【時計草 未来照らすは 夢花火】13
空が茜に染まっている。けれど、それが夜明けなのか、それとも夕暮れなのか少女には判断がつかない。
時の流れが曖昧になったような世界は風もなく、乾いた赤土が大地を覆っていた。
その中心にそびえるのは、天へと伸びる大樹。幾千もの枝葉を広げ、まるで世界そのものを支えているかのように立っている。
根元には、一面の彼岸花。揺らめく炎のように咲き誇るその花々の海に、海神美燈夜は立っていた。
(これは──夢、か?)
美燈夜はゆっくりと視線を巡らせる。
遠く、静寂を切り裂くように存在する奇妙な岩の群れ。花弁の形をした岩が幾重にも積み重なり、まるで古の玉座のような輪郭を描いていた。
そこに座しているのは、一人の鬼。
茜の光が岩肌をなめるように照らし、その輪郭を浮かび上がらせていく。長く流れる髪は燃えるような緋色。影の中にあってなお、その色は際立ち、炎のように揺らめいていた。
「よう」
その鬼の顔立ちは、美燈夜に瓜二つ。
かつて、聞いたことがあった。常夜に棲む鬼王の話を。
「大昔、人間の世界で暴れた鬼がいた。そいつの一人の陰陽師によって倒され──鬼の亡骸から二本の刀が作られたと言う」
「い、いきなり何だ貴様」
突然喋りだした赤角の王を前に、美燈夜がたじろぐ。鬼王は『まあ聞け』と笑った。
「その刀は常夜と人間の世界、それぞれの世界の最も強き者に託された」
鬼王は、己の太刀をゆっくりと大地へ突き立てた。鈍い音が響き、刃が土に沈み込む。その刀は、美燈夜の持つ鬼斬丸とどこか似ていた。
鬼の王にふさわしく、その刀身は圧倒的な質量を誇り、一振りで大気すら裂くかのような威圧感。まるで、この世の理を断ち切るために鍛えられたかのような武器──異形の存在が振るうに相応しい、禍々しき業物。
対して美燈夜の刀は、人の手に馴染む繊細な細身の刃。少女ですら容易く扱えそうなそれは、鬼王の刀とは正反対の儚さを秘めている。
「オレさまには時間がねえ。だから鬼斬丸を通して貴様に話しかけてやってる」
鬼王は相変わらず尊大な態度で言った。
「何故、我と同じ顔をしている?」
「さあねえ」
鬼王は、とぼけたように笑った。やがて鬼王は、赤い瞳で美燈夜を見据える。
「よく聞け、人間の娘。魂の回帰から脱出する方法は、貴様が鬼斬丸を使ってあの餓鬼にこれまでの死因を思い出させるしかない」
鬼王が言った。
「馬鹿な。どうして海斗を斬らなきゃならない?」
「違うな、刃を突き立てるのは──コッチだ」
鬼王は、親指で自分の胸を指した。奴が何を言っているのか、美燈夜にはわからない。
「我は、母上のために常夜香果を持って帰るんだ。鬼の戯言には惑わされねーぞ」
「ふーん、そうかよ」
鬼王は、不敵に笑って肘を着いた。長い髪が炎のように揺れ、鬼の瞳は底知れぬ愉悦を湛えている。自分と同じ顔だから、余計に憎らしい。
「ほら……また死んだ」
鬼王の声が美燈夜を急かすように笑う。もう、美燈夜に迷っている時間などないのだと言うように。
「貴様の覚悟が出来たら、力を貸してやる。貴様が母の元に帰る方法も、見つかるかもしれねェしなァ……」
試すように、誘うように、鬼王が笑う。
「……うッ」
全身が痺れるような衝撃に包まれたその時、鬼斬丸が再び激しく輝いた。それはまるで空間そのものが捻れるように、視界が白に染まる。
やがて光が収束すると、目の前に人だかりが出来ていることに気づいた。
「──」
騒動の中心である大柄な男が、白い服の少年をその場に捨てる。ピンク色の髪をした、リーゼントの少年を。
(時間が、巻き戻っている……)
男たちは揃ってバイクをふかし、神社の方向へと去る。美燈夜は少年の傍に近づき、問答無用で彼の背中に手を置いた。
「瑠璃光調息」
「んぎゃーッ!?」
例のごとく、少年が悲鳴を上げて海老のように跳ねた。すぐにぱたりと死んだように地面に突っ伏したが、ほんの少しの間を置いて弾かれるように上体を起こす。
「い、いきなり何すんだよォ!?」
「ふッ、また小さい命を救っちまったな」
美燈夜は、立ち上がって満足そうに答えた。まじまじと自分の腕を見つめた少年は、骨折していたはずの腕が、問題なく動いていることに困惑している。
「腕が治ってる!? 何でッ!?」
「みなまで言うな。我に感謝しろ」
美燈夜は、興奮している少年を前にして、ちょっと得意げに腕を組んだ。
「あ──ありがとッ!」
少年は深々と頭を下げて礼を言う。二度目に見る光景だが、やはり見ていて気持ちがいいものだ。美燈夜は、ふっと笑った。
じっとりとした、数刻前と同じ湿った空気が頬を撫でる。周囲は再び、闇へと飲まれつつあった。
「その、変なこと聞くけど……お前も月桂神社に行く感じ?」
少年は、少しだけ遠慮がちに問いかけてくる。汗と喧嘩で乱れたリーゼントの隙間から、男たちにつけられたであろう無数の擦り傷が覗いていた。
「ああ」
美燈夜は迷いなく頷く。目に浮かぶのは、気弱な友の姿。彼を助けるためにここまで来たのだから。
しかし、少年の表情は晴れない。視線を泳がせて、薄暗くなった住宅街の奥──神社へと続く細道を見やる。
「今年は──やめた方がいいと思う。良くない連中が来てるって噂もあるし」
遠慮がちに引き止めるその言葉の裏には、確かな恐れが見える。進めば無傷では済まないと警告しているように。
けれど、美燈夜の足を止めるにはその程度では足りない。
「ならば尚更、我が出る」
迷いのない凛とした声に、少年は目を丸くして言葉を無くしてしまう。しかし、すぐに顔をしかめて、焦ったように言った。
「女の子が行ってどうこうなる相手じゃねーんだってば!」
「──で、これはどうやって動かすんだ?」
美燈夜は会話をぶった切るようにして、無造作にバイクへ手を伸ばす。冷たい金属の感触が手のひらに伝わるのが面白くて、ハンドルを軽く回してみるが──当然、バイクは動かない。
「こらこらこらッ! 勝手に触んな! 人の話を聞けェ!」
少年は慌てて、散らばった荷物を片付けるとバイクを守るように駆け寄った。
「これはバイクって言うんだよ。子供が悪戯したらダメなんだって──」
「子供に子供とか言われる筋合いはねーぞ」
まるで駄々っ子のように、美燈夜が唇を尖らせる。
どこからどう見てもオメェのほうが子供だわ、と言いかけた少年の顔の前に、美燈夜の人差し指が立てられる。
「我は強い。気にせず連れて行け」
「何で偉そうなんだよ……いいけど、連れていくのは入口までだぜ」
少年はそう言って、ヘルメットを美燈夜に被せた。
「お前、名前は?」
「美燈夜だ」
ヘルメットの被り方が分からない様子の美燈夜に、ヒースは甲斐甲斐しく装着させてやる。
「オレは──ヒース」
「へえす?」
「ヒースヒェンだよ馬鹿ッ! ちゃんとしっかり掴まってろッ!」
ヒースはエンジンを吹かして、勢いよくバイクを走らせる。美燈夜は少し驚いたが、何とかシートの上で振動に耐えた。
「オマエ、髪型も名前も変だな。あっちものなのか?」
「髪型は余計だろコラァ!? ヒースヒェンってのは……あだ名みたいなモンだよ」
カッケェだろ、とヒースが笑う。その顔は美燈夜には見えないが、何となく得意げだ。彼の話はちっとも理解できなかったけれど、バイクの爽快感だけは気に入った。
ほどなくして、ヒースは月桂神社の入口にバイクを停車させる。既に鳥居の向こうは異様な妖気に包まれていた。
「下がってろ、我が守ってやる」
「ああ!? オレだって喧嘩くらい──」
ヒースが何かを言いかけた時、悲鳴をあげながら逃げ惑う人々が、一斉に入口へ押し寄せてくる。
「ちょ、何だ何だッ!?」
その人混みの中に海斗や部活メンバーが居るのか、確認できないほどものすごい人の数だ。連絡手段のない美燈夜にはわからないが、既に無事に逃げた後だと思いたい。神社の中では、怒号や叫び声が響いている。
ヒースはスマートフォンを耳に当てて誰かに連絡しようとしていたが、すぐに小さく舌打ちをした。
「こーきの奴ッ、やりすぎてねェだろーな……」
その顔には焦りが浮かんでいる。美燈夜は布袋を担いだまま、ヒースを見ずに言った。
「行け、へえす。案内はここまででいい」
「だ、だからへえすじゃなくてッ──」
露店を壊し、好き放題暴れている者たちの姿が見えた時、ヒースの顔つきが変わる。どうやら、彼も美燈夜と目的は同じらしい。
祭りを破壊する不届き者を、放っておけない。そして──。
「ガッチェの特服穢しやがってッ……絶対許さねえッ!」
ヒースは指を鳴らし始めると、小さい体に見合わず大きな声で叫んだ。
「……ちゃんと親御さん見つけて帰んなきゃ怒るからなッ!」
そう叫んで、騒動の中心に駆けていく。そんなヒースの袖に刺繍されていた文字は『兎速旋風』──。なるほど、確かに彼らしい言葉だ。
「我たちも行くか、鬼斬丸」
そう言った美燈夜の手の中で、細身の刀が静かにきらめいていた。




