【渦巻く檻と水中花】4
7月24日。あれからフォロワーは右肩上がりに増え、レンの投稿は様々な波紋を呼んでいる。影響力も出てきた分、捨てアカウントからの警告DMも増えてきた……。
レンを怖がらせようとしている者の中に、恐らく本物の狐輪教もいるのだろう。
当然、すべて笑って受け流した。
元々、直進しかできないレンに、引き返すという選択肢はなく──逃げるという言葉も存在しない。
ハクの居場所を探すため、高千穂財閥の技術をフルに駆使して作業にあたった。
「お嬢様、あと1分でアフタヌーンティーのお時間です」
「あら、そう?」
寝ずに作業を続けるレンの傍には、忠実な使用人たちが常に付き添っている。
集中力を持続させるためのハーブティーと、作業に没頭できるよう、小皿に高級チョコレートが並ぶ。丁寧なハンドマッサージも、使用人たちの仕事だ。
それも全て、レンを信じる高千穂家の支えがあってこそ。
だが、敵もただ黙っているわけではない。 SNSで執拗に、レンの発言を陰謀だと決めつける者たちの中には、実際に行動を起こした過激派もいる。
高千穂家の取引先企業が、嫌がらせで損害を被り始めたのだ。放置しておけば、損害はさらに大きくなっていくだろう。
「まさに、想定内と言ったところかしら」
レンは怖気付くどころか、さらに闘志に火がついた。そんな強気なレンを面白がるフォロワーも増え、狐輪教に勧誘を受けたという者が何人も告白してくれた。
案内役として、くるるという女が存在し、彼女が狐輪教のグループチャットに誘ってくれることは、既に王牙から聞いている。レンは、すぐにその連絡先を手に入れた。真正面からくるるとコンタクトを取るために。
意外にもくるるはレンを受け入れ、一度顔を見て話したいと言う。場所の指定は、レンの希望を受け入れた。
SNSでの騒動を、狐輪教が知らないはずはない。それでもレンの挑発に乗ったのは罠か、あるいは別の思惑か──。
どちらにせよ、レンは遠慮なく高千穂財閥が運営するカフェを指定した。
時刻は午後3時。すらりとした背の高い美女がカフェへやって来た。サングラスから見える切れ長の瞳が、カフェの内装を一瞥する。
カフェに居る人間は、全て高千穂財閥の者だ。警戒した様子を隠しながら平然と業務を続ける店員や一般客を装いつつ、くるるを意識している。
「素敵なお店ね。緊張しちゃう」
さも内装に見とれていたかのように、女は店内を見て微笑んだ。
年齢は30代半ばと見える。化粧の濃い、派手好きそうな女だ。そのクロコダイルバッグには、ちらりと動物の毛で作られたキーホルダーが揺れていた。
「それが家族の証ってやつ?」
レンの視線に気づいたのか、それとも、あえて見せたのか、女はくすくすと笑いながらバッグを下ろして自分の隣へ置く。
「あら、インタビューはもう始まってるの? まだ自己紹介もしてないのよ」
女は、困ったように笑ってレンの前に座った。強い香水の香りに、レンは思わず顔をしかめる。
「私は、鰐島阿來。狐輪教の伝道師よ」
「……高千穂レン。よろしく」
レンは、形式的に女と握手を交わす。阿來と名乗った女は、妖艶な笑みを浮かべているが、レンは表情ひとつ変えない。
店員を呼びつけ、アイスコーヒーとクリームソーダを注文したレンが口を開いた。
「早速聞かせてくれる? 狐輪教の教祖の名前は尾崎狐白。尾崎家の当主よね」
メニュー表を伏せながら問いかけたレンに、阿來の表情が僅かに強ばる。しかし、それも一瞬だった。
「あら──知ってたの」
かろうじて平静さを装っているが、その目は笑っていない。
(驚いた? 高千穂家と御花畑家の情報網を舐めない事ね!)
レンは内心含み笑いを浮かべるが、顔には出さない。狐輪教との戦いは、既に始まっているのだから。
「尾崎家は憑き物筋の一族と蔑まれ、ずいぶん迫害されたんですって。差別のない世界を作りたいとか触れ回ってるらしいけど、どこまで教祖の本心なのかしら。本当は、自分たちを迫害した世界に復讐するつもりだったりして……」
ここまでの情報は、尾崎九兵衛が東妖高校に赴任することになった際に、高千穂家が徹底的に調べ上げた情報だ。
古御門家に取り入った狗神鏡也とその養子である九兵衛の狙いは、御伽噺にしか存在しない古の果実だった。その秘密を知る鬼原家の長女が誘拐されたということは、やはり狐輪教も例の果実を求めていると見て間違いない。
レンの推理に、阿來が眉間に皺を寄せて沈黙する。
「私は……ただの伝道師。狐白様自身のことについてはわからないわ」
「じゃあその尾崎狐白に会わせてくれる?」
間髪入れず、強い語調で被せるように言われ、阿來はかなり不快に感じたようだ。
しかし、それを態度に表さないよう、つとめて穏やかに──だが先程よりも、ずっと低い声で言った。
「私の言葉は、全て狐白様のお言葉よ。知らないのも無理はないけど、あのお方に夏休みは無いの。あなたのような学生さんと違ってね」
阿來の顔は笑っていたが、その瞳は全く笑っていない。縦に細長いスリットの入った瞳孔は、獰猛な動物を連想させる。
しかし、その程度で怯むレンではない。彼女には、とっておきの切り札があるのだから。
「あっそう。知ってるのよ、ワクチンのこと」
阿來の表情が強ばったのを、レンは見逃さなかった。しかし、気づいていないフリをしてわざとらしいため息をつく。
「教祖様が出てこないつもりなら仕方ないわ。高千穂家が独自に入手したこの情報は世間に公表するとして──あなた、もう帰っていいわよ」
これは賭けだった。既に狐輪教の信者たちによって友人がさらわれ、後輩は傷ついた。このまま、何の収穫もなく帰すわけにはいかない。
阿來は必ずこの挑発に乗ってくると、これまでの会話のやりとりから推測する。
「……私に何をさせたいの?」
低い声で阿來が問いかけた。まんまと挑発に乗った阿來を見て、内心勝利を確信する
。
「尾崎狐白を連れてきて」
レンの狙いは、最初からそれだけだ。狐輪教の信者と長話する暇もない。
阿來は、店員から運ばれてきたアイスコーヒーを見つめたまま沈黙する。レンも、一言も発することなく阿來を見つめていた。
やがて、気の遠くなるような時間が過ぎた後に聞こえたのは、阿來の『わかった』という諦めたような声だ。
「相談──は、してみるわ。出来るかどうかは……」
「3度目は言わないわ。連れてきなさい」
レンは、アイスの溶けかけたクリームソーダを一気に飲み干した。それは、反論すら許さない命令。
阿來は少なくとも1分は沈黙した後、今度こそレンに聞こえるようにため息をつく。それは、喉まで出かかった苛立ちを押し殺すような、暗く沈んだ音だった。




