【土用凪 祓いの酒で 酔いし虎】4
「クソガキィ……その綺麗な顔面を恐怖で歪ませてやるよ。たっぷりいたぶって──」
男は、最後まで喋ることは出来なかった。宿儺の蹴りがこめかみに決まり、呆気なく昏倒したのだ。男は目を剥いたまま泡を吹き、痙攣していた。
「ひええッ! ふ、副総長が一発で……!?」
完全に戦意喪失していた男たちが、慌てて武器を構える。しかし宿儺の青い瞳に見つめられただけで、手を震わせていた。
宿儺には、そんな脅しなど意味がない。完全無敗の総長、イヴローニュにはどんな武器も通用しないのだ。
「つ、強すぎるッ!」
ふわりと風が起こって、男の体が地面に倒される。宿儺の腕には、奪った特攻服が巻きついていた。たった一瞬で、一人、また一人と倒されていく。
「クソッ……集まれ! 全員でイヴローニュを殺れ!」
男たちの号令と共に、仲間たちが集まってくる。一体彼らの親玉は、どれだけの人数を投入したのか、一気に二十人ばかりが宿儺を取り囲んだ。
「……ダセェな」
宿儺の冷たい呟きに、男たちの怒りが爆発する。それぞれに武器を手に、男たちが一斉に飛びかかろうとした時、それを追って聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「待てやコラッ! まだッ、勝負は終わってねーんだよッ!」
息を切らしながら油で薄汚れた特攻服を纏い、殴られた痕が痛々しく刻まれた顔の少年──。
「ヒース……」
「い、イヴッ!?」
ヒースと呼ばれた小動物のような少年は、宿儺の姿を目にした途端、今にも泣き出しそうな表情を浮かべる。
昔から、何かとすぐに泣いてしまい、赤い目になる彼を、いつしか誰かが『泣き虫うさぎのヒースヒェン』と呼んだ。彼は、ガットフェローチェの創設に関わった一人でもある。宿儺の、数少ない親友の一人だ。
涙をグッとこらえたヒースは、その足でしっかりと地面を踏みしめ、まるで小動物が牙を剥くように男たちを睨みつける。
「いいかオメェら、今すぐその特服置いていけッ! それはガッチェの魂だッ! 絆の証なんだ──よッ!」
ヒースが叫んで、男の顔を殴り飛ばす。白い特攻服の裾をマントのように翻しながら、ヒースは宿儺の背中を守るように立った。全速力で走ってきたのか、ぜえぜえと息を切らしている。恐らく、直前まで彼らとやり合っていたのだろう。
「クッソガキがァ……ッ!」
苛立った様子で男たちが距離を詰めてきた。けれどヒースは怯まない。まっすぐな瞳で男たちを睨みつけていた。
「どっからでもかかって来いやッ!」
ヒースが叫んだ、まさにその時だった。
宿儺に殴られて気を失っていたはずの『副総長』がゆらりと体を起こしたのだ。
「そのまま寝てりゃよかったのに」
宿儺が舌打ちする。しかし、何か様子がおかしい。男を呆然と見つめていたヒースの顔色が、どんどん青くなっていった。
「……ひッ!?」
宿儺には見えない──だが、ヒースは確かに『それ』を見てしまったのだ。男の長く伸びた影が、別の生き物の形を取り始めている様を。
「タベ、タイ」
男の手が取り巻きの一人を捕らえた。
「ふ、副総長!?」
「ヒヒ……タ……タベタイ。タベ……」
男の口元が引きつるように裂け、涎が糸を引く。不自然なほど細かく痙攣していた体は、次の瞬間、腹がメキメキと音を立てながら割れ、そこから何本もの黒い腕が伸びた。
「う、うわあああッ!」
周囲の男たちが悲鳴を上げるなか、男の瞳はギョロギョロと爬虫類のように動いている。そこに、人間らしい理性の欠片はない。
「ギャッ!」
「うひいいい!」
取り巻きたちの悲鳴が響く。目の前に居るのは人間であって人間もない、何か。
「ア、ア……タベタイ。タベタイ。タベ、タイタベタイタベタイタベタイ」
言葉は壊れたスピーカーのように、音をぶつ切りにしながら響いていく。男が仲間の首筋に噛みつき、まるでみずみずしい果実にむしゃぶりつくように、じゅるじゅる、じゅぷじゅぷと音を立ててその肉を貪った。
「ぎゃああああ!!」
それは、血の気が引くほど、異様な光景。
「……何が、起きてんだ」
宿儺は、立ち上がることが出来ないほど怯えているヒースを支えながら、呆然とその様子を見ていた。ただの人間に太刀打ちできるような相手ではない。それこそ、陰陽師の相手だ。
「に、逃げなきゃッ……イヴ……」
ヒースは過呼吸になりながら宿儺にしがみついている。その姿に海斗の姿が重なった。
(総長がビビってどうすんだ)
宿儺は足元に落ちた鉄パイプを拾い上げた。
武器を使うのはガッチェの信条に反する。けれど今は、そんなことを言っている場合ではない。目の前にいるのは、化け物だ。
これは、喧嘩と同じ。酒蔵を、家族を、妖怪から守った時と同じなのだ。宿儺は心の中で強く念じながら、真剣を構えるように鉄パイプを向けた。
「タベタイィッ!」
化け物が襲いかかってくるのを鉄パイプで弾き、応戦する。化け物は体をぐらつかせて、ギョロギョロとした目で宿儺を見た。その動き自体は、宿儺でも見切れるものだ。耐久力も、さほどこれまでと違わない。
宿儺は、化け物の腹から伸びる黒い腕を、持ち前の反射神経で次々に叩き落としていく。
「ア、ア……」
ぐにゃりと曲がった複数の腕が、化け物の腹部で揺れている。化け物はそれを手に取ってむしゃむしゃと食べ始めた。
宿儺は、鉄パイプを引きずりながら化け物との距離を縮める。
「──ふッ!」
一気に距離を詰め、化け物の顔面に向かって鉄パイプを振りかぶろうとした宿儺だったが……。武器で人間の顔を叩くことに抵抗があるせいか、一瞬その動きが鈍ってしまった。
「イヴ!」
宿儺の体が地面に押し倒される。何とか鉄パイプを化け物に咥えさせるように防ぐことで直撃は避けられたが、化け物は宿儺に覆いかぶさり、鉄パイプに歯を立てていた。今にも鉄パイプを食いちぎりそうな怪力だ。
「ぐッ──!!」
嫌な音がして、鉄パイプが砕かれる。その反動が痛みとなって宿儺の表情を歪めた。
「キヒ……キヒッ……タベタイ」
今にもその牙が宿儺の首筋に噛み付こうとしたその時──。化け物の背中から腹部にかけて、一気に刃物が刺し貫いた。
「アッ、アオオ……ォ゛……」
さらに二回、刃物が背中を貫く。
化け物は激しく痙攣しながら、宿儺の上に崩れ落ちた。化け物を刺し貫いたのは、白い特攻服をラフに腰に巻き付けた長身の少年。その腕には、半泣きのヒースが抱えられている。
「来て、総長」
特攻服の少年はそう言うと、呆気に取られている宿儺の手を取ってその場から逃走した。




