながら言ったのだ。
「兄貴は野暮用で合流は無理。オレらだけで向かえってよ。だりぃけど……」
惜しげも無くもうひとつのバターサンドを手に取った紅葉が香取を見た。
「お嬢ちゃん──はて、何て名前だったか」
眠そうな赤い瞳が香取を見つめている。
「た、小鳥遊香取……」
「悪くねえセンスしてるぜ、香取ちゃん」
紅葉はバターサンドを香取に向けて、ニヤリと笑う。その笑みに、少しだけ──本当に少しだけ、楓の面影を感じる。
香取は少しだけ緊張が解けたのか、『上結駅で買ったヤツだよ』と紅葉に教えた。
そんな中……誰にも気付かれずに、今にも部屋から出ていこうとする者がひとりだけいたのだ。