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【時計草 未来照らすは 夢花火】9

(たちばな)くん?」


 夏の陽射しを遮るように、日傘をさして涼しそうな白いワンピースを着た少女が声をかけてくる。

 彼はその場に突っ立ったまま、顎から汗が滴っていた。

 酷く胸糞悪い夢を見たような気がする。軽い熱中症にでもかかってしまったかのように、胃がムカムカした。


「やだ、橘くん……顔真っ赤よ」


 ハクは目を丸くして言うと、日傘を傾けながらポーチの中からタオルに包まれた保冷剤を取り出して海斗(かいと)へ差し出す。


「よかったら使って」

「あ、わわっ……」


 海斗は差し出されるままに受け取ったタオルを、遠慮がちに首筋に当てた。体が冷やされ、うだるような暑さも少し和らいだ。


「今日は記録的な猛暑日なんですって。外出するなら日傘は持ち歩いたほうがいいわね」


 ハクはポーチの中から、小さな未開封のペットボトルを取り出した。中には半解凍状態の水が入っている。


「飲んで。倒れちゃうわ」


 それは母親とはまた違った包容力。海斗はおずおずとペットボトルを受け取り、未開封のキャップを開けて冷えた水を口に運ぶ。

 女性恐怖症が治ってからというもの、女性に対する苦手意識は徐々になくなり、日常生活でも不便を感じることはなくなった。今も、こうして近くで会話をしていても全く問題ない。ただ、美少女キャラの紙袋を手に提げている自分の姿は見られたくなかった……と切に思う。


「ありがと、ございます。い、生き返るぅ……」

「ふふっ」


 冷えた水を口にして気の抜けた笑みを見せる海斗にハクが微笑みかけた。


「部活のほうはどう?」

「はい。最近、みんなで蕎麦打ち体験をしたんですけど……家でも作ってみたいなぁって思るとこですっ」


 海斗が紙袋を後ろ手に持ち替えながら答えると、ハクは嬉しそうに微笑んだ。


「よかった。家庭部のみんなと仲良くやれてるみたいね」


 そう微笑んだハクは、夏休みの間ケーキ屋で短期バイトをしているのだと言う。そのため、家庭部にもオカルト研究部にもなかなか顔を出せないでいる。


「私はね、ちょうど楓くんの家にケーキを差し入れして帰るところだったの。保冷剤もしっかり入れたから溶けてなかったし、冥鬼ちゃんにも喜んでもらえてると良いな……」


 ハクは少しだけ寂しそうに微笑んだ。

 冥鬼(めいき)とは、美燈夜(みとよ)に瓜二つの風貌をした鬼王のことだという。海斗は未だ、冥鬼と顔を合わせたことはない。それは冥鬼が療養の身であるからだ。

 先の戦いで無理を重ねた冥鬼の体は、酷く弱ってしまったのだという。


「冥鬼……さんの具合、そんなに悪いんですか?」

「ううん、大丈夫……だけどね」


 かぶりを振って否定するハクの表情は晴れない。事情を知らない海斗にそれ以上声をかけることは出来なかった。


「そ、それじゃ。保冷剤とお水、ありがとうございますっ」

「どういたしまして。気をつけて帰ってね」


 ハクに見送られるように頭を下げた海斗は、冷えたタオルを首筋に当てながら歩き出す。そんな彼の後ろ姿に声をかけたのはハクだった。


「あ、あの──ね、橘くん」


 海斗が振り返ると、日傘をくるくると回しながら彼を見つめるハクと目が合った。ハクは、少し迷うように視線を揺らして、それから口を開く。


「すごく恐ろしい夢が正夢になった時……あなただったらどうする?」


 日傘で出来た陰の下で、ハクは海斗を窺うように見つめている。


「えーと……」


 返事に困ってしまった海斗を見て、ハクがかぶりを振った。


「ごめんなさい、気にしないで。またね!」


 ハクは手を振りながら微笑むと、栗色の髪をなびかせながら揺れる陽炎の先へと姿を消す。

 しばらくその後ろ姿を見つめていた海斗は、こめかみを垂れる汗を拭いながら何となくアスファルトに視線を落とした。

 ハクの言っていたとおり、今日は記録的な猛暑日だ。ずっと外に居ては、日に焼けて痛い思いをするどころか、熱中症で倒れてしまうかもしれない。


「僕、いつからここに立ってたんだろ……」


 誰に言うわけでもなく、不思議そうに呟いた。あまりの暑さで頭がぼんやりしているのかと思いながら、海斗はポケットの中で熱くなったスマートフォンを手に取る。


「あちち……」


 スマートフォンに表示された通知は一件。


「……ッ」


 海斗は、奇妙な感覚に襲われて恐る恐る背後を振り返った。

 猛暑のせいか、夏休みで皆避暑地に行ってしまっただけなのか、海斗以外に外を出歩いている者はいない。


(車の音も、しない……)


 まるでこの世界に自分だけが取り残されたような感覚が妙に不気味で、恐ろしくて。こめかみを流れた汗が、スーッと冷たくなっていく。

 海斗は、ペットボトルの中の水を一気に飲み干して、耳にワイヤレスイヤホンを着けるために立ち止まった。


 ガリ……ガリ……。

 ズ……ズ……ガリッ。


 地面を引きずる不規則な音が、微かに聞こえる。まるで、錆びた刃物を砥石に押しつけるような、硬く、ざらついた音。鼓膜をそっと撫でるような音。

 それは、何かを引きずりながら近づいてくる。


(バイクだ……)


 カーブミラーに、バイクが一台映った。

 バイクの持ち主だろうか、フルフェイスのヘルメットを被ったそのライダーが海斗の後ろから近づいてきているのが見える。

 海斗は何となく、ミラー越しにライダーの様子をうかがった。彼は何故あんなにもゆっくり動いているのだろうと、ライダーの手元へ視線を落とす。


(え……?)


 その瞬間、何かを引き摺って歩いていたライダーの手がゆっくりと持ち上げられ──。

 悲鳴を上げる間も、助けを求める時間すら与えられず、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 その後のことは、何も覚えていない。

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