【土用凪 祓いの酒で 酔いし虎】15
「もう一度聞くけど──月桂神社での騒ぎは、粟島宿儺くん……全部君が起こしたのかなぁ?」
気絶していた時間は、おそらくほんの数分だったのだろう。サイレンの音で目が覚めた宿儺は、救急車に乗せられていく仲間たちとは別に、重い体を引きずってパトカーに同乗した。当然、その酷い怪我を見た大人たちからは、ひとまず救急車に乗るよう勧められたが、彼が総長として出来る最後の仕事は、まだ残っている。
ロトというコードネームだけでは、タイガを嵌めた犯人の正体は分からない。埠頭での騒ぎも、暴走族同士の喧嘩と処理された。
そのため、警察からの取り調べは、夏祭りでの騒ぎ、そして橘海斗への暴行。この二点に絞られることになった。
祭りのことを話せば、タイガが捕まる。けれど、ロトの正体は暴かなければいけない。宿儺は葛藤していた。
「……先輩が誘拐されたんです。だから……助けに行かせてください。そしたら全部話します。絶対に逃げません」
「それは警察の仕事だ。君が正直になれば、先輩だって助けられるんだよ。うん?」
男が宿儺の肩を撫でるように握り込む。
せめて、顔の知れている地元の警察なら少しは理解を示してくれたのだろうが、この男が宿儺を疑っているのは明らかだ。
「ほら。正直になりなさい……」
分かるだろう、と男が猫撫で声で囁く。宿儺にはその意味が分からない。
いつの間にか、調書を取っていた男もニヤニヤしながら宿儺を見つめていた。
「何が、っすか」
低い声で宿儺が尋ねるが、二人の男はニタニタと笑うだけだ。
肩に置かれていた手が、自然な動作で首筋を撫でた瞬間、宿儺は反射的に男の手を払い落としていた。
「何──」
「タベタイ」
その声が、月桂神社で聞いたものと同じであると気づいた瞬間、宿儺の体が床に倒された。
「うぐッ!」
傷ついた体では、上手く力が入らない。男たちは二人がかりで宿儺の体を押さえ込んできた。宿儺を見下ろす男の顔は異様なほど歪み、膨れ上がっている。
(コイツら……)
瞬間的に、月桂神社で遭遇した怪異のことを思い出した宿儺は、少し躊躇ってから男の股間を蹴り上げた。同じ男としてあまり使いたくなかった戦法だが、体に力が入らない以上は仕方ない。
「んぎいいいいッ!」
男は奇声を上げながらのたうち回った。怪異にも急所はあるようだ。
しかし、敵はもう一人残っている。
「警察に逆らったら……いけません、よぉお……」
「ちッ……」
男は、宿儺の両肩を押さえつけながらニタリと笑った。露出した首筋に今にも噛み付こうと、口を大きく開けて迫ってくる。
その瞬間、取り調べ室の扉が勢いよく開かれ、何者かが男の顔面を蹴り飛ばした。
「ぎゃあッ!」
「くーちゃん、こっちダ!」
お世辞にも流暢とは言えない日本語。聞き慣れたその声は──宿儺の母、レガーレだった。突然現れた母に、宿儺が驚きの声を上げる間もなく、入れ替わるように取調室に入ってきたのは高見だ。
「父さん……!」
取調室から連れ出される直前、高見は宿儺たちに目配せする。
「──っぎゃああ!」
廊下を走る宿儺の後ろから、警察官の悲鳴が聞こえてすぐに高見が戻ってきた。その手には、邪を祓う酒、常夜の宴が握られている。
「か、母さんッ──父さんも……何でッ……」
「お友達が教えてくれたゾ! チューカ、今はそれどころじゃないからナー!」
レガーレは、そう言って真っ直ぐに入口から外に出た。道中、倒れている警察官が何人もいたが、恐らく両親がやったのだろう。彼らの口元にはタイガの時と同じ、黒い液体が溢れている。
「まさか……」
「そのまさかダ! タカミ! 消毒消毒!」
レガーレの合図で、高見は警察署の出入口に惜しげも無く酒を撒いた。既に酒瓶の中身は半分以下になっている。
「いったい……何が、どうなって……」
立て続けに起きる怪異に、宿儺の体は限界を迎えている。ふらつく宿儺の体を抱き寄せたレガーレは、高見に指示をして小さな紙コップに常夜の宴を注いだ。
「くーちゃん、Ciao」
レガーレはそう言って、宿儺に酒を飲ませる。宿儺は、促されるままに紙コップを受け取ると、むせながらそれをゆっくり飲み干した。
「……何も、聞かないのか? 俺が……」
騒ぎを起こしたこと、そして暴走族の総長だったことを。
「くーちゃんは祭りで暴れたカ? 海斗に酷いことシタカ?」
宿儺がかぶりを振る。レガーレは、笑顔で宿儺の髪を撫でた。
「知ってるゾ! くーちゃんはトッテモ優しくて天使みたいな子ダ。あんまり天使だったカラ、名前をミシェルにしようと思ってたくらいだゾ」
「宿儺で良かった、よ……」
宿儺は力なく笑った。その頭を高見が撫でる。幼い頃以来、久しぶりに撫でられた。大きな手は何も語らなかったが、レガーレ同様、宿儺のことを深く愛してくれているのが分かる。
「父さん、母さん……心配かけて、ごめん……」
宿儺は俯きがちに謝罪した。レガーレは宿儺を強く胸の中に抱き寄せる。
両親には、いつも救われている。大切な両親だからこそ、危険から遠ざけたかった。守りたかった。
コードネームで呼び合い、必要以上にお互いを詮索しないことがルールだった宿儺のチーム。それが彼らを縛ってしまった。一番大切な居場所も、大切な人も、壊してしまった。
「ソーダ、ボクちゃんたちも飲んでくカー?」
レガーレが声をかけた方向を見ると、そこにはニヤニヤしているヒースとタルの姿。
宿儺は慌ててレガーレから離れた。
「お、お前らッ!? 怪我は……」
「わかんない。病院、抜け出してきたから」
頭に包帯を巻かれた姿のタルは、平然と答えながら酒を受け取っている。
「おいしい。元気出る」
「ウンウン! 良い飲みっぷりダゾ!」
レガーレは、満足そうに笑ってヒースにも紙コップを手渡した。
「しっかし、ケーサツまでヤベーことになってるなんて思わなかったな……病院はフツーだったぜ?」
ヒースは、常夜の宴をちびちび飲みながら警察署の内部を覗き込む。一体何がどうなっているのか、ヒースやタルもよく分かっていないようだ。
「今、チョイチョイ狂ったヒト増えてるってニュースで言ってたゾ。そしたらタカミ、常夜の宴が役に立つカモしれないッテ言ったナ!」
レガーレの説明に、高見が無言で頷く。豹変したタイガに使ったのも常夜の宴だったと宿儺が呟くと、高見は少し考えるように酒瓶を見つめた。
「ソロソロ無くなりそうダナー?」
酒瓶の中身を覗き込みながら、レガーレが唇を尖らせる。高見は相変わらず黙ったままだ。
「い、イヴの父ちゃん、無口すぎねえ?」
「まあな……」
こそっとヒースが耳打ちする。息子の宿儺でさえ、父の肉声を聞いた記憶がほぼない。幼い頃は、それが世間の父親だと思っていたものだが、やはり自分の父親は無口だと思う。
「もー、タカミは本当にワタシが大好きダナ! ダイジョブだって言ったノニ〜♡」
一体何を読み取ったのか、レガーレは恋する乙女のような顔をして、ぎゅうぎゅうと高見に抱きついている。二人にしか分からない秘密の言語でもあるのだろうか。
「……あッ」
その時、突然宿儺のスマートフォンが着信音を響かせた。オカルト研究部のグループ通話だ。
宿儺は、少し躊躇うように画面を見つめていたが、やがて覚悟を決めたように部活メンバーに応える。
それは音声ではなく、ビデオ通話だった。部活メンバーは、ファストフード店に集まっているらしく、高千穂レン、三毛琴三、そしてバイト上がりだと言う鬼原ゴウも居た。
彼らには、隠し事をしたくなかったから、警察へ行く直前に全て話しておいたのだ。自分が暴走族だったことも、海斗やハクを巻き込んでしまったことも。
「橘くん、一命は取り留めたわよ」
一番聞きたかったその言葉に、宿儺は心の底から安堵する。
「激やば〜♡ 宿儺くん、顔面だけが長所だったのに顔パンパンで人殺しみたいになってますよぉ♡ こわ〜い♡」
「やめとけ、三毛」
琴三がキャハハと笑い声を上げるが、ゴウにさりげなくたしなめられていた。
和やかな部活メンバーの会話は、部室で聞きなれたものだ。宿儺にとって、初めて真面目に取り組んだ部活動。部活らしいことは何もしてこなかったが、この数ヶ月はとても濃厚で貴重な時間だった。
この光景を見られるのも、今日で最後だろう。
「部長……短い間でしたけど、お世話になりました」
和やかな空気に別れを告げるように、宿儺が言った。そんな宿儺の考えも、レンにはお見通しだったのだろう。彼女は驚いた様子もなく尋ねる。
「一応聞くけど、どういう意味かしら?」
「多分オレ、退学になるんで」
これだけ騒ぎを起こしてしまった以上、学校には通えない。これは宿儺なりのケジメだった。
「ハクの誘拐とオマエの退学は関係ねーだろ」
ゴウは唇を尖らせる。身内が誘拐されて気が気ではないだろうに、ゴウは宿儺を諭すように言った。
「オマエが責任感じる必要なんかねーよ。楓がもしこの場に居たとしても、絶対オマエを責めたりしねーぞ」
ぶっきらぼうな言い方だが、ゴウの声は穏やかだ。そんなゴウを遮ったのは、ポテトを口に運んでいたレンだ。
「話が脱線してるわ。そんなことより、ハクの居場所は分かったの?」
「まだ……。でも、鬼原先輩はオレが必ず見つけます。言いたかったのは、そんだけで──」
宿儺は、そう言って通話を切ろうとした。予想外のため息が返ってくることなど知る由もなく──。




