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【空蝉の 潜む聲無き 鬼の影】3★

 時刻は、朝の五時を少し過ぎた頃。

 寝る前に入った風呂のおかげか、スッキリとした目覚めだ。

 鬼道楓(きどうかえで)は、長い髪を結い直しながら、襖の向こうから聞こえる寝息を聞いていた。

 どうやら、坊主はまだ寝ているらしい。


(そりゃ、あれだけ飲めばな……)


 昨夜のことを思い出して、楓が苦笑する。

 坊主を起こさないように部屋を出た楓は、先日椋と手合わせをした稽古場へと足を運んだ。

 坊主や藤之助を起こすにしても、まだ時間が早い。

 少し体をあたためて、自分がこれからすべきことを考えようと思った。


「あら楓ちゃん──おはよぉ。こないなとこで会うなんて奇遇やなぁ」


 扉に手をかけた瞬間、金糸雀色の和服を着た麗人がおっとりと声をかけてくる。

 鬼道椋──叔父の姿だ。先日と変わらない柔和な笑みを浮かべている。


「おはようございます。勝手にすみません」


 慌てて詫びる楓に、椋は柔らかな物腰で『ええんよぉ』と告げる。

 聞けば、此処での朝稽古は椋の日課らしい。


「その──ご迷惑でなければ、また手合わせしてもらえませんか?」


 楓が尋ねると、椋はすぐに快諾した。

 椋の好意によって薙刀を貸し与えられた楓は、先日の感覚を思い出すようにそれを構える。

 白狐との死闘で得た感覚。それを忘れないうちに体に刻みつけておきたかった。

 相手が椋なら気合いも入るというものだ。


()()()()、楓ちゃん」


 楓の攻撃を悠々と薙ぎ払いながら椋が言った。楓は注意深く薙刀の動きを観察しながら大きく踏み込む。

 日差しの差し込む道場に、薙刀の擦れる音が響いた。


「椋さんは、白い狐を見たことがありますか?」

「あー?」


 椋は少し気の抜けたような返事をしてから薙刀を水平に振る。

 即座に頭を下げてそれを避けた楓は、無意識に刃先を立てて剣を構えるような八相の構えを取った。


「昨日、僕の前に現れたんです。紅葉(くれは)さんも見た事があるそうなんですが……聞きそびれて」


 身軽につま先を蹴って大きく距離を取った椋は、黙って楓の話を聞いている。


「そいつは、本当にめちゃくちゃな奴で……僕は手も足も出ませんでした」


 楓は昨夜のことを思い出しながら、自分自身に呪いをかけていると指摘した不思議な白狐の話を続けた。

 椋の動きを捉えようとするたび、楓が追いかけるのは金糸雀色の布地。それが徐々に、ハッキリと見えるようになっていく。


「僕は、まだ弱いです。親父みたいにはなれない。だけど──」


 椋は、少しずつ後退していた。


「弱くても、前に進むことは出来る」


 不思議と、楓の心は落ち着いていた。

 椋の動きを追うたび感覚が研ぎ澄まされ、体と手が薙刀と馴染んでいく。

 風の音を立てて、楓の薙刀が椋の胴を薙ぎ切った瞬間、初めて椋が防御の構えを取った。


(できた……!)


 成功した喜びが、楓の中で確かな自信に変わる。

 大きく後退した椋を前に、高揚感を抑えきれなくなった楓の口から笑みが零れた。

 椋は、距離を取って静かに構えたままだ。


「おやすみ おやすみ よいこよ──」


 不意に椋が、か細い声で口ずさむ。それは、どこかで聞いたような懐かしい子守唄。


「きつねの こもりうたを きかせてあげる」

「ぐッ!?」


 その瞬間、優勢だったはずの状況は逆転した。薙刀の動きは楓の反応速度を上回り、空気が裂ける音が聞こえる。

 椋が口ずさむその歌声は、恐ろしいくらいに綺麗で、悲しい。


「ぐあぁッ!」


 手首を切断されたのではないかと思うほど強烈な痛みが走り、楓の手から薙刀が弾かれる。


「──楓ちゃん、喋りすぎやわぁ」


 今の楓に、椋の表情を窺う余裕はない。

 咄嗟に薙刀を拾おうとしたが、椋の足がそれを蹴り上げた。

 武器をなくして、足元が乱れてしまった楓の体勢が崩れる。


「──ほんま、()()()()()()()()()。朝からえらい喋って……元気やねぇ?」


 ずっと柔らかかった椋の声色が、ぞっとするほど冷たく変化していく。

 その時、一瞬の躊躇いもなく何かが空気を裂く音がした。


「──ッ!?」


 何が起きたのか理解する間もなく、楓の胸に焼けるような痛みが走る。


「が、はッ……」


 残酷な熱が胸の奥から背中まで突き抜け、骨を軋ませた。

 生あたたかい液体が口内に込み上げ、鉄の味が広がっていく。

 それが自分の血だと気づいた時、楓の全身が凍りつくような恐怖に襲われた。


(こ、れ……本物の、薙刀……?)


 薙刀の柄が楓の血でぬらぬらと光っているのが見えて、ヒュッと情けない息が漏れる。

 そのせいで体に力が入ってしまったのか、薙刀を飲み込んだ胸に激痛が走った。痛くて苦しくて叫び出したいのに、唇を震わせながら激痛に悶える楓の声は弱々しいうめき声にしかならない。

 足元に、ぽたりぽたりと血の滴る音を聞きながら、痛みで声が出せない楓の耳元に、椋が唇を寄せる。


挿絵(By みてみん)


()()やったよ、楓ちゃん」


 深く抉って勢いよく引き抜いた薙刀の切っ先から血飛沫が舞い、楓の体は呆気なく床に倒れた。

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