【渦巻く檻と水中花】3
「本当に馬鹿ね! あの子は!」
夜も深まったファストフード店『バーガーロード』に、一際大きな金切り声が響く。
「叱りたくても連絡がつかないじゃないッ!」
「きゃはっ☆ ブロックされてますねぇ、これ☆」
ポテトをつまみながら、ケラケラと琴三が笑う。今はそんな琴三に注意をする気力がある者など居ない。
この場に居るのは、月桂神社での騒動から避難してきた高千穂レンと三毛琴三、そしてバイト上がりに慌てて駆けつけた鬼原ゴウの三人だ。
「橘の容態、ちょいと心配だな」
ゴウがレンに目配せをした。
一命は取り留めたと宿儺には伝えたが、海斗の体はまだ予断を許さない状態だ。何せ、意識が戻っていない。
外傷こそあっても、骨が折れて臓器が損傷したような重体というわけではない。海斗のプライバシーもあり、病院側から詳しく聞くことは出来なかったが、どうやら精神的なものも関係しているようだ。
何より、彼の家族は相当なショックを受けていた。
もし、今回のことが粟島宿儺の責任となれば、本当に警察沙汰になるかもしれない。
「だからって部活を辞めるとか退学とか、冗談じゃないわ!」
レンは再び大きな声で叫んだ。普段からよく通るレンの声量は、深夜のバーガーロードに響き渡る。疲弊した様子のゴウがたしなめるようにレンを呼んだが、当然彼女の耳には入っていない。
「私のオカルト研究部が次の代で廃部なんて許されないのよ!」
「おい、どこ行くんだよ馬鹿千穂」
レンが勢いよく振り返ると、高い位置で結ばれたツインテールが激しく跳ねた。
「私は私のやり方で悪を裁くの! この高千穂レンに不可能はないのよ。解散!」
一方的に解散を言いつけたレンは、バーガーロードの前に停まっていた高級車へと乗り込む。
(こんな大変なことになってたなら、もっと早く私に相談しなさいよ……!)
恨み言をハクに向けてみるが、本人は傍に居ない。せめて無事に帰ってくれたことを願うばかりだ。
レンのため息を合図にして、車が走り出した。
車内テレビの中では、当たり障りのないニュースが流れている。どうやら、暴動の件は集団ヒステリーだと報道されていた。メディアは、特攻服を着た少年たちに罪をなすり付けるつもりらしい。
『この夏から本格実施されている自由共生党主導のワクチン接種キャンペーンでは、同様の発作や感染リスクを抑えるため、未接種者への注意喚起が強化されています……』
すかさずワクチンの話に移行する。
ふん、と鼻を鳴らしたレンは、使用人に命じてタブレットを受け取る。SNSでは、月桂の暴動の件で持ち切りだった。暴走族たちの組織は、その目立つ特攻服からガットフェローチェという名前であることも把握されている。
『先月から相次ぐ集団失踪事件。その背後には、狐輪教の影がある。当然、月桂の事件もそういうこと』
レンが呟きを投稿すると、それはすぐに拡散された。憶測で引用する者、馬鹿にする者、面白がる者。反応は様々だが、顔や本名が分からない分、彼らはレンの話に興味があることを隠そうとしない。
さすがの自由共生党も、インターネットまでは規制できないようだ。
「お嬢様、狐輪教は警察内部にも潜り込んでいるようです」
年老いた運転手が言った。レンが幼い頃から高千穂家で働いている使用人だ。いつもレンの暴走をあたたかく見守ってくれる祖父のような存在でもある。
「オカルト研究部は、私が作った部活よ! 狐輪教のせいで部員がバラバラになるなんて絶対認めない!」
「さようでございますね」
運転手は穏やかな声色で返事をした。レンは、スマートフォンの画面を高速でタップしながらSNSでの呟きを加速させる。
書き込んだのは、狐輪教が暴走族を使って罪のない子供を怪我させたこと。
それだけではない。『今から一週間以内に不審なカルト教団、狐輪教の謎を暴きます』と打ち込み、配信予定のURLを本文内に張り付ける。
その投稿からわずか数時間で、レンの発言はSNSのトレンドを支配した。
元々、レンのフォロワーには芸能人も多く、拡散力も高い。身バレを恐れて、匿名で情報を流してくれる者も居た。
そして──父の会社からは、護身用スタンガンやドローン、撮影用機材を借りることに成功する。彼女の父は、娘が危ない目に遭うことを心配していたが、レンの頑固さを誰より知っているため反対することもなく、全面協力を許可するのだった。
そして、もっとも力強い協力者は──。
『想定外、だ』
スマートフォンの画面に映し出された少年は、余裕のない様子でため息をつく。
警察庁長官の息子であり、狐輪教に誘拐されて生き残った貴重な証言者──御花畑王牙。彼が誘拐されたことは、ごく一部の関係者しか知らない。もちろんレンもその中の一人。
現在、王牙は小森病院に居る。ハクの保護をレンに託された王牙は、無事に務めを果たしたようだ。しかし、ビデオ通話で見た彼の顔は酷く疲れているように見える。
『……悪い知らせしかない』
「構わないわ」
レンが答えると、王牙はこめかみを押さえていた手を離してため息をついた。
『カトシキと連絡が取れない。鬼原ハクの安否も不明……』
王牙が重々しいため息混じりに呟く。狐輪教の存在がレンの脳裏をよぎった。
「粟島くんは? 金髪の子が居たでしょ」
『橘海斗と同様、こちらの保護下だ』
その言葉を聞いて、レンはひとまず安堵する。しかし、問題はハクのほうだ。あれから、GPSに反応がない。電子機器が妨害されているのか、あるいはハクの身に何かあったのか──。
『妙なことを考えているならやめておけ。あれは、ただの女子校生に太刀打ちできる奴らではない』
画面の向こうから、低く重々しい声で王牙が言った。狐輪教の危険性を、身をもって体験しているからこその警告。
しかし、レンは鼻で笑った。
「私は無策じゃないの。危険は承知の上よ」
心の底では、怖くないはずはない。怒りと興奮で、それを覆い隠しているだけだ。
けれど、ここで引き下がるつもりなどない。
言うだけ言って、一方的に通話を終えようとするレンを、王牙が引き止める。
『お前はこの件とは無関係だ。なぜ、そこまで首を突っ込む?』
王牙の問いかけに、レンは口の端を上げて強気に笑った。
「そんなの──私が高千穂レンだからに決まってるじゃない!」
不安も恐怖も吹き飛ばすように言い切ってみせる。
長い長い沈黙の後に、やがて何もかも諦めたようなため息が聞こえた。
王牙は、眼鏡のブリッジを指で押さえている。
『全く……従兄妹と言うのも困りものだ。考えていることが手に取るように分かる』
まるで鏡を見ているようだ、と王牙は少し自分を省みたようだ。大満足の反応に、レンはニヤッと笑った。
──確かに、血は争えない。




