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最弱陰陽師は、自分にかけた呪いとまだ向き合えていない  作者: ふみよ
4部(狐の輪 教え授けし鬼遊び編)

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【狐の輪 教え授けし 鬼遊び】10

「悪くねえな」


 京都からやってきた陰陽師、鬼道紅葉(きどうくれは)はバターサンドを片手に言った。その菓子が誰のために用意されたものなのか、知る由もない様子で。


「ちょっとぉ、八重(やえ)ちゃんいないのぉ? 誰か麦茶持ってきてくんない?」


 猿神(さるがみ)が間延びした声を上げた。彼らが寛ぐ居間の隣にある空き部屋では、深手を負った古御門八雲(こみかどやくも)の応急処置が行われている。

 術を使えば、八雲の傷を治すことは容易い。しかし、その場にいる誰もが()()()()()()()()。彼に施されているのは、ひとまずの応急処置だけだ。


「ねぇ〜、聞こえないのぉ?」


 もう一度、焦れったそうに猿神が声を上げる。無視をしようとした香取(かとり)だったが、江都(えと)に目配せをされ、やがて仕方なく立ち上がる。

 人数分の麦茶をトレイに乗せ、それを客人の元へ運んだ。


「……ほら」

「ありがと♡」


 猿神が無邪気に笑った。

 その眩しい笑顔は、香取がこれまでに見てきたモデルやアイドルが、霞んでしまうほど。雪のように白く長い髪と、ルビーのように赤い瞳、そして──彼女の白い尻尾は、現実味がない。可憐さの中に、危険を孕んだ美少女だった。


「だりぃ……()()()()()はとっくに過ぎてるんだが。あの馬鹿、どこで油売ってんだ?」


 紅葉が気だるげに呟く。そんな紅葉を見ずに、八雲の手当てをしながら、江都が笑う。


()()()が時間にルーズなのは昔からでしょ」


 香取から受け取った消毒液で、傷口を手際よく清潔にしていく。

 返事の代わりに、紅葉は畳の上で大の字に寝転んだ。


 以降、沈黙。


 江都は引き続き、八雲の出血を抑える程度の手当てを再開した。

 猿神は、マイペースにバターサンドを食べ、そして紅葉は木刀を手にしたまま、眠そうな顔で天井を見つめている。

 つい先刻まで、ここでは命のやり取りがあった。それなのに、誰も動揺する者はいない。


 香取だけが、常識を忘れた世界に迷い込んだような心地でいた。まるで、テレビの前にいる視聴者のような、現実味がない光景。

 もう既に、自分自身もこの渦中にいるのに。


「……さっきの奴、何が目的なの?」


 まるで殺し屋のように、躊躇いもなく薙刀を振るった男のことを思い出しながら、香取が尋ねる。

 江都の視線は、手元へ向けられたままだ。

 手際よく八雲の止血を進めているが、根本的な治療は施していない。


「さあ──私は話してもいいと思ってるけど」


 江都の手が、包帯をキツめに巻いていく。その痛みで意識を取り戻したのか、八雲が呻いた。


「ど、け……」


 多量の出血をものともせず、八雲が江都の手を押しのけて、体を起こそうとする。

 しかしその力は弱々しく、傷ついた体は呆気なく畳の上に崩れ落ちてしまった。

 咄嗟に手を貸そうとする香取を、江都がやんわりとした動作で遮る。


「あんた、本当懲りないわねぇ。まだ頭に血がのぼってんの?」


 これ以上流す血もないだろうに、と呆れたように肩を竦める江都。

 八雲は、呼吸を乱しながら傷を押さえている。その額には、脂汗が滲んでいた。


「あんたの大事な()()()は、魔王と一緒に次のステージだよ? おまけに中ボスだって控えてる。HP0で仲間もいない、瀕死のあんたに太刀打ちできると思う?」


 この状況をゲームに例えて江都が畳み掛けるが、八雲は黙したまま答えない。

 薙刀男との戦闘後、八雲は香取たちの制止を振り切って、何度も立ち上がろうとした。

 けれどそのたびに、力尽きて意識を手放してしまうのだ。


「キイチの異変に、気づけなかった……」


 長く押し黙っていた八雲が、呻くように呟く。その手には、血が滲んでいた。傷を押さえた時に付着したものではなく、感情のままに強く握りしめた拳が皮膚を突き破り、鮮血を滴らせている。


「アイツを救えるなら……無価値な俺の命など、喜んで差し出そう」


 それは、狂気じみた宣言。

 香取は、赤く染まっていく包帯を横目で見ながら、小さく身震いした。死に至るほどの傷を負ってもなお、戦うことを諦めない八雲に恐怖して。


 けれど──。


──わかんない。どうして、そんな風に命を粗末にできるわけ?


 香取は、古御門キイチの人となりを知らない。大切な存在だということだけは──嫌というほど伝わってくる。

 けれど、自分の命が無価値だなんて──そんなこと、誰にも言って欲しくはない。


 何故、簡単に命を捨てることが出来るのか。

 怖いくらいに胸に響く言葉に揺れる彼女を、俯瞰して見つめる幽霊──柳川千代之介(やながわちよのすけ)が、満面の笑みを浮かべていた。

 自分には理解できない感情を、それでもなお理解しようと苦悩する少女の姿に。


 あァ──これはいい。

──物語を綴る者として、実に上等じゃァないですか。

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