【土用凪 祓いの酒で 酔いし猫】17
パトカーから出てきたその少年は、憮然とした表情で宿儺たちに一人一人目を合わせていく。眼鏡のブリッジに指を当てて『ふむ』と呟いた少年が腕を組んだ。
「通報した高千穂嬢はこの場に居ないのか?」
『居ないけど居るわ! 問題ないわよ、御花畑くん』
宿儺の羽織った特攻服の胸ポケットから、音割れしたレンの声が響いた。御花畑と呼ばれたその少年は、眼鏡のブリッジに指を当てて小さく咳払いをする。名乗るよりも先に名字を呼ばれた少年は、改めて宿儺たちに自己紹介をした。
彼の名前は御花畑王牙。れっきとした警察関係者なのだという。
「君たちは、暴走族ガットフェローチェ……で間違いはないな?」
まるで尋問するかのような王牙の問いかけに、宿儺は仲間を庇うように進み出た。
「総長は自分です。パクるならオレを──」
「イヴ!」
慌てた様子でヒースが声をかける。しかし、王牙の発言は意外なものだった。
「今は緊急事態だ。協力感謝する。人質に被害はなかったようだしな」
ちら、と王牙がハクを見てから、タイガのバイクに乗せられている少女に目を留める。
「猫屋敷弥生。君はご家族から捜索願を出されている」
その淡々とした声色に怯んだのか、弥生は猫耳としっぽの毛を逆立ててタイガの胸にしがみついた。
「わ、私は家に帰らないぞ! タイガと結婚するんだッ!」
「は? しねーよブス。殺すぞ」
タイガは相変わらず口が悪い。狼狽えながら『ブス……』と言いかけた王牙に、タイガが続けて言った。
「本人が帰りたくねーって言ってる場合どうすんの?」
タイガの手が、ぽんと弥生の頭を撫でる。それは、彼女が自分の所有物だと主張するように。そして、彼女がタイガにとって大切な宝物であると示すように。ゴロゴロ、と弥生の喉が気持ちよさそうに鳴った。
「つーか、こちとらとっくに不受理届出してんの。弥生本人の書いた同意書付きでな」
手をひらひらさせながら、タイガが挑発的に舌を出す。王牙は、眼鏡のブリッジにそっと指を添えた。
未成年の不受理届も同意書も、所詮は付け焼き刃。彼女を守る力にはならない。
「ま、仮にこのブスを連れていくとか抜かしたら……アンタも殺すけど」
それまで楽しげだったタイガの声色が、不意に低くなる。その態度が頭に来たのか、王牙は不快さを隠す様子もなくタイガを睨みつけた。
「さっきから聞いていればブスブスと、お前のそれは女性に対する接し方ではないな。伏見の品性もとうとう地に落ちたようだ」
「ホント育ちが良いよなァ、頭がお花畑のおぼっちゃまくんはよォ〜」
にこやかに笑うタイガと、敵意を露わにする王牙。その険悪ぶりに、思わずヒースが『相性悪すぎだろぉ……』と呟いた。
長い間を置いて、小さく咳払いをした王牙が例の車へ目を向ける。
既に、パトカーが数台で車を包囲している。簡単に逃げることは出来ないだろう。
やがて、警察に促されるようにして後部座席からロトの姿が見えた。宿儺からの頭突きをモロに受けたせいか、眼鏡は割れ、鼻血を出した顔を押さえている。
「アイツは……ムショに入るのか?」
宿儺が問いかける。王牙は『いいや』と言って眼鏡のブリッジを押さえた。
「あれの父親は腐っても自由共生党議員だ。簡単にもみ消せる」
つまり、誰もロトを裁けない。ハクや弥生を誘拐し、ガッチェを引き裂こうとしたあの男を。
「ならオレが殺してやるよ」
重苦しい空気を呆気なく打ち破ったのはタイガだった。躊躇いもなく、拳銃をロトへ向ける。『馬鹿』と今度こそ王牙が声を荒らげた──まさにその時だった。
がく、とロトの体が崩れ落ちたのは。短い痙攣を繰り返したロトがボタボタと口から黒い血を流している。
得体の知れない何かが、彼の体に巣食っていた。
「イヴッ……あれって……」
ヒースが小さな悲鳴を上げる。祭りの時に見た光景、そしてタイガの身に異変が起きた時と同じだ、とイヴは思った。
「し、ね……ゴキブリどもが……」
血まみれの顔が宿儺たちに向けられる。その口から、目から、黒い腕が一斉に噴き出してきた。
「カトシキ!」
王牙の呼び声と共に、彼の影から角の生えた悪魔が出現する。その手がフォークを投げつけ、見事にロトの中から溢れた黒い腕を切り刻む。
まるで地面に縫い付けられたかのように、ロトは身動きが出来なくなった。
「ふむ、完全に鎮めるには浄化が必要のようですね。厄介なことです」
王牙は懐から出しかけた拳銃を懐に仕舞うと、小さなため息をついてカトシキにロトの拘束を命じる。
「い、今のって……」
宿儺が辛うじて口に出そうとすると、王牙の乗っていたパトカーからもう一人降りてきた。今度は人の良さそうな少年だが、少し頼りなくもある。
「やっぱり驚くよね!? 影からいきなり羊が出てくるんだもん!」
「私は山羊です、一番合戦様」
一番合戦と呼ばれた少年は、ロトに近づいてその無惨な顔を覗き込む。『イカスミパスタを慌てて食べた時の俺みたいだね』と呑気なことを言う一番合戦少年を横目に、カトシキが一礼した。
「皆様、お怪我はございませんか?」
「オレたちは無事、っすけど……」
宿儺が口ごもる。脳裏によぎるのは海斗のこと。自分のせいで傷ついた、大切な親友のことだった。
月桂神社での騒動、そして誘拐の経緯を説明すると、王牙は顎に手を当てて少し考えるようなそぶりをしてから、カトシキに指示を出した。
「その友人は、俺のよく知る病院へ転院させたほうが良い。今はその方が安全だ……お前たちもな」
王牙は、どこか含みのある言い方をして、ヒースとタルにも病院へ来るよう促した。医者が苦手なヒースは渋っていたが、自分よりも遥かに重傷なタルのことが心配らしく、しぶしぶ了承する。
「最近、ワクチン接種はしたか?」
「んーと、インフルエンザと……コロナと……ガキん時にも何か打ったかも。日本脳炎?」
王牙の質問に、ヒースが首を傾げながら答える。王牙は眼鏡のブリッジに指を当てて俯きがちにため息をついた。
「この一ヶ月で打ったワクチンについて聞いている」
再度質問を受けたヒースは、タルと顔を見合わせて不思議そうにかぶりを振る。
多くを語ることなく、王牙は『問題ない』とだけ答えた。
「ご自宅までお送りいたしましょう、鬼原ハク様」
誘拐のショックがようやく抜けて落ち着いてきたハクに、カトシキが物腰柔らかく話しかける。
「何で、私の名前……?」
まだ名乗ってすらいないのに、自分の名前を知っているカトシキを見上げて、ハクが首を傾げた。
カトシキは人差し指を自分の口元に添え、ほんの少しの笑みを見せる。
「このカトシキも我が主も、そこのポジティブポンコツお気楽学生も、ハク様の大切な方に救われているだけのこと」
「カトシキさん、今俺の事ポンコツって言ったよねぇ!?」
「はて」
すかさず一番合戦少年に突っ込まれて、カトシキがとぼける。ハクは思わず噴き出した。
宿儺は、そんなハクとカトシキのやり取りを見て安心したように、改めて王牙に頭を下げる。
「鬼原先輩のこと、よろしくお願いします」
「カトシキは強い。道中何かあっても必ず彼女を守るだろう」
王牙は、眼鏡のブリッジに指を添えて不敵に笑った。その言葉には、カトシキに対する深い信頼が垣間見える。
「あーッ! アイツもう居なくなってる!」
いつの間にかタイガと弥生が消えていたことに驚いて、ヒースが唇を尖らせながら文句を言った。
「なあ、イヴはこの後どうす……」
「あっちゃん、ダメ」
具合の悪いタルを気遣いながら、宿儺に話しかけようとするヒースだったが、タルに制止させられて口を噤んだ。宿儺が神妙な顔つきで部活メンバーたちと話していたからだ。
「部長、みんな……ありがとうございました。それから、巻き込んですみません」
『何言ってるの。オカルト研究部の部長として当然のことをしただけよ!』
ふふん、とレンが鼻を鳴らす。しかし、宿儺の表情は晴れない。
でも、と呟いた宿儺はしっかりレンと向き合った。
「やっぱり、海斗を危険な目に遭わせたオレ自身が許せない。だから……短い間でしたが、お世話になりました──」
宿儺はそう言って一方的に通話を終わらせると、オカルト研究部のチャットグループを削除した。
思い詰めたような宿儺を気遣って、ヒースが心配そうに見つめている。
「これからどうするつもりだ?」
一番合戦少年をパトカーに追いやりながら、王牙が尋ねた。
ハクはカトシキと自宅へ戻り、ヒースとタルは王牙と共に病院へ。海斗も同じ場所へ転院することになっている。
海斗に顔を合わせる資格は無い。それでも、彼が目を覚ますまでは傍に居たかった。
「病院……オレも行って良いすか?」
宿儺がぽつりと問いかける。王牙は眼鏡のブリッジに指を添えると、ほんの少し唇の端を上げて笑った。
「想定内だ。それに今は……離れて行動するのは避けた方が良いからな」
王牙の台詞には、どこか含みがある。宿儺が答えるよりも前に、すぐに背を向けてコンビニを指した。
「何か飲み物を買っていこう。道中は長い」
「マジで? 奢り? やったー! こーき、何飲む?」
ヒースは、はしゃいだ声を上げてタルに声をかける。バイクに腰掛けて休んでいたタルは、ぼんやりと視線を泳がせた。
「……無糖の、おっきいやつ」
「アルコールは禁止だ」
警察の前でも平然とアルコールを要求する神経の太さに、王牙が呆れた顔で注意をする。既にヒースは、スキップしながらコンビニに向かっていた。
「全く……」
ため息混じりにヒースを追いかける王牙から少し離れた場所で、宿儺はすっかり暗くなった夜空を見上げている。うっすらと見える夏の星座が、きらきら輝いていた。
何事もなければ、今頃は夏祭りを終えて帰路についていたはずだ。もしかすると、話が盛り上がってまだ海斗と話し込んでいたかもしれない。歩き疲れてクタクタなのに話は尽きなくて、一方的に話す海斗に相槌を打ちながら一緒に空を見上げる。
『来年も宿儺くんと、こんな風に過ごしたい』
そんなことを恥ずかしげもなく声に出して笑う海斗が、隣に居たはずなのに。
(馬鹿か……オレ)
ありえない『もしも』の可能性に、宿儺は自嘲気味に笑った。
来年なんてない。そんな資格が、自分にはないから。
それでも、願ってしまう。もう一度、海斗に隣で笑っていて欲しい。来年も、再来年も、その先もずっと……。
「う、く……」
純白の袖で顔を隠しながら、宿儺は歯を食いしばった。拭っても拭っても、それはとめどなく流れてくる。それはどんな喧嘩よりも苦しくて、感じたことのない喪失感。
声を殺してしゃくりあげている宿儺に、コンビニへ向かっていたはずの王牙が声をかける。
「一応確認しておくが、最近ワクチン接種をしたことは?」
それは、ヒースやタルにも投げかけた質問。心当たりのない宿儺は、背を向けたまま首を横に振る。
王牙は『そうか』とだけ言って眼鏡のブリッジに指を当てた。
「準備ができたらお前も来い。一杯だけだが、奢ってやる。……言っておくが酒は禁止だ」
念を押すように付け足して、王牙がコンビニへと戻っていく。宿儺は、袖で涙を拭いながら頷くのだった。




