【魂喰蝶】4
「メイちゃん、こっちにおいで」
高千穂邸に上がった直後のこと。
高千穂レンに誘導されるようにして部活メンバーは豪華な家の中に招かれた。
当然その中にはオレさまの主、鬼道楓の姿がある。
艶やかな黒髪を一本に縛って靡かせているそのビジュアルも、憂いを帯びたその表情もいつもの事ながらかっこいい。陰のある色気、ってやつ? 筋肉質ってよりはかなり細いしその辺の女よりも頼りない背中だけど。
でも、オレさまの大事な主サマだ。
「おにーちゃん……」
「どうした? 冥鬼。ハク先輩に髪を結ってもらうんだろ?」
楓が不思議そうな顔でオレさまを──『メイ』を見下ろしている。
『メイ』は頷きを返した。
「おにーちゃんはいっしょじゃないの?」
不安そうな声で尋ねた『メイ』に、楓は少しだけ微笑みを見せる。
「僕はゴウ先輩と一緒に部長の部屋に行くんだよ、見せたいものがあるらしくて。それより冥鬼──」
ため息混じりにそう言った楓は、ふと思い出したように『メイ』の頭に手を置く。その手首につけられた赤い数珠が僅かに輝いた。
「──鬼道の名において命じる」
オレさまにしか聞こえないくらいの小さな声で囁いた楓の言葉と共に、『メイ』の小さい体に鬼神の力が膨れ上がっていくのを感じる。
体が炎に包まれ、『メイ』の体はオレさま本来の体となった。
「あの体だとやりづらいこともあるだろ。お前だって招かれてる側だし。力を使わなければその姿を維持するのは可能だろ? 最近は妖怪も出ないし、たまにはお前も羽を伸ばし──」
「マジかよ、最高だぜ楓っ!」
オレさまはすぐさま楓に抱きつこうとしたが、楓が避けたせいでオレさまが抱きしめたのは突如目の前に放り出された豆狸だった。
「ぐえええっ」
豆狸が潰れたカエルのような声を上げる。
「──女同士でしか話せないこともあるだろ。楽しんでこいよ」
楓は口数少なくそう言って、ネコちゃんに急かされるように別室へと向かう。
「何だよ、あいつ。照れなくてもいいのに」
肩を竦めるオレさまの後ろからハクねーちゃんの視線を感じた。振り返るとハクねーちゃんが優しく微笑んで、オレさまはちょっとドキッとする。
玄関ホールに取り残されたオレさまたちは、執事とかいう使用人に招かれるようにして客室へと案内された。
くっそ長いテーブルがあって、椅子もテーブルを囲うようにたくさん置いてある。
「それでは、何かありましたらお呼びください」
執事がそう言ってしっかりと扉を閉めて部屋を出ていく、と……必然的にオレさまたちさ二人きりになり、何となく無言になった。
豆狸のアホは緊張感なくキョロキョロしてやがるけどな。
「えっと……とりあえずメイちゃんの髪を結わなきゃね。ここに座って?」
「お、おう……」
オレさまはハクねーちゃんに言われるがまま、椅子のひとつに腰掛ける。するとねーちゃんはオレさまの後ろに回るとテーブルにポーチを置いて、その中から櫛とヘアピンを取り出した。
続けて、小さな折りたたみの鏡をオレさまの目の前に置くとねーちゃんが鏡越しににっこりと笑った。
「じゃあ……よろしくお願いします♡」
「お、おう」
ねーちゃんの柔らかな手が、オレさまの耳の後ろをくすぐって長い髪をたくしあげる。
何となく落ち着かなくて視線を彷徨わせていると、オレさまの髪を梳きながらハクねーちゃんが口を開いた。
「楓くんと同じシャンプー、使ってるの?」
優しいハクねーちゃんの声が耳の後ろから聞こえて、オレさまは何度も頷く。
「そっか。だから髪がツヤツヤなのね」
ハクねーちゃんはにっこりと鏡越しに微笑んで、再びオレさまの髪を梳き始める。
慣れた手つきで毛束を分けていったハクねーちゃんは、もう一度丁寧に髪を梳いてからみつあみを始める。
「楓くんってね、部活ではとっても気の利く子なのよ。きっと親御さんの育てかたが良かったのね」
ハクねーちゃんが自然な口振りで話しかけてくるから、だんだんオレさまも緊張が解け始めていた。
「親っつーよりもオレさまの教育係の育てかたがよかったんだよ」
オレさまは笑って答える。すると、ハクねーちゃんは嬉しそうに微笑み返してくれた。
楓はいつも、この笑顔を見て部活をしてるんだよな……。そりゃ惚れない方が無理ってもんだぜ。男女分け隔てなく優しく接してくれるその姿は、オレさまから見たって女神だ。オレさまの母上と同じくらい激甘で、お人好しの女……。
楓を独り占めにする女。そんな女、いますぐ八つ裂きにしたいくらい大嫌いで、苦手なはずなのに──突き放せない。
この女には、悪意がないから。心からオレや周りのことを考えてる。
負けを認めたわけじゃねえが……この女は強敵だ。
そんなオレさまの気持ちなんか露知らず、ハクねーちゃんが慣れた手つきでみつあみを作っていく。
「楓くんも髪で遊んだらいいのにね。みつあみとか似合いそうじゃない?」
「た、確かに……」
あいつ、いつもポニーテールだもんな。
霊力がどうのとか言って長い髪にこだわりがあるくせに自分の髪で遊んでるところは見たことがない。
「私が教えるから、みつあみしてあげたらどう?」
ハクねーちゃんはそう言うと一度解いたみつあみをオレさまに見せるようにして編み始めた。
「えっと、こうか?」
「そうそう──あんまり固く縛らないようにね」
いつの間にかオレさまはハクねーちゃんに言われるがままにみつあみの練習をしていた。
ねーちゃんの教え方は親身で、優しくて。
もしオレさまに姉が居たら、ねーちゃんみたいな人が良いなって思うくらいには、心を許し始めちまっている。
「……ふふ、上手に出来たわね」
ハクねーちゃんはそう言って、自然な動作でオレさまの頭を優しく撫でる。
そして、オレさまの結んだみつあみを取ると、それを頭の上で団子にするようにしてヘアピンとリボンを器用に使ってまとめあげた。
「はい、できた。見る?」
そう言ってハクねーちゃんがテーブルの上の鏡を傾けると頭の左右にみつあみで作られた団子はリボンで結ばれてて、何だかすごく……。
「女みたい、だな……」
「みたい、じゃなくて女の子でしょ? メイちゃんはもっとオシャレしていいのよ」
ハクねーちゃんが優しくオレさまの体を背中から抱きしめる。
そのぬくもりは何だかとても懐かしくて、いい匂いがして、無性に寂しい気持ちになった。
「オレさまが女の格好をしても誰も喜ばねえよ」
「何でそんなこと言うの?メイちゃんはかわいいんだから、自信持って」
ハクねーちゃんが屈託のない笑みを浮かべてる。
そんなことを言われると、オレさまは楓にも両親にも見せられないような、情けない顔をしてしまう。
そんなオレさまを思ってなのか、ハクねーちゃんがさらに続ける。
「こんなにかわいいんだもの。楓くんも喜んでくれるわ」
かわいいなんて、今すぐ斬り捨ててやりたいくらい屈辱的なはずだ。だってオレさまは、冥鬼は女になりたいわけじゃない。男として、王として生きようって決めたのに。
なのにどうして、かわいいって言われてこんなに嬉しい気持ちになるんだろう?
「オレさま、は……」
その時、奇妙な違和感を覚えた。
部屋に入った時は閉められていたはずの扉が半開きになっている。
扉の隙間から、ヒラヒラと金色の蝶が入ってきたその時だった。
室内にあった家具がガタガタと音を立てて揺れ始めたんだ。
「きゃっ! な、何なの……? 地震?」
突然家具が音を立てたことでハクねーちゃんが怯えたように辺りを見回すが、すぐにオレさまの体を抱き寄せてテーブルの下に引っ張りこんできた。
「ちょっ、おい!」
「地震の時はテーブルの下に隠れるの。メイちゃん、怖がらなくて大丈夫……こっちにおいで」
ハクねーちゃんはオレさまを遮るようにしてテーブルの下に隠れる。
いつの間にか、部屋に入り込んでいた蝶々の姿は消え、その代わりに家具がますます激しい音を立てて揺れている。
それどころか、椅子やテーブルが宙を舞って激しくぶつかり始めた。
これは地震なんかじゃねえ……。
「ねーちゃん、この部屋から出るぞ。何か妙だぜ」
「え……?」
オレさまは、ハクねーちゃんの腕を押しのけてからその手を掴もうとした。その時、ねーちゃんの目が大きく見開かれる。
その目はオレさまの後ろを見ているようだった。
「危ないっ!」
ハクねーちゃんの声と共に、ねーちゃんがオレさまの体に覆い被さる。
同時にテーブルが吹っ飛んで扉に叩きつけられた。
そんなオレさまたちの頭上を、金色の蝶が飛んでいる。
「お、おいおい!あれって──妖怪だぜ」
いつの間にか、オレさまの肩に豆狸が立っている。
金色の蝶はゆっくりとハクねーちゃんの頭上を飛び回った。
「この──命知らずがッ!」
すぐさま、炎と共に出現した愛刀の鞘を手にしたオレさまは剣を引き抜いて蝶に斬りかかる。
しかし、蝶はヒラヒラと舞いながらオレさまの攻撃を避けやがった。
「──調子に乗ってんじゃねえぞ、害虫」
舌打ちをしたオレさまは、すぐさま二回目の追撃をするために切っ先を蝶へと向ける。 その時、蝶の羽根から金色の鱗粉が撒き散らされているのが微かに見えた。
蝶が移動した箇所を辿るように、鱗粉は部屋中に広がっていく。
当然、それはオレさまたちの傍にも漂っていた。
「こ、こいつはまずいぞ……」
豆狸がふらふらとオレさまの肩から転げ落ちるようにして、ハクねーちゃんの傍へと駆け寄る。
ハクねーちゃんは、オレさまたちに背を向ける形でへたりこんでいた。
「鬼原、おい──鬼原ッ!」
豆狸が声をかけると、ハクねーちゃんは口を押さえたまま青い顔で振り返った。
「やっぱり……日熊、センセイ……なんですね」
「そんなことどうでもいいんだぞッ! 早くこの部屋から出るんだッ!」
豆狸が短い両手をパタパタさせながら声を荒らげる。
「この蝶……人間の生気を吸い取ろうとしてやがるッ!」
その言葉に、金色の蝶は不気味に羽根をはためかせた。




