【時計草 未来照らすは 夢花火】16
「レンちゃん、いつまでも部長がふてくされてちゃダメよ。もっと楽しんで?」
人混みの中を歩きながら、ハクがなだめるようにレンの隣に並ぶ。提灯の光が彼女の拗ねた横顔を照らしていた。
レンは頬を膨らませたまま、そっぽを向いて鼻を鳴らす。グループ通話以降、彼女はずっとこの調子だ。
二人の可憐な少女は、袖を揺らしながら祭りの雑踏に紛れてゆく。
家族連れ、友達、恋人同士──。すれ違う人々は、皆楽しそうに笑っている。ハクもその賑やかしさを楽しむように口角を上げてみるが、その瞳の奥は寂しげだった。
先日、楓から届いたのは簡素なRAIIN。
『しばらくいえをあけることになりました。何かあらば豆狸か八雲さんに連絡を。本当に、すまません』
よほど焦っていたのか、誤字だらけの文章。生真面目な彼の指が焦って文字を打つ姿が脳裏に浮かぶ。ハクはすぐに『気にしないで。無理はしちゃダメよ』と返事を送ったけれど、内心は少しだけ寂しかった。
今年が、彼女にとって高校生最後の夏祭り。恋人として──楓の隣を歩ける初めての夏だった。
「ねえレンちゃん、金魚すくいする?」
意識を切り替えるように、ハクはレンの腕を引いて金魚すくい屋の前にやって来た。そこには見知った顔が居る……はずだったが。
『金鱼先生、自由自在地游着。我也想一起游泳』
聴いたこともない歌を流しながら、店番をする中華風の服を着た少年が、一人で金魚鉢を抱いている。彼の頭上には『金魚すくい』の看板があった。
「ハルくん、久しぶり。お父さんは?」
ハクが上体を屈めて声をかけると、伏せ目がちの少年は、金魚鉢から顔を上げて長い袖で器用にスマートフォンを操作した。
『チョコを食べてトイレから出られなくなっちゃったところです(´;ω;`)なので、今は僕が店番してるんですよ!:( ;´꒳`;):』
抑揚のない機械音声で答えた少年の正体は、カエルの妖怪──青蛙神。
まさか妖怪が夏祭りに店番をしているとは、さすがのレンも考えないだろう。ハクは、彼が楓の友達であることを簡単に紹介する。日本語が上手くないため、スマートフォンの音声を使って会話をしていることも。
「カエルにチョコレートって、大丈夫なのかしら……?」
『父の場合は食べ過ぎなのでd(˙꒳˙* )』
表情を変えず、何とも間抜けな機械音声で対応するハルに、いつしか先程までの暗い気持ちは落ち着いていった。
「レンちゃん──ここの金魚はとっても元気なの。金魚すくい、やってみない?」
「私は妖怪以外に興味無いわ!」
ぷいっとレンがそっぽを向く。今日のために気合いを入れたツインテールが鞭のようにしなった。きっとそれを見せたかった彼女には、どうしても抜けられない用事があったのだろう。ハクは苦笑しながら、ハルに向けて指を二本立てる。
「え、えっと……二人分で五回ずつお願い」
『はい! えーと、五回なので……五百エンになりますね! d(˙꒳˙* )』
「そこは友情価格じゃないのね……」
ハクは苦笑しながら、ハルに五百円を支払った。
威勢のいい金魚たちは、去年と違い、なかなかハクのポイに引っかかってくれない。
ポイを手に、慎重に狙いを定めてはみるが──。
「ああ〜っ……残念」
あっという間に五回分のポイを使い切ってしまう。それをずっと興味なさそうに見ていたレンが、突然横から手を出してきた。
「何やってるのよ! 一匹も釣れないなんてオカルト研究部の沽券に関わるでしょ!」
そう言って残りの五本を勢いよくひったくる。どうやら、負けず嫌いな彼女の闘争心に火をつけてしまったようだ。
『金魚たちは怖がりなので、優しくすくってあげてください( ´ ▽ ` )』
「わかってるわよ! こんなの……」
レンは袖を捲り上げながら金魚と睨み合っている。
慎重に近づけたポイを水の中に入れ、金魚が引っかかるのを待っていたが、金魚はすいすいと優雅に泳ぎ、素知らぬ顔でポイをすり抜けていく。
「レンちゃん、もしかして金魚すくいは初めて……?」
「う、うるさいわね! 幼稚園の時に香取とやったことくらいあるわよ! 交代して!」
照れ隠しのように、慌ててレンがポイを差し出す。
ハクはそれを受け取ると、静かに微笑みながら、元気に泳ぐ金魚を狙ってポイをかざすのだった。
成果は、惨敗。
それを見たハルは、金魚鉢を脇に置くと足元から水風船の入った箱を取り出した。
「请选择你喜欢的水球」
「な、何よ」
レンが少し怯んだように言う。両手の塞がっているハルは、上手く言葉を日本語に翻訳することができない。頑張って喋ろうと思えば喋れるが、日本語は難しくて舌が絡まってしまうのだ。ちょっと困ったように眉を下げて、上目遣いでレンとハクを交互に見つめていた。
「えっと……好きな水風船を選んで、って言ってるんじゃないかしら?」
「是的」
ハルがこくりと頷いて、箱を顔の前に差し出す。手作り感満載の水玉模様のカラフルな水風船が、ぽよんぽよんと揺れていた。
「あの店、絶対詐欺だわ。最初から金魚を釣らせる気なんてないのよ。金魚もグル! 間違いないわ」
「金魚がグルってことは、さすがにないと思うけど……」
金魚すくいを終えたレンは、まだぶつぶつと言っている。機嫌はすっかり直ったようだ。それが嬉しいのと同時に、ハクは少しだけ寂しくなる。
「来年は、こうやってみんなで集まれないのね……」
水風船をぽよんぽよんと揺らしながら、ハクが小さく呟いた。
「私がいる限りオカルト研究部は無くならないわよ! 大学でもサークルを立ち上げるつもりだから」
レンが得意げに胸を張る。
ゴウは、一人暮らしをすると言っていた。早くあの家から出たいのだろう。ハクもその一人だ。
「東妖高校のオカルト研究部は三人になっちゃうわ」
「新入りも入れて四人でしょ」
「橘くんは家庭部だけど……」
強引なレンに思わず苦笑する。
三年間、オカルト研究部はずっと彼女の傍にあった。家庭部とオカルト研究部の両立は忙しいけれど楽しくて、かけがえのない時間だったから。
来年にはフランスに居る自分なんて、想像がつかない。
「レンちゃん、私ね……」
不安でいっぱいの胸中を、誰かに分かって欲しくて、ハクが遠慮がちに口を開く。
レンは水風船を揺らしながら、ハクを見ずに言った。
「さっさとやることを終わらせて日本に帰って来なさい。あの子も、それを望んでるんじゃないの?」
こんな時のレンは、まるで心を読んだかのように力強い言葉をくれる。
「うん……!」
ハクが微笑む。無理やり作る笑顔ではない、心からの笑顔を見せるハクに、レンは少しだけ肩を竦めて笑った。
「お腹空いた。何か買うわよ」
そう言って先を歩くレンの後ろ姿を、ハクは笑顔で追いかける。
きっと言葉にしないだけで、不安な気持ちは彼女も同じなのだ。そして、誰かと共に過ごせなかった寂しさも、ハクと同じ。
強くてわがままで、どこまでもまっすぐな我らの部長。ハクは、そんなレンが大好きだ。
「レンちゃん、ちょっとお手洗いに行ってきてもいい?」
「わかった。もうじき一時間経つし、グルチャの様子でも見て待ってるわ」
空腹を満たして満足そうなレンは、そう言ってハクと別れた。グループチャットは数十分前に琴三が食べ物の画像を送ったきりで、全く動いていない。レンも、先ほど食べたチョコバナナの画像を送った。
「……ふん」
ゆっくりとスワイプした指が、小鳥遊香取のアイコンに留まる。
最初から期待などしていなかった。彼女の多忙さはレンが一番知っている。これはただ、自分が子供っぽく拗ねているだけだということも理解していた。
「馬鹿、馬鹿、馬鹿」
だけどやっぱりムカつくから、ハクと一緒に撮った水風船の画像を送り付けてやった。すぐに既読がつくなんて思っていない。
「……ハク、時間かかってるのかしら」
待てど暮らせど、なかなかハクは戻ってこない。さすがに祭りの日となると混みあっているのだろう。
それに、妙に周囲が騒がしくなってきた。羽目を外した人間が騒ぎでも起こしているのだろうか?
「ったく、うるさいったらないわね……」
呆れたように場所を移動したレンは、スマートフォンを見ながら時間を潰していた。何が起きているとも知らないで……。




