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最弱陰陽師は、自分にかけた呪いとまだ向き合えていない  作者: ふみよ
4部(渦巻く檻と水中花編)

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【渦巻く檻と水中花】1

 それは、夏休み当日──7月21日まで遡る。

 小鳥遊(たかなし)香取(かとり)は絶句した。幽霊との不思議な出会い。それは、彼女にとってもっとも長い夏になる。


「ところで香取センセ、この後お茶でも如何です?」

「……は?」


 思考がまとまらない内から次々と軽快に話しかけてくる幽霊に思わず低い声で返事をしてしまう。けれど、彼は臆する様子を微塵も見せない。それどころか、香取のその反応を待ち望んでいたかのような様子だ。


「あちきの話、興味が出てきてる顔ですよ〜。話をするのに相応しい場所、行きましょ?」


 くす、と目の前の幽霊が笑った。香取は視線を泳がせて少し考えた後に、手に持ったままの紙を本の間に挟む。


「別に……興味なんてないし」

「ほんとでやんすか〜?」


 幽霊はニマニマと笑っている。

 香取は、あえて幽霊の声を無視するように顔を背けた。自分を文豪だと思い込んでいる変人、あるいは悪質なナンパ──どちらにしても手が込みすぎている。何より、紙に描かれたその女性は鬼道(きどう)(かえで)に似すぎている。

 気にならないといえば嘘──いや、正直なところ、かなり気になっていた。


『ごめん、レン! 事務所から連絡入っちゃって。先帰るから』


 そんな思考から5分もせずに、香取は我ながら苦しい謝罪と、ネージュたん公式スタンプを送って友人に詫びを入れる。


『ちゃんと埋め合わせをして』


 秒で届いたのは、怒っているのか、呆れているのかわからない、絵文字も顔文字もない簡素な返信。


『その代わり、土曜日は夏祭りに来なさい』


 念を押すように、もう一度メッセージが送られてくる。


「夏祭り……ああ、なるほど」


 香取は、合点がいったように苦笑した。

 今週末は、都内での夏祭りが集中している。その中でもレンが言っているのは、おそらく月桂(つきのかつら)神社のことだ。幼なじみだからか、説明を受ける前に彼女の考えていることは大体分かってしまう。

 月桂神社の都市伝説──白い服と神隠しの関係。おそらく図書館で調べていたのも、月桂にまつわることなのだろう。


『調整できるかわかんないけど、都合ついたらまた連絡する。今日は楽しかったよ。本当に』


 香取はそう送って、スマートフォンをポーチに仕舞った。

 その後、改めて喫茶店で幽霊の青年の目的を聞き出した香取は、腹を括って電車に乗り込んだのだ。


「いやぁ、この辺りもめっさ様変わりしましたねぇ……」


 赤毛の麗人は、しみじみと呟きながら電車から降りた。

 東京は本日も快晴。じりじりとアスファルトを焦がしている。香取は日傘を開きながらため息をついた。

 遥かなる時を越えて目の前に現れた文豪、柳川(やながわ)千尋(ちひろ)と共に。


 香取は、まだ彼を本物の妖怪作家、柳川千尋だと認めたわけではない。だからこそ確かめに行く。本物の柳川千尋だった時は……その時に考えればいい。


 柳川千尋──本名、柳川(やながわ)千代之介(ちよのすけ)と名乗った青年。彼が生まれた時代から、既に150年以上が経過している。当時の東妖村(とうようむら)の写真をネットで探したが、どれも明治時代に入ってからの記録ばかりで、江戸時代の記録は皆無といってもいい。図書館で探せば資料くらいは残っていただろうか?


「写真くらい残ってそうなもんだけど」

「あはは、そんな洒落たもんがあったら、江戸の桜も姉さんたちの白くて細い腕も、ぜーんぶ残せたかもしれませんねェ」


 日本に写真技術が導入されたのは、1843年。当時活動していた写真家は外国人ばかりで、江戸の市中に自由に出入りすることはできなかった。撮影技術の限界もあり、千代之介の住んでいた東妖村の風景は、彼の記憶や物語にしか残っていない。


 かつて、べんがら塗りの格子で鮮やかに染められた民家がいくつも建ち並び、立派な大門をくぐればそこは華やかな世界だった。

 桜並木を抜けた先──通りの両側には楼主たちの店が軒を連ねて、二階の格子窓から姿を見せる黒髪の遊女たちが、気だるげに煙管をくゆらせながら往来を見下ろしている。そこはまるで桃源郷だ。


「私も──いずれは夜桜のように咲いて、誰にも気付かれず、静かに朽ちていく運命だった」

「何、いきなり」


 どこか芝居がかった言い回しに、香取は日傘をくるくると回しながら怪訝そうな眼差しを送る。千代之介は人差し指を立てて、妖艶に笑った。


「夜に花を咲かせる遊郭(そこ)にゃ、べっぴんの姉さんばかり。けど、華やかなのは見せかけだけ……畳の上にはネズミが走り回り、ボロボロになるまで働いて病気になって──廊下で寝てるような子もいましたっけね」


 酷いもんですよ、と千代之介が呟いた。その鳶色の眼差しは、遠い過去に何を感じているのか。


「あちきには、赤い瞳の母様がいました」


 赤毛を揺らしながら千代之介が続ける。

 その女性は、彼が産まれる前から鳥籠の中に居た。彼を千代と呼んでいつも優しく髪を梳いてくれた女性は、千代之介を産んだ母とも知り合いだったと言う。

 彼女は、文字の読み方と書き方、食事の作法を教えてくれた。

 そして……。


 皆が生きるのに必死で、他人のことなどお構いなしだったあの鳥籠の中で、人の感情を教えてくれた人。彼は、その女性を母と呼んでいた。


「あちきが今から会いに行くのは、その母様のところでやんす」

「はあ? そんなの、とっくに死んでるんじゃ……」


 日傘の下で、眉を寄せた香取に振り返った千代之介は、楽しげに目を細めるだけ。


 旧東妖村。その周辺には遊郭が多くあったというが、今ではすっかり閑静な住宅街になっている。そんな所に千代之介の知り合いがいるのだろうかと、疑問を抱えながら香取が連れていかれたのは学び舎──東妖高校の正門。


「ここ……入んの?」

「ええ」


 即答された香取は、少し引きつった表情を浮かべる。さすがに、この姿のままで学校に入るのは抵抗があった。

 仮にも、香取は芸能人。それなりにテレビにも出ているし、特に若い学生を中心に名が知れているのだから。


「ちょ、ちょっと待って」


 部活動に励む運動部の声を聞きながら、香取は木陰に隠れて黒いウィッグを被った。

 普段の学校生活では明るい髪を隠し、目立つ色の瞳を分厚い眼鏡で隠している香取にとって変装セットは必需品だが、今更ながら持ち歩いていてよかったと安堵する。


「さてさて……()()殿()っ!」


 眼鏡をかけている時の香取は、自分でも引くほど別人となる。当然眼鏡をかけている時の意識はあるし、二重人格というわけではないのだが……。


「せっかく学校に来たのですからカトリーヌと共に視聴覚室に行きませんか? かの文豪殿に、現代のドスケベアートこと()()()()()()を布教させていただきたいと思うのですがっ!」

「何を言ってるか半分以上わからないでやんすねぇ……」


 早口で捲し立てる香取に対し、千代之介が苦笑する。道行く人からの視線を感じるが、今の香取は全く気にしていない。

 嬉々として校門をくぐる香取を、今度は千代之介が追いかけた。

 ふと、校舎裏にちらりと見える椿の木が目に留まる。夏本番だと言うのに、花をつけた枯れない椿。千代之介は、その木に惹かれて足を止めた。


「ははぁ、文豪殿もお気づきになられましたかにゃ〜? その名も東妖高校七不思議のひとつ、古椿!」


 千代之介に気づいて戻ってきた香取が、ニヤニヤと口元をゆるませる。

 東妖高校には、いつからかこんな七不思議が存在した。校舎裏にひっそりと生える椿の木には妖怪が宿り、人間を養分にするという根も葉もない七不思議だ。


「特に若い処女の血を養分にするらしいですぞ〜」

「誰がそんなことするのよ」


 香取の台詞に被るようにして、如雨露を手にした椿の簪をさした少女がむくれ顔で立っている。

 それは園芸部の部長で、香取よりも年上だが留年している小柄な少女。


 そして──。


 千代之介が探していた人物でもあった。

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