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最弱陰陽師は、自分にかけた呪いとまだ向き合えていない  作者: ふみよ
4部(ガットフェローチェ編)

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【土用凪 祓いの酒で 酔いし虎】19

「カトシキ、彼女を頼むぞ」

「承知いたしました」


 王牙(おうが)との短いやり取りの後、ハクはカトシキの誘導によって車に乗せられた。

 電車より時間がかかってしまうが、不特定多数の人間が集まる駅や電車内で起きる危険性を考慮すれば、車の方が安全なのだという。

 深夜の東妖市はすっかり静まり返り、車のヘッドライトが闇の中にぼんやりと道筋を照らしていた。街の明かりがゆるやかに流れていく。

 煌びやかなネオンも、遠く高架を走る電車の光も、どこか別世界のようで。夏祭り後の騒動と誘拐──壮絶すぎる一日を終えたばかりのハクは、まだ夢の中にいるような心地がする。


「……世界は、どうなっちゃうのかしら」


 小さな呟きが、ため息とともにこぼれる。自分でも意図せずに口にした言葉だったが、静かな車内にはよく響いた。

 運転席に座るカトシキは、相変わらず感情の読めない表情を浮かべている。彼の頭からは山羊のような白と黒の角が左右に突き出ており、闇夜に溶け込むその横顔はどこか神話の世界の住人めいた精巧さがあった。

 男性とも女性とも判別しづらい、中性的で控えめな使用人。しかし不思議と恐ろしさはなく、むしろ頼もしさすら感じられる。


「ご安心を。王牙様が仰るには警察のトップが、既に全国の陰陽師に助けを求めているようですから」


 ハクの視線が、無意識にスマートフォンへ向けられた。車に乗ってすぐ、オカルト研究部のメンバーと少しやり取りをしたが、今は何も反応がないスマートフォン。

 そんなスマートフォンを、両手でキュッと包むように握る。遠くにいる、大切な人の気配を感じ取ろうとするかのように。

 ハクの知る少年は、東妖(とうよう)市の守護を任された陰陽師だ。今は遠く離れた場所にいるけれど、きっと彼の耳にも話は届いているだろう。


「あのね、カトシキさんたちを助けた人って……楓くんでしょ?」


 先程のコンビニでの会話が気になったのか、ハクが尋ねた。カトシキはバックミラー越しに、小さく──けれどどこか親愛の滲んだ笑みを浮かべる。


「あの方は、王牙様とはまた別の正義の心を持っていらっしゃる。このカトシキ、嫌いではございません」


 その穏やかな返事を聞いて、ハクははにかむように笑った。自分の大切な人が認められたことを、密かに誇らしく思う。


「今日は──残念でございましたね」


 カトシキがゆるやかにハンドルを回しながら言った。彼が言っているのは祭りのことだろう。あの騒動で、きっと月桂神社での祭りはすぐに中止になったに違いない。

 けれど、ハクは静かに首を横に振った。夜の景色が、彼女の横顔を淡く照らす。


「いいの。また次があるもの」


 彼女にとっての次は、きっと大人になってからだ。それは少し寂しいけれど、仕方のないこと。


 鬼ヶ島駅に到着したカトシキは、有料の駐車場に車を滑り込ませ、無言のまま車を降りて後部座席のドアを開けた。


「ご自宅まで、お供いたします」


 車のドアの隙間から流れ込む夏の熱い空気は、昼間の余韻を残している。ハクは、ちょっぴり車内の涼しさが恋しくなったが、すぐに車を降りた。


「ありがとう……カトシキさん」


 深夜ということもあり、駅の傍には人影も少ない。駅前の時計が零時を指しているのを見て、ハクは少しだけ足をすくませる。夏の夜とは言え、一人で家に帰るのはさすがに心細い。カトシキの申し出はありがたかった。

 そんな彼女のそばに寄り添うように、一定の距離を保ってカトシキが歩く。その存在は、この世の者ではないにも関わらず、奇妙な安心感がある。


「カトシキさんって……いつから王牙さんと一緒に居るの?」

「王牙様が生まれるずっと前からでございます」


 カトシキは背筋を正して穏やかな口調で答える。はるか昔にドイツから日本に渡ってきたこと、御花畑家と契約して仕えていることを説明された。そして王牙が来年、婿養子に行くことも。


「王牙さんが婿養子に行っちゃったら、カトシキさんも寂しくなるわね」


 ハクの呟きに、カトシキは少しだけ笑って『どうでしょうか』と答える。続けてカトシキが何かを口にしようとした時、彼の纏う気配が微かに張り詰めた。


「ハク様、このカトシキから離れませぬよう」


 その声と同時に、カトシキの長く伸びた影からしなるような動きで、漆黒の鞭が伸び上がる。血のように滴る光が形を変え、黒曜石のような輝きを放つ大鎌に変わった。

 呻き声と共に、路地裏の闇から意味不明な形状の顔面を持つ何匹もの異形が這い寄ってくる。


「タベタイ」

「トコヨ……ノ、コノ……ミ……」


 それは飢えと渇望が紡ぐ、雑音の混ざった欲望の残骸。人間ともどうぶつともつかない歪な生き物たちは、泡を吹きながら口々に呟いていた。


「ひっ……」


 小さな悲鳴を上げて後ずさるハクを、カトシキが片手で下がらせる。


「申し訳ございません、ハク様。王牙様からは、無事に家まで送り届けろという命令でしたが……」


 闇夜に、ずっと伏せられていた赤い双眸がゆっくりと開かれる。人間とは違う、楕円に伸びた瞳孔が長方形へと変わった。草食動物が周囲の敵を警戒するために進化させた、視野の広い瞳へと。


「そうも言っていられなくなりました」


 刹那、何かが闇を裂く。

 ──音が遅れてやってきて、ひと振り。

 大鎌が唸るたび、化け物の首が風を裂き、闇の中に霧のように消えていった。


「……人と、どうぶつと、虫の匂いでしょうか。悪趣味なことです」


 その声は、どこまでも穏やかで、他人事のように冷たい。


「タベ……タイィ……」


 ひた、ひたと闇夜に足音を響かせながら異形が這い寄ってくる。


「仕事熱心な方々ですね」


 次から次と近づいてくる化け物たちに、カトシキが皮肉を呟き、大鎌が風を操るように宙を舞った。その刃は、コウモリの羽ばたきのように不規則に動き、確実に獲物の首を刈り取る。

 黒い影は溶け落ち、そこからさらに新たな異形が生まれた。際限なく湧き上がる化け物に、怯えたハクが体を震わせる。

 数ではカトシキが不利だ。しかし、彼の力はそれを凌駕する。


「これはいかがでしょう」


 大鎌が空を引き裂き、異形の体を薙ぎ倒す。周囲の異形が、一気に一掃された。


「か、カトシキさん……!」


 もぞもぞと蠢く影の残骸が積み重なり、新たな化け物を生み出す。

 カトシキの力も無限では無い。彼の力の源はマァラ。人間の生命力だ。普段は温存しているマァラが失われると、たちまち悪魔の力も勢いを無くす。


「おやおや、実に面倒です」


 カトシキがため息をついた次の瞬間、彼の頭上に青い炎が降り注ぐ。即座に大鎌で炎を切り裂くが──。


「ふむ」


 その炎は地に触れることなく、まるで狙い澄ましたかのように彼の皮膚を焼いた。ハクの浴衣の裾をかすめながらも、彼女には一切の熱も痛みも伝わらない。


「この力は、陰陽師……」

「えっ……?」


 ハクの視線が、電灯の下の暗がりに佇む人影へと向けられる。

 見慣れたすみれ色の和装。細身のシルエット。そして、つり目がちの赤い瞳──。


「楓、くん……?」


 胸が、跳ねた。どこかで信じたいと思ってしまった──でも。


 声に出した瞬間、ハクは違うと悟る。

 彼女の知る彼は、こんなに冷たい気配を纏わせない。あんなに冷たい顔で笑ったりはしない。

 あれではまるで、鬼ではないか。


「カトシキさん──逃げて!」

「申し訳ございませんが……」


 燃え盛る青の業火が、影ごとカトシキの体を焼き尽くしていく。衣服が焼け焦げ、露出した皮膚は黒く崩れていった。

 それでも彼の口元は、どこまでも穏やかだ。彼女を置いて逃げるわけにはいかないと、分かっている。


「悪魔とは、願いを叶える生き物です。……例え、この身が燃え尽きようとも」


 その言葉と共に、カトシキが大鎌を構えて陰陽師へと飛びかかる。その少年は、動揺した様子を微塵も見せず、ゆっくりと空に人差し指を向けた。


 「急急如律令──緋火落葉」


 少年の声はどこまでもあどけなく、冷たい。風を切っていたはずの大鎌が、空中で一瞬止まったように見えた。

 次の瞬間、青い炎がカトシキ目掛けて一気に降り注ぐ。


「い……いやあああっ!!」


 ハクの叫びが夜を引き裂く。泣いても叫んでも、その炎が消えることは無い。ただ無慈悲に、悪魔を炙った。

 炎の中で、人の形をした悪魔のシルエットが巨大な山羊へと代わり、それもいずれ青の中へと溶けていく。


 からん、からん。


 不気味な下駄の音が、夜の闇を裂くように近づいてくる。

 青い炎を纏った袖が、夜風に揺れていた。


「……おいで」


 少年はハクの前で立ち止まり、赤い瞳を瞬かせて彼女を呼んだ。

 白い手が、ハクの腕にそっと伸びてくる──。その指先は、何も知らない幼子のように、無垢で残酷。


「楓くん……助け……」


 その手を振り払うことも、叫ぶこともできないまま、彼女は青い炎に飲み込まれた。


──夜は何も知らぬ顔をして、さらなる闇を運んでくる。

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