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【時計草 未来照らすは 夢花火】10

「は……」


 それは、一体何度目の目覚めだったろう。


 ブランケットが床に、くしゃりと落ちていた。自分がベッドで寝ていたことを思い出すよりも先に彼女の脳内に流れ込んできたのは、断片的な記憶たち。


 今が朝なのか夕方なのか、窓から差し込む茜色の光からは分からない。

 けれど、これだけは覚えている。


(海斗(かいと)が危ないッ!)


 美燈夜(みとよ)は寝巻き姿のまま、荒々しく階段を駆け下りる。汗ばむ掌が手すりを滑り、美燈夜は息を切らしながらリビングのドアを力いっぱい開け放った。


「海斗ッ!」


──返事はない。


 カーテンの隙間から漏れる夕焼けの光が、リビングの床を不吉な赤に染めている。まるで床一面に鮮血を撒き散らしたかのように。


『えー、今月上旬に行われた選挙では、自由共生党は8議席上回る42議席を獲得しました』


 テレビからは、ニュースキャスターの淡々とした声が流れている。

 画面の中では、自由共生党の葛西(かさい)菖蒲(しょうぶ)とテロップの載った男が、にこやかに微笑む映像。彼の背後に掲げられた『差別のない平和な世の中を』という言葉が白々しい。


『しっかし、葛西菖蒲さん? 自由共生党? えらい有名ですよねぇ。若い子にめっちゃ人気なんですよ。うちの相方も葛西さん大好きで〜』


 おどけた声と共に画面がスタジオに切り替わる。コメンテーターのお笑い芸人がふざけた様子で隣の相方を指した。


『や、何でこんなに持ち上げられてるんかなって思ってるだけで』


 緊張しているのか、相方は声を震わせながら落ち着きなさげに視線を揺らしていたが、やがて俯きがちに語り始める。


『最近起きてる暴行事件、狐輪教(こりんきょう)の信者が関わってるってSNSで言われてるじゃないですか。行方不明者の数も、去年と比べものになんないくらいぐーっと増えてて。芸人仲間みんな、狐輪教が関わってるんじゃないかって言ってますよ? ぶっちゃけこんな状態で平和とか言われても、何も信じられ──」


──プツン。


 声が途切れ、代わりに映し出されたのは、無表情のニュースキャスター。異様に白い面長の顔は仮面のように無機質で、薄い唇がゆっくりと動いた。


『……機材トラブルのため、一部音声が乱れました。大変失礼いたしました。……次のニュースです』


 その挨拶が終わるや否や、画面は赤い瞳と蜂蜜色の髪が印象的な少女が、化粧水を紹介するCMのプロモーション映像を撮ったという話題へと切り替わる。


「みーちゃん、おそよう〜」


 いつの間にか、食い入るようにテレビを見つめていた美燈夜に声を掛けてきたのは、隼人(はやと)だった。相変わらず気の抜けたような顔をしている。

 キッチンでは、サチエと汐里(しおり)が並んで夕飯の手伝いをしているようだ。今日は蕎麦だよ、とサチエの声が聞こえた。


「海斗なら先にお祭りに行ったよ。みーちゃんが起きないから痺れを切らしちゃったみたいで……」

「なッ!?」


 まさか海斗が一人で出かけたとは思わず声を上げた美燈夜に、隼人は驚く様子もなく、のんびりとした口調で続ける。


「みーちゃん、乗り換え方分かる?」

「わからん! 教えろ!」


 噛み付くような勢いで尋ねた美燈夜にも嫌な顔をすることはなく、隼人は人の良さそうな顔をして『書いてあげるね』と言いながらメモ用紙をちぎり、ペンを走らせる。その字はどこか丸みを帯びていて、几帳面とは言えないが温かみがあった。


「みーちゃん──浴衣だけどね、丈が少し長いかもしれなくて……」


 キッチンからサチエが声をかけてくる。エプロンをしたまま、美燈夜の方へ歩いてきた。手には白地の浴衣を抱えている。


「ばば様、今は浴衣なんか……!」


 浴衣を着せようとするサチエの申し出を一度は断ろうとした美燈夜だったが、サチエは美燈夜のためを思って作ってくれたのだ。せっかく仕立ててくれたその気持ちを無駄には出来ない。

 言葉に詰まった美燈夜を見てサチエが首を傾げた。


「ああそう、着ないのかい」


 裏表のないサチエの性格からして、気分を害したような声色ではない。だからこそ美燈夜の良心が痛むのだ。

 やがて、美燈夜は焦る気持ちを懸命に抑えて『着たい』と小さな声で答える。


「ならお行儀よくしな、すぐ終わるから。みーちゃんは女の子だろ?」


 そう言ってサチエは器用な手つきで浴衣を美燈夜に羽織らせていく。それはまるで何十年も着付けをしてきたかのような、手慣れた動き。ぶっきらぼうな言い回しとは真逆の、孫娘を慈しむような手つきだった。


「おお、そうか今日は祭りか。かわいいなぁ、みーちゃん」


 今日の仕事を終えた彦右衛門(ひこえもん)がリビングに入ってくるなり、浴衣姿の美燈夜を見て微笑ましげに破顔する。


「まるで七五三だな!」

「デリカシーないよ」


 サチエにチクリと釘をさされた彦右衛門があははと豪快に笑う。

 サチエは、手際よく美燈夜の髪をとかして結い上げ、白地の浴衣とよく合う髪留めが長い黒髪をまとめあげてくれた。


「ば……ばば様、これじゃかわいすぎるぞ……」


 少し恥ずかしそうに、美燈夜が唇を尖らせる。


「今日くらいおしゃれしたっていいんだよ」


 サチエはニヤッと笑うと、ポーチから取り出した口紅を指につけて、そっと美燈夜の唇に乗せてくれた。


「わ、本当だ。かわいいですねぇ」


 隼人はのんびりとした笑顔を浮かべ、思わずスマートフォンを取り出してカメラを向ける。


「隼人! そんなのいいから、早く乗り換え方を書け!」


 案の定美燈夜に怒られた隼人は、苦笑しながら再びペンを取った。


「ほら、これで良い」


 帯も締めてもらい、姿見の前に立たされた美燈夜は、ようやく乗り換え方を書いた隼人からメモを受け取る。


「行ってくる」

「ああ……気をつけなね」


 サチエはそう言って美燈夜の頬を優しく撫でる。軽く、親指で美燈夜の目尻を擦ってくれる仕草が優しかった。

 まだ何か言いたそうなサチエに背を向けて、今にも家を出ようとした美燈夜だったが──。


「待って、待ってぇ〜!」


 パタパタとスリッパを引きずる音を響かせながら玄関にやってきたのは海斗の母、汐里だ。その腕には、布袋に入った鬼斬丸を抱えている。


「美燈夜ちゃんには、これが必要でしょ?」


 汐里はにこにこと微笑みながら、鬼斬丸を差し出した。鬼斬丸の入った布袋は肩からかけられるようになっており、上品なすみれの花が散りばめられていた。


「ママが作ってくれたの。とってもかわいいでしょ?」


 汐里は、にこにこと微笑みながらサチエと視線を交わす。


「……ああ。(オレ)には勿体ない」


 美燈夜は鬼斬丸を汐里から受け取り、それを軽々と肩に掛けた。

 橘家は、家族の温かさを教えてくれた。行くあてもない美燈夜を家に置いて、本当の娘のように接してくれた。


──だから絶対に、救わなければならない。

 

 以前の記憶では、移動には一時間ほどかかった。到着は恐らく、部長の挨拶が終わるかどうかの時間帯になるだろう。


(海斗、死ぬなよッ……!)


 美燈夜は、汐里たちに見送られて勢いよく家を飛び出した。

 ここ数ヶ月で洋服に慣れていたせいか、せっかく着付けてもらった浴衣や髪型を崩さずに走るのは至難の業だ。しかし、今は一秒でも早く、海斗の元に辿り着かなければ。

 鼻緒が皮膚を擦り、焼けつくような痛みが走るけれど、美燈夜は走ることをやめない。


 ただ、願うように友の元へと駆けていく。

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