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最弱陰陽師は、自分にかけた呪いとまだ向き合えていない  作者: ふみよ
4部(渦巻く檻と水中花編)

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【渦巻く檻と水中花】5

 高千穂(たかちほ)レンには、歳の離れた兄がいる。高千穂財閥長男であり、現小森病院の副院長をつとめている人物。


「お仕事は順調みたいね」


 レンは、モニター越しに映し出された『兄』に話しかける。

 病院の一室なのか、『彼』の背後には薬瓶が整然と並ぶ棚。その足元には、ダンボール箱がいくつも積まれていた。

 テーブルの上にちょこんと座っているうさぎのぬいぐるみこそが、レンの兄にして究極の人間嫌い、高千穂三千彦(たかちほみちひこ)だ。


『まあ、何とか……』


 ぬいぐるみに仕込まれたマイクから、男とも女ともつかない合成声が聞こえる。

 画面の中の『兄』は、ボタンの取れかけた目でじっとレンを見つめていた。くたっとしたタオル地の体は、長いこと洗っていないのか、薄汚れているようだ。


『それより、王牙が心配していた。狐輪教(こりんきょう)の悪事を暴くって言ってたよね』

「ご心配なさらず! 私が狐輪教の悪事を暴くから! 誹謗中傷のメールもバンバン来てるけど全部開示請求してやったわ!」


 レンは威勢よく胸を張り、兄の心配を吹き飛ばすかのように笑った。

 兄は、ぐにゃりとしたタオル地の体をテーブルの上に乗せたまま。けれどそのぬいぐるみが、少し微笑んだように見えた。きっと、普段と変わらない妹の姿に安堵したのだ。レンはそう確信して話を続ける。


「私は昔から自分が正しいと思ったことだけして生きていきたいの。それは敬愛するお祖母様の生き方でもあるでしょ? それにね──お兄様」


 物言わぬ兄に、レンは勝気に笑ってウインクする。私を甘く見ないで、とでも言うように、とびきりの笑みを見せた。


「高千穂レンは、怪異が大好きなの!」

『……本当に、お祖母様そっくりだ』


 言葉数こそ少ないが、兄は笑ったようだ。

 レンは満足そうに、小皿の上のチョコレートを数粒口に放り込む。


「ところで、調べてくれたかしら? ワクチンのこと」

『ん、ああ……』


 兄は、少し口ごもるように答える。

 7月に入ってから、自由共生党(じゆうきょうせいとう)が急がせている予防接種。それは『集団ヒステリー』を引き起こす、未知のウイルスに対するワクチンだ。既にメディアでも盛んに報じられ、国民が安全に暮らせるようにとワクチンの接種を勧めている。


小森七月海(こもりなつみ)は、狐輪教や古御門家と協力して新薬の開発を進めていた。それが今回のワクチンだったんだ』


 前院長、小森七月海こと尾崎七月海は、陰陽師の霊力を搾取していた。

 小森大学病院は、陰陽師専門の医療機関であり、多くの研究が行われている場所。古御門家の絶大な支援を受けていたが、現在は全ての権限を高千穂家が持っている。


『あのワクチンは、表向きはただの風邪薬。だけど……』


 ふと、兄は少し沈黙した後、静かにレンの名前を呼んだ。


『僕たちはあくまでも一般人。僕は医者として人を治し、君は友達を助ける手伝いができる。だけど、僕たちは陰陽師じゃないんだ』


 その言葉の意味を、レンは理解している。わかっていても認めたくなかった。


「これ以上、深入りはするなって言いたいの?」


 ぬいぐるみは、何も言わなかった。けれど、その無機質なボタンの目が、どこか悲しそうに見えてしまう。

 レンは、椅子を蹴るように立ち上がった。


「何か言って、お兄様ッ──」

『レン』


 マイクの微弱な振動を受けたのか、ぬいぐるみの体が、くにゃりと横たわる。


『上の引き出し……開けてごらん』


 言われるままに引き出しを開けると、そこにあるのは茶封筒に入った書類と、小型の白いケース。


「お兄様、これ……」


 封筒の中には、極秘と刻印された書類が数枚。ワクチンの作用と、それが人体に及ぼす深刻な影響を記した報告書。

 これが本当のことなら、確かに一般人であるレンにこれ以上深追いすることはできない。しかし、兄はそれをレンに見せた。


『小森病院の副院長としては動けない。だけど高千穂財閥の研究結果として、世間に公表することならできる』


 ぬいぐるみの表情は変わらない。だが、どこか得意げに見える。

 兄も水面下で動いていたのだ。


 もうひとつ、引き出しの中には、小さなケースが入っている。中身は、どうやらワイヤレスイヤホンのようだ。

 兄いわく、総連から特別に借りた呪具だという。


『役に立つかどうかは分からないけど、お守りにはなるはず』

「ありがとう。大好きよ、お兄様!」


 目の前に兄がいたら、きっと抱きついていたはずだ、とレンは思った。高千穂レンにとって、三千彦はいつでも自分の味方で、尊敬すべき大好きな兄だ。たとえ人前にその姿を見せなくても、彼の愛情は確かに伝わっている。


 それから、カフェでの一件を経て、阿來(あく)から連絡が来た。教祖からの許しを得たというのだ。

 待ち合わせ場所に指定したのは、都内のビジネスホテル。当然、高千穂財閥の運営するホテルだ。

 レンは、撮影機材を抱えたまま慎重にホテルのロビーに足を踏み入れた。


「お久しぶり」


 黒いマーメイドワンピースを着た阿來に出迎えられて、レンはエレベーターに乗り込む。


「すごい荷物ね。半分持つわ」

「結構よ。そんなに重くないから」


 彼女が善意で申し出たのかは定かではない。レンに拒否をされた阿來は、差し出そうとした手を遠慮がちに下ろした。


「部屋に着いたら撮影を始めるわ。そしたら全世界に生放送されるから」


 レンが横目で阿來の表情を窺う。阿來は『ちょっと緊張するわね』と苦笑した。無理やり平常心を装っているのか、表情が強ばっている。

 あえてそこを突くように、レンは挑発的に笑った。


「やましいことをしていないなら気にする必要なんてないでしょ?」


 阿來は、黙ったまま引きつった表情を浮かべる。エレベーターの中で、静かな緊張感が高まっていく──。


 やがてエレベーターが停止した先には、しんと静まり返った廊下が広がっていた。

 阿來に続いて、突き当たりの部屋の前へやってくる。

 カードキーをかざして解錠した先には、高層ビルを見渡せる景色が広がっていた。レンは早速その場に、撮影用のカメラを設置していく。


狐白(こはく)様を呼んでくるわ。少し、待ってて」


 そう言って、阿來が部屋の奥へ入った。

 レンは、荷物から三脚を取り出し、窓際にセットする。その隣にカメラを設置し、レンズを調整していった。手早い動きで機材を整える中、ポケットから取り出した小さな黒いケースを壁際の棚に置く。


「──高千穂さん」


 不意に阿來が顔を覗かせた。棚の傍に居るレンの顔を見た阿來は、ニヤリと笑って縦長に裂けたような瞳孔を細める。


「紅茶とコーヒー、どっちがいい?」

「要らないわ」


 レンの素っ気ない返事に、阿來は『そう』と言って、再び部屋の奥へ戻った。

 阿來が部屋の奥へ消えたことを確認したレンは、静かに深呼吸して機材の最終確認を始める。手を動かしながら、別の小型装置を隅の観葉植物の裏に押し込んだ。


「これでよし……」


 レンは視線をカメラに戻し、何事もなかったかのように準備を続けた。

 一体どんな人物が現れるのかと、期待と緊張がレンの胸を掠める。


「あまり阿來をいじめないでください、高千穂様」


 少年とも少女ともつかない声が、部屋の奥から聞こえた。


 小さな衣擦れの音と共に現れたのは、淡雪のように儚げで、柔和に微笑む白髪の美少年。阿來とは明らかに違う緊張感に、レンの喉は無意識に音を立てる。


尾崎狐白(おさきこはく)です。どうぞ、お手柔らかに──」


 狐輪教の主はそう言って、尾崎九兵衛(おさききゅうべえ)と同じ琥珀色の瞳に、レンを映すのだった。

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