【土用凪 祓いの酒で 酔いし虎】3★
耳障りなバイクの音が夜の街に響きながら、ヘッドライトの明かりを揺らしている。バイクに乗っているのはフルフェイスのヘルメットを被った背の高い少年。
『来てくれてありがとうございます、総長』
その少年を待ち構えていたかのように、暗がりの中から声が近づいてくる。礼儀正しいが、どこか嫌味のある声色。宿儺はバイクを降りてヘルメットを外すと、ポケットからくしゃくしゃの手紙を取り出す。
『……これ、どういう意味だよ』
宿儺の問いかけに、声が低く笑った。質問には答えず、沈黙が闇夜を支配する。宿儺は重ねて質問した。
『何で、オレの名前を知ってる?』
『他にも知ってますよ。例えば、ご両親の名前、ご自宅の住所──テレビにも出ていましたよね。一人息子が暴走族なんて──イメージダウンに繋がると思いません?』
声が笑った。その少年はえんじ色のブレザーに身を包み、育ちの良さそうな出で立ちをしている。暴走族の総長と優等生の彼では、まるで生きる世界が違う二人。
『家族に危害を加えられたくなければ──今すぐチームを解体してください。あなたの存在は、目障りなんです』
少年は目を細めて言った。
『──と、彼らは思っているんじゃないでしょうか』
ふ、と緊張感をゆるめて少年が笑う。
彼のコードネームは『ロト』という。ガットフェローチェの仮メンバーだ。
『伏見会って、聞いたことありますよね』
ロトは、宿儺の表情を窺うように尋ねる。
伏見会とは──関東を中心に勢力を広げるヤクザの組織。伏見会は様々な派閥に分かれており、会社経営だけでなく非合法の活動をしている者たちも多い。
この時、ガットフェローチェは宿儺の知らない場所でどんどん大きくなっていた。抗争のたび、彼らは大きな組織に膨れ上がり、犯罪行為も厭わなくなった一部の舎弟が問題を起こして、内部抗争も頻発している。
伏見会の末端組織がチームにちょっかいをかけているのではないか、という噂も少なからず流れた。
そんな状況の中、総長である宿儺に突きつけられたのは、あまりにも重い現実。
「……タイガさんは、伏見会の子です」
ロトは、眼鏡のブリッジを押さえながら、話すべきか少し躊躇ったように言った。タイガが、伏見会のトップに君臨する会長の息子だと。
何故ロトがそんなことを知っているのか、そんなことを聞かせて何が言いたいのか──問いただしたいことはたくさんある。しかし、宿儺は沈黙したままだった。
 
「この手紙を見る限り──総長だけじゃなく、ヒースさんやタルさんの通っている学校まで割れています。伏見会は本気で潰したいんですよ……大事な跡取りをたぶらかす、ガッチェの創設メンバーを」
彼らの望まない形で、ガッチェの名前は広まり続けてしまった。本物のヤクザに目をつけられ、仲間や家族が危険にさらされるほどに。
『総長、今すぐどこかに隠れることをお勧めします。家族も、仲間も守るために──』
「馬鹿言うな」
宿儺はそれ以上の会話を拒むようにロトを遮り、彼に背を向ける。
ガッチェを、仲間を捨てて逃げることなんて考えられないから。何より大切にしてきた、彼らとの繋がりを。
「お前の話は……全部推測だ」
けれど、その日の夜──粟島宿儺は、黙ってチームを抜けた。
何もかも、自分が抜ければ全て丸く収まると信じていた。
屋台を叩き壊して騒ぎを大きくしているその特攻服を見るまでは。
あれは、間違いなく自分の作ったチームの特攻服。彼の青春、そのもの。
「……粟島です」
機内モードを解除していた宿儺のスマートフォンに、高千穂レンからの着信が鳴り響く。
『もしもし、粟島くん!? 今どこ!? 私たちは公園にいるから、早く──』
音が割れるほど大きな声で、レンが矢継ぎ早に尋ねてくる。宿儺は、白い特攻服を着た男の胸ぐらを掴んだまま答えた。
「部長、すんません。オレまだ戻れないっす」
『何言ってるの! あなたが行ってどうにかなるような連中じゃないのよ!』
まるで噛み付くような勢いでレンが怒鳴る。自分が叱られているのに、宿儺は他人事のような心地だった。
「どうにかなるから言ってるんです。絶対、みんなに迷惑かけませんから」
『馬鹿なこと言わないで! 粟島く──』
まだ何か言いたそうなレンを遮るように、宿儺は一方的に通話を切る。その口元は、少しだけ綻んでいた。部長のおかげで、獣になりかけた思考が、人に戻ったような気がする。
騒動の中には武器を持っている者も居たが、宿儺にとって大した問題ではない。彼が今できることは、部活メンバーや一般の人たちを守ること。そして何よりも……。
「脱げ」
地面に転がった特攻服の男が、這うように後ずさる。宿儺は男が持っていた鉄パイプを地面に転がすと、その体に馬乗りになって胸ぐらを掴みあげた。そのまま勢いよく頭突きをして、白目を剥いている男の体から特攻服を引き剥がす。
「これは──お前らが着ていいモンじゃねえ」
宿儺は、倒れた男たちの特攻服を無造作に引き剥がし、地面に放った。既に二、三十人は剥いだろうか。
妙なのは、これだけ剥いても誰一人として宿儺の顔を知らないということだ。大所帯になってきたとはいえ、総長の顔を知らない舎弟など居ない。
(オレが抜けてから新設されたチームか……。ヒース、タル……アイツらは、どうしてる?)
宿儺の脳裏を過ぎるのは、彼と同じ志を持った創設メンバーたちのこと。
その内に、騒動を起こしている男たちの耳にも宿儺の情報が耳に入ったのか、鉄パイプを持った集団が近づいてきた。恐らく、宿儺よりも年上の精鋭部隊。これまでの雑魚とは違う、明らかに喧嘩慣れした男たち。
「一人でずいぶん派手にやってくれたナァ、ガキ」
妙に甲高い声の男が言った。宿儺よりも頭二つ分ほど高い男が、ニタリと下品に笑う。その腕には刺青が見えた。
「金髪に青い瞳……イヴローニュだろ? ガッチェの元総長──」
──イヴローニュ。
酔っ払いを意味するコードネーム。すでに手放したはずの、もうひとつの名前。それをこんな男に口にされる不快感に、宿儺の表情が歪む。
「俺ァ、新生ガットフェローチェの副総長様ダッ」
男は金色の前歯を見せて、その青い瞳をじっくりと値踏みする。普通の喧嘩では終わらせない、危険な空気を漂わせて。
──かつてのガットフェローチェとは、別の何か。
宿儺は黙ったまま、相手の動きを見極めるように、微かに指先の力を抜く。
気を抜けば、彼らは一斉に襲いかかってくるだろう。
もう舞台の幕は、とうに上がっていた。




