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最弱陰陽師は、自分にかけた呪いとまだ向き合えていない  作者: ふみよ
4部(渦巻く檻と水中花編)

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【渦巻く檻と水中花】2

 かつて──未知の世界の物語は、幼い千代之介(ちよのすけ)が明日を生き抜くための、たったひとつの糧だった。


 常夜(とこよ)。鬼。妖怪。目に見えぬものたちの存在。

 それらを、まるで昔の知り合いのように語る者がいた。

 彼に言葉を教え、本を読み聞かせ、時に微笑み、時に恐ろしく厳しかったその者は──幼い千代之介にとって、紛れもなく『母』であり、尊敬すべき怪異()


 その怪異()が今、目の前にいる。


「……マジですか?」


 衝撃の発言に絶句していた香取(かとり)の口からようやく漏れた言葉。


「長く生きてりゃそういうこともあるわよ。ちょっと手伝って」


 椿女は、隠す様子もなくあっけらかんと言って如雨露を香取に押し付けた。

 思考が追いつかないまま如雨露を受け取った香取は、気付けば言われるがまま、花壇に水を注いでいく。


「毎日暑くてたまんないわ。こればっかりは何百年経っても慣れないわね……ほら、そっちもお願い」


 香取は、いつの間にか椿女に命じられるまま、花壇の水やりで駆け回っていた。

 花壇が終わったら、次は学校の敷地内に植えられた木にまで水やりを命じられる。


「あ、あづいにゃ〜……」


 滝のような汗を流しながら花壇の周りを駆け回っていた香取は、やがてへなへなと椿の木の根元に座り込んだ。さすがの香取も、ハンカチで汗を拭いながら息を切らしている。


「香取センセが素直に信じてくれたら、こんな苦労することもなかったでやんす」

「く……ふふふ……水分補給する美少女のイベントスチルが回収できただけでも、汗水流した甲斐はありました、にゃ……」


 ぐったりしてよく分からないことを満足げに呟く香取を扇子で仰ぎながら、千代之介が苦笑した。

 そんな二人に近づいてきたのは、ペットボトルをふたつ手にした椿女だ。その中のひとつを香取に渡した椿女は、運動部が片付けを始めた様子を遠巻きに眺めながら口を開く。


「それで──あんたは何でこんなところに来ちゃったわけ? 千代」


 椿女らしい、ぶっきらぼうな問いかけ。


「……」


 何故か妙な間をおいて答えようとしない千代之介に、香取が図書館での出来事を身振り手振りを交えて説明する。

 椿女は黙って聞いていたが、やがて『ふぅん』と言って冷えたペットボトルのキャップを開けた。中身は、桃のエキスがたっぷり入った清涼飲料水だ。


「妹を死に追いやった妖怪に狙われている、鬼道家の末裔を助けに……ねぇ?」


 椿女の瞳が細められる。それは胡散臭い詐欺師を見るような──あるいは嘘をつく子供をでも見るかのような、冷ややかな母の眼差し。

 次の瞬間、千代之介の足元から鋭く尖った木の枝が勢いよく突き出た。


「わひゃっ」


 見事な跳躍で避ける千代之介。幽霊とは思えない身軽さである。


「嘘おっしゃい。あんたがそんな人情味溢れる聖人なわけないでしょうが」


 椿女は、足元の枝を引っ込めて鼻を鳴らす。


「大方、本のネタになりそうだから出てきただけでしょ。あんたって昔からそういうとこあるわ」


 椿女は、心底呆れたように深いため息をついていた。ぺろっと千代之介が舌を出す。


「どうせ最後まで書ききれなくて死んだのが心残りで、いつまでも本の中に引きこもってたんでしょ? 未完のまま終わってるもん、あんたの本」

「読んでくださったんですかぁ?」


 千代之介は、どこまでも悪びれもなく目を輝かせている。椿女はため息をついた。


「つまり、文豪殿……あの女性のえちえちイラストも、嘘だったってことでよろしいデスカ?」


 香取が、分厚い眼鏡越しに冷ややかな眼差しを送る。


「いやいやぁ、本を手に取った人の因縁によって、絵の姿ってのは変わるもんです。つまり……」


 千代之介は、くすっと笑って妖怪伝の本を胸に抱きながら香取の目の前に回り込んだ。その手には、鬼道楓にそっくりな女性が描かれた紙切れが握られている。その絵は煙のように消えると、やがて香取自身の姿を浮かび上がらせた。


「香取センセについていけば、あちきはもっと面白いものが見れるってことですよ。死んでもなお止まらないんです、人間の創作欲ってヤツはね……」


 そう言って笑う千代之介の顔は、憎らしいくらいに妖艶で──。

 創作者という業を背負った者特有の、どこか狂気じみた目をしていた。


「変な子に憑かれたわね。祓っていいわよ、こんな奴」


 椿女が、呆れたように言って桃のジュースを飲み干した。空気圧で、パキッとペットボトルの潰れる音が静かに響く。


「……はあ、でも……久しぶりに外で汗を流した気が──」


 毒気の抜かれたような顔で笑う香取の視界が、ほんの一瞬歪んだ。

 空は、にわかに曇りはじめ、太陽を隠すような黒雲が立ち込めている。幸い、香取が持参している傘は、雨晴兼用だ。雨だけなら何とか耐えられるが、強風が伴うと話は別──。

 いや、そういうことではない。


「嫌な風ね」


 如雨露を片付けながら椿女が言った。椿女につられて空を見上げていた香取は、ふと千代之介の間の抜けた声に気を取られる。


「何?」


 香取は眼鏡をズラして赤い瞳を覗かせた。それによって、彼女のテンション及び言動も再び元に戻る。


「いやァ──あの人、ずーっとこちらに手を振ってますけど。センセのお知り合いで?」


 千代之介が指した方向へ目をこらすと、グラウンドの遥か先でフェンスに齧り付くように身を乗り出した男が、こちらに向かって手を振っていた。顔はボヤけてよく見えない。


「おォォ……い」


 妙に間延びした声。その声は、風に乗って不気味に揺れている。それだけの光景が──香取の赤い瞳には、やけに不気味に映った。


「し、知らない。変質者……?」


 自然と香取の腕には鳥肌が立っていた。

 今日も東京は真夏日。西日が傾き始めたとは言え日差しは相変わらず強く、空気が揺らいで見えた。


「おォー……い、早く──おいで──」


 間延びした声が言う。ぐらぐらと陽炎のようにその体が揺れていた。

 香取が目をこらそうとした瞬間、強く体が引っ張られるような気配がして──。

 先程まで遠くで手を振っていた男が、香取の目の前に居た。


「……ッ!?」


 にた、と男が笑う。慌てて周囲を見回すと、そこは花壇から遠く離れたグラウンドの隅。僅か一瞬で、香取の体は男の元に移動したのだ。


「キタ……」


 それは、不気味なほど満面の笑み。唇の端がぷつりと裂けて赤い肉が覗く。次の瞬間、顎が外れて大きく開けた口から覗いたのは黒い手だった。

 まずい、と本能的に香取が身を翻す。


「や……!」


 まるで紐のように伸びてきた手が、香取の足首を掴んでその場に倒した。転んだ拍子に、強く打ち付けた膝から血が滲んだ。


(ありえない。明日の撮影……どうしよう)


 脳裏に浮かぶのは、商売道具である自分の体の心配だった。

 抵抗する術すら持たない香取に、男は長い舌を出してケタケタと笑うように肩を震わせている。


「タベタイタベタイタベタイタベタイ」


 壊れたラジオのように呟きながら、男の手が香取の首を絞め上げてくる。その力はあまりにも強く、香取の顔が赤く染まっていく。


「が、はッ……」


 男の足を強く蹴ってもがくが、化け物の力には到底敵わない。身を守る術すら、香取は持ち合わせていなかった。

 陰陽師の素質もなければ、ただの一般人である彼女が怪異に太刀打ちできるはずもない。


「……ったく」


 呆れたようなため息と共に、世界が赤に染まる。

 それは、赤い椿の花びらだった。

 強い風に煽られて、ぶわりと舞い上がる。少女の長い黒髪が、波のように揺れていた。


「姫、野……せんぱ……」


 遠のく意識の中で香取が見たのは、風の中でニタリと微笑む少女の姿。

 ここはグラウンドの隅。椿の木が生えている校舎の傍からかなりの距離がある。例え全速力で走ったとしても短時間で辿り着ける距離ではない。


「私の縄張りがあそこにしかないと思った? 私はかつて東国(ここ)を支配した椿姫。根はどこにでも張り巡らせるの」


 こんな風に、と椿女が笑った。風はますます強くなって、椿の花を舞い上がらせていく。


「逝きなさい」


 ぱちんと指が鳴る。

 その瞬間、枝と化した腕が大蛇のようにうねり、化け物の喉奥を、股下を、腕を、両足を貫いた。地面から突き出た凶器までもが、化け物の肉を裂いてその場に繋ぎ止める。


「ア、ガ……ガガ……」


 椿の枝が幾重にも絡みつき、まるで吸血鬼が生き血を啜るように、化け物の皮膚から生気を吸い上げていく。血管が干からび、筋肉がひび割れ、皮膚が裂け、骨すら砕けていく光景から、香取は目が離せなかった。

 やがて、みるみるうちにその異形の肉塊が枯れ木のようにしぼんでいき──音もなく、椿の木の枝先に真紅の花が咲く。


 それはあまりにも艶やかで、美しい椿の花。たった今吸い取ったばかりの生き血から生まれた、命の花。


「ごちそうさま」


 その言葉と共に、化け物の体に突き刺さっていた凶器が一斉にするりと抜け落ちる。

 あとはただ、残されたもの。干からびた化け物の残骸だけだった。


「さっすが、母様の凛々しさは健在みたいですねェ……」


 いつの間にか追いついていた千代之介が、香取の体を抱き起こす。その仕草は一見すると優しげだが──本心は明らかだ。


 恐怖よりも興奮。

 尊敬よりも陶酔。


 目の前で繰り広げられた怪異が、彼の創作魂をこれ以上ないほど刺激している。

 これが、子供から大人まで魅了して止まない妖怪作家、柳川千尋なのだ。


「ったく、古御門(こみかど)は何をやってるんだか。あなた、何か聞いてない?」


 空のペットボトルを振りながら椿女が呆れたように言った。


「し、知るわけ──」


 香取はむせながら否定しかけた、まさにその時。


「あなたが知らないはずないでしょ? 小鳥遊香取さん?」


 その声は、幼子の頭を撫でる母のように優しいのに、香取の背筋を一瞬で冷やす。


「小鳥遊って名字……古御門ゆりの熱心な世話係だった陰陽師がそんな名字だったじゃない。柊に聞いた事あるわ」


 椿女は、あどけない顔立ちに似合わぬ妖艶な笑みを浮かべながらゆっくりと歩み寄った。

 その白い指先が、香取の頬を撫でる。


「赤い瞳の陰陽師ってね、鬼道か、その遠縁にしか生まれないの。だってそうでしょ? 人ならざる者の末裔なんだから」


 蜂蜜色の髪に隠れた赤い瞳が、僅かに揺れた。それは呪いにも似た重み。漠然としか知らない、彼女の出生。


「その世話係、古御門(こみかど)泰親(やすちか)から大金を渡されて突然解任されたのよ。その頃じゃない? ()()()が生まれたのは」


 椿女が何を言おうとしているのか察した香取は、咄嗟に両耳を塞ぐ。

 男手ひとつで自分を育ててくれた、気の弱い父の顔が脳裏をよぎった。いつも香取を応援してくれている、優しい父の顔が。

 だからこそ、知りたくない。聞きたくない。あの女と自分の関係なんて。


()()()が居るのは、もう観客席じゃない。舞台の上よ、小鳥遊香取さん」


 香取の反応を満足そうに眺めた椿女は、ニヤリと笑って黒髪を靡かせる。

 夏の日差しはまだまだ強く、彼女の髪と、水を浴びてキラキラと艷めく花壇を照らしていた。

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