【土用凪 祓いの酒で 酔いし虎】6★
数ヶ月前、肌寒さの残る冬の日のこと。
港の傍にある廃工場。そこがかつての、少年たちの集いの場。天井の穴から差し込む薄暗い光が、埃にまみれた床をぼんやりと照らしていた。
バイクの音と共に倉庫の中へやってきたのは体格差のある二人の少年。一人はガッチェの特攻隊長、泣き虫うさぎのヒースヒェン。そしてもう一人、棒付きキャンディを咥えている無表情の男は弟のタルタルーガだ。
「お疲れ様ですッ! ヒースの兄貴、タルさん!」
彼らと同い年くらいの舎弟たちが、礼儀正しく頭を下げた。けれど、その口調にはどこか砕けた空気がある。
彼らよりも背の低いヒースは、舎弟たちを見上げながら不満げに唇を尖らせた。
「何でオレが兄貴で、タルはさん付けなんだよ」
舎弟たちは、そんなヒースの反応を見てニヤーッと悪戯っぽく笑う。
「それはほらぁ、兄貴は兄貴って感じですし?」
「頼りがいがあってバイクも直せる俺らの兄貴! いや、マスコット的な?」
舎弟たちは、口々に言ってヒースの肩や頭をぽんぽんと叩いた。マスコット、という響きがヒースの脳内にこだまする。
「マスコット……」
「い、今笑ったろタル! 〜〜〜ッ、どいつもこいつも馬鹿にしやがってッ!」
いつものように和やかなメンバーの集会。ヒースが上下関係を気にしない分、自然と舎弟たちは緊張を解き、タルが隣にいることで、程よい引き締まりを持たせている。
しかし今日の集会は、どこかいつもと雰囲気が違っていた。
ガットフェローチェには、第一部隊から第五部隊まで存在する。その内の第二、第三をヒース。第四、第五部隊をタルがまとめていた。
だが、どれだけ人数を束ねていようと──総長というカリスマがいなければ、組織は簡単に崩れてしまう。
「次はどこと抗争だろうな?」
「最近調子乗ってる降暗堕頭魔か轟寿翔か……」
ひそひそと話し合う彼らの間に割り込むように、ヒースが肩に手を乗せる。
「バーカ、売られてもねェ喧嘩なんか買うなって、いつも総長が言ってるだろ」
舎弟たちを諌めるように無邪気に笑うヒースだったが、顔を見合わせる彼らの表情は少しだけ気まずそうだ。
総長イヴローニュが、彼らの前から消えて数週間。ガットフェローチェは、非常に不安定な状態にあった。
ただでさえ大所帯となったチームには、リーダーの存在が不可欠だ。ヒースは舎弟たちに慕われてはいるが、彼らを守れるほど強くはない。力だけならガットフェローチェの中で一番の強さを誇るタルも、その思考回路故に総長には向かなかった。
では、ガットフェローチェの総長に相応しい人物は皆無なのか?
否。
ガットフェローチェの創設メンバーは、もう一人居る。
彼らの視線の先でゆっくりと体を起こしたのは、虎柄の毛布を掛けた少年。第一部隊を任されている、ガットフェローチェ副総長のタイガだ。今起きたと言わんばかりに、気だるげなあくびをしている。
彼は創設メンバーでありながら、チームの集会には非協力的。その実力すら見たことがない者が多く居た。
タイガの傍らには、この場に相応しくないえんじ色の制服を着た真面目そうな少年が佇んでいる。
「……イヴが消えたの──知ってるよな?」
長い灰色の髪をかきあげながら、タイガが言った。
「アイツ、オレらを裏切ったンだわ」
ズボンのポケットから煙草を取り出すタイガに、甲斐甲斐しくえんじ色の制服を着た少年がライターを差し出す。
タイガは煙草の煙を肺いっぱいに吸い込んで、穏やかな表情で吐き出した。
「つーことだから、見つけ次第ぶっ殺せ」
タイガが満面の笑みを浮かべる。それは、総長を信頼している舎弟たちの反感を買うには充分すぎた。
「ちょ、待てってタイガ! コイツらが本気にするだろ……」
そんな中、唯一彼と同じ目線で意見ができるのは創設メンバーだけだ。ヒースは慌てて舎弟たちの前に進み出た。
「本気にして良いぜ」
タイガは、紫煙を吐き出しながら笑う。そんなタイガの傍に立ったまま黙っていた少年──ロトが、不意にヒースの横を通り過ぎて、舎弟たちの前に立った。
「今回のイヴローニュ離脱をもって、タイガさんが総長になります。総長不在のままというのも示しがつきませんしねぇ」
「あ゛?」
ヒースは、眉を寄せてロトを横目で睨むが、まるでヒースのことなど気にも留めていない様子でロトが続ける。
「タイガさんは総長と肩を並べるほどの実力の持ち主。充分に総長になる素質があると判断しました」
「何だとッ……」
ヒースが何かを言いかけた時、舎弟がヒースを庇うように進み出た。
「てめえ、正式メンバーでもねえくせに何様のつもりだコラッ! ぶっ飛ば──」
舎弟がそう言いかけた時、タイガの蹴りがこめかみに炸裂する。舎弟は悲鳴も上げることなく、白目を剥いて昏倒した。
タイガはゆるく特攻服を羽織りながら、足元で倒れている舎弟の体をぐしゃりと踏みつける。
「そういうのいいから──お前ら全員殺すわ。そうすりゃ誰もオレに逆らえなくなるじゃん」
にこりとタイガが笑う。ヒースは慌てて、後方に控えている舎弟たちを守るように両手を広げて叫んだ。
「馬鹿かよ!? オメェらも下がれ! 仲間でやり合うなんて絶対ダメだッ!」
「……多分聞こえてない」
タルがぽそりと呟いた。既に舎弟たちは臨戦態勢でヒースの制止をすり抜けるようにしてタイガの元に近づいていく。
総長不在の状態で満足いくように暴れられず、チームの不満は爆発寸前だった。
「やろうぜ。殺し合い」
煽られて怒りが頂点に達したガッチェメンバーが、一斉にタイガへ襲いかかる。
しかし、ヒースは知っているのだ。彼がイヴと並ぶほど、恐ろしく強い人物だということを……。
「お前らは裏切らないって信じてたぜ、ヒース。タル」
タイガは、虫の息で倒れている舎弟たちの上に腰掛けてにこやかに微笑んでいる。
「オレは、これから新しいガッチェを作る。コイツら弱くて使えねーしよ」
そう言って、舎弟たちを壊れた玩具か何かのように蹴りあげた。タイガの合図と共に倉庫へ入ってきたのは、白い特攻服を着た見知らぬ男たちだ。
「コイツらはタテガミ。オレの指示通りに動く精鋭部隊」
「た、タテガミって……何だよオメェらッ!」
ヒースが吠える。男たちはニヤニヤと笑いながら近づいてきた。
「おやおや、伏見会の武闘派組織タテガミを知らねェんですかい?」
その手に握られている鉄パイプを見て、ヒースが少し怯む。それだけでヒースの強さを見抜いたのか、男が下卑た笑みを深めた。
「ガキのお遊びみてェなチームとは訳が違うんですよォ──!」
そう言って鉄パイプを振り上げようとした男の体が宙を舞った。一瞬で懐に飛び込んできたタルが殴り飛ばしたのだ。それは、暴力に特化したヤクザたちですら目で追えないほどの動き。
カン、と音を立ててタルの足が鉄パイプを蹴り飛ばし、それをひょいっと片手で受け止める。
「あらら、地雷踏んじまったなァ〜」
タイガはそんな男を見送って他人事のように口笛を吹き、涼しい顔で銀髪を揺らしている。パチンとタイガの指が鳴ると、男たちは大人しく双子から距離を取った。それでも、合図さえあればすぐにでも殴りかかってきそうな雰囲気だ。
「久しぶりの暴力は気持ちよかったろ? 誰でもいいから殺しまくりたいって顔に書いてある」
まるで洗脳するような口振りで、タイガがゆっくりと近づいてくる。
「新生ガットフェローチェは、いつでもお前を歓迎するぜ……タル」
「……新生、ガットフェローチェ」
まるでロボットのように言われたままの言葉を繰り返すタルを見て、ニヤッとタイガが笑う。
しかし、自分より遥かに背の高いタルを庇うように立ち塞がったヒースによって遮られる。
「こ……コイツにそんなことさせてみろ。オレが許さねえッ!」
青い顔をしながら必死に弟を庇う姿に、タイガは無表情で黙っていたが、その足が震えているのを見て鼻で笑う。
「ま、待てッ! どこ行くんだよッ!」
やがて、タイガはふらりと背を向けた。ヒースが呼び止めるが、タイガはヒラヒラと手を振るだけだ。
廃工場を出ていくタイガの姿が完全に消えると、それまで張り詰めていた空気が一気に弛緩する。
「くそ……」
ヒースは、唇を噛みしめたまま倒れた舎弟たちを見下ろす。誰もが満身創痍で、呻き声すら上げられない者もいた。
「イヴを……見つけなきゃ。イヴなら絶対、タイガをぶん殴ってくれる……」
タルは、投げ捨てた鉄パイプがゴロゴロと転がる様子を目だけで見送り、やがて兄と同じ目線になるようにその場に屈む。
「本当にイヴがガッチェを捨てたなら、もう俺たちに関わりたくないと思うよ」
「そんなことねえッ! アイツ以外に誰が総長やれるってんだよ!」
タルは黒目がちの瞳でじっとヒースを見つめている。
「俺は新生ガッチェ、少し良いなって思った。タイガについていけば、もっと面白いものが見れる……。今までだってそうだった」
タルの暗い眼差しは、兄のヒースですら感情が読み取れない。しかし、タイガとタルの性質が根本的に似ていることをヒースは良く知っていた。
「こーき、オメェは本当さ……」
裏社会への素質がありすぎる弟をたしなめるように、はたまた呆れたようにヒースが項垂れる。
「でも……あっちゃんが行かないなら俺も行かない」
タルはそう言って、棒付きキャンディを咥えた。答えは初めから分かっていたが、心底ホッとする。普段、何を考えているか分からない弟ではあるが、タルがヒースから離れることは絶対にない。
「総長を探そうぜッ! タイガより先に!」
ヒースはそう告げると、タイガに叩きのめされた舎弟たちを手当てするために身を翻す。タルはタイガが立ち去った後を黙って見つめていたが、やがてゆっくりとヒースの後についていった。




