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最弱陰陽師は、自分にかけた呪いとまだ向き合えていない  作者: ふみよ
4部(狐の輪 教え授けし鬼遊び編)

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【狐の輪 教え授けし 鬼遊び】5

「キイチ──キイチ、起きているか?」


 7月26日。早朝。

 既に出かける準備を済ませた八雲(やくも)が、寝室に声をかける。


 楓が京都に行ってからというもの、キイチは元気がない。寂しいのか、甘えてくることも増えた。

 出来るなら、キイチの傍にいてやりたいし、八雲自身もキイチの傍にいたいと思う。

 八雲は、心配そうに盛り上がった布団を見つめて言った。


「帰ってきたら、一緒にプリンを作ろう。鬼道楓(きどうかえで)が帰ってきた時に、お前がプリンを作れると知ったら、きっと驚くぞ」

「……」


 僅かに布団が動いたのを見て、八雲は微笑む。


「今日は早めに帰れるはずだ。行ってくる」


 八雲は静かに襖を閉めた。

 足音が玄関に向かい、やがて鍵のかかる音が聞こえる。

 布団の中で、ゆっくりとキイチが寝返りを打った。

 その瞳は虚ろで、まるで光を忘れてしまったかのように瞬きすらしていない。


「……」


 誰もいない家の中で聞こえてくるのは、セミの声だけだった。


 キイチは、ふらふらと起き上がり、何かに導かれるようにして襖を開け、玄関へと向かう。

 白い手が玄関の引き戸を開けると、そこに立っていたのは、和傘を差した背の高い麗人だった。


「キミは今、幸せ?」


 金糸雀色の和服を着た麗人が、和傘の下で優しく微笑む。

 彼には、一度会ったことがある。けれど、不思議と以前のような恐怖は無かった。


 かつて同じ問いかけをされた時、キイチは幸せだと答えた。

 兄がいて、八雲がいて、自由に歩けて、学校に通える当たり前の日常。


 果たして、その幸せは、()()だろうか。

 今のキイチには、頷くことができない。


「安心してください」


 麗人の横には、白い服の少年が立っていた。

 彼には初めて会うはずなのに、キイチは何故か、その少年の名前を知っている。


「こは……」


 名前を呼ぼうとした──その瞬間、銃声が響いた。神業とも言うべき反射神経で、麗人の薙刀がその銃弾を跳ね返す。

 息を切らしてそこに立っていたのは、出かけたはずの八雲だった。


「あらあら……キイチくんに当たったらどないしますの?」


 麗人は、くすくすと笑いながら、和傘を少年に預ける。少年は、和傘の中にキイチを招き入れ、慈愛に満ちた声で言った。


「あなたの居場所は、狐の輪が授けてくださいます」


 少年が琥珀色の瞳を優しく細める。その声は、今のキイチには心地よいものだった。孤独や恐怖が、全て包み込まれていく。


「キイチから離れろ!」


 八雲が叫び、再度和傘に向けて発砲するが、瞬く間に懐に斬りこんできた麗人によって防がれる。


「ぐ……はっ!」


 呆気ない一撃によって、青い空に鮮血が舞った。地面にぼたぼたと垂れ落ちているのは、八雲の血だ。八雲は、大きく切り裂かれた胸を押さえて数歩よろめいた。


「キ、イチ……」


 浅い呼吸を繰り返しながら八雲が歩み寄ろうとする。しかし、その体はぐらりと傾いて膝を着いた。


「……ばいばい、八雲」


 魂が抜けたような、キイチの呟き。それが八雲に届いたかは分からない。

 庭先で揺れる無垢な白百合が、血を浴びて黒く染まっていく様子を、冷たい瑠璃色の瞳が静かに見つめていた。

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