【空蝉の 潜む聲無き 鬼の影】1★
甘えたような鳥のさえずりが、ひっきりなしに少年の耳元で聞こえる。
まどろむ少年のフードに潜り込んだり、耳にくちばしを突っ込んだりと忙しなく動き回っていた小さな雀は、やがて少年の胸に飛び乗って再び『ぴちち』と鳴いた。
「……おはよ、チー太」
まだ夢の中といった様子の鬼道藤之助は、胸の上で跳ねているチー太を落ち着かせるように片手で包み込んで優しく撫でる。
既にカーテンは開けられており、朝日が差し込んでいた。
自分しか居ない部屋で誰がカーテンを開けたのか考えたが、昨夜はあの来訪者がふにゃふにゃとした口調で喋るせいでカーテンを開けっ放しで眠ってしまったのだ。
「ちー!」
チー太の声は歌っているようにも、藤之助に『よく眠れた?』と尋ねているようにも聞こえる。
「ん、よく眠れた。お前が傍に居てくれたし」
「ぴちゅ!」
寝ぼけた様子の藤之助に褒められて嬉しいのか、チー太は藤之助の肩で跳ねながら歌うように鳴いた。
雀という生き物は、こうも朝から元気なものなのかと内心思いながら、藤之助はスマートフォンを手に取る。
時刻は、朝の七時半だ。
竹次郎の日記は、昨夜以降なんの反応も無い。
藤之助は、開かれたままの日記を元の本棚へと仕舞った。
「……ぴちー」
何を思ったのか、チー太が藤之助の首筋に顔を埋めて、くちばしでつついてくる。
甘えているのか、何かを伝えたいのかは分からない。いくら陰陽師とは言え、藤之助に雀の言葉は理解できないからだ。
ただ、しつこくくちばしで髪を弄ぶ動きがくすぐったくて、藤之助は肩を竦めて笑った。
鬼道家は地下二階、地上三階建てとなっている。主に三階で暮らしているのは藤之助や、兄の桜太郎だ。
その昔は叔父たちも住んでいたと言う話だが、既に空き部屋になっている。
その他には二部屋ほどの客室があり、風呂場やトイレも完備されていた。内線で使用人に食事を運ばせることも出来るため、わざわざ三階から降りる必要はない。
「……何だよ」
早速内線で朝飯を運ばせようとしたが、呼出音のみが鳴り続けている。たっぷり一分半呼び出し続けた後、藤之助は舌打ちして早々に部屋を出て風呂場へと向かった……。
夜中の汗をたっぷりと流し、ついでに歯を磨きながら昨夜のことを思い出す。
眠りに落ちる少し前に白狐が何か言っている気がしたが、よく覚えていない。
「ちー! ちー!」
視線を落とすと、流れる水の溜まった先でチー太が懸命に水浴びをしていた。
飛沫を飛ばしながら、楽しそうに羽音を鳴らしている姿が愛らしい。
「面倒くさいけど、食堂行くか」
「ちー!」
藤之助はチー太の羽根をしっかりと乾かして着替えを済ませ、階段を降りていく。
時刻は、既に八時になっていた。
二階にある祖父の部屋の前が、何やら騒がしい。
杏珠と、キッチン担当の使用人たちが部屋の前に立っている。
内線をかけても呼び出しに応じなかった理由はこれか、と藤之助は思った。
「……何集まってんだよ」
藤之助の問いかけに杏珠は答えない。使用人は皆、沈痛な面持ちで黙っていた。
視線の先では、医師と松蔭、そして古くから仕えている使用人数名が当主の布団を囲むように座っている。
相変わらず感情のない声で松蔭が医師と話しているのを聞きながら、藤之助は部屋の中を観察した。
まず目に入ったのが、祖父の命を繋ぐための装置が叩き壊されているということ。
つまり、祖父は既に……。
「何だ、ようやくくたばったのかよ」
藤之助の声に、入口に居た使用人たちが慌てて道を開けた。部屋の中に居た医師がぺこりと頭を下げる。
松蔭の返事を待たずに杏珠が部屋に上がったのを確認して、藤之助も後に続く。
「……桜太郎兄さん、来てないんだな」
「まだ寝ているはずだ」
破壊された装置を見ながら誰に言うわけでもなくそっけなく問いかける藤之助に答えたのは松蔭だ。
先日、藤之助からあれだけの暴言を吐かれたにも関わらず、表情を変えることなく相変わらず淡々としている。
あれから、桜太郎は無事に部屋に戻ってきたのだと藤之助は内心安堵しながら、少し気まずそうに『ふーん』と返事をする。
「これが、ご当主様の枕の下に……」
医師が封筒に入った手紙を松蔭へ差し出した。それを見た松蔭は、僅かに眉間に皺を寄せてうなだれる。
手紙に何が書かれているのか、藤之助には興味がない。
「柚蔵が仕組んだんだろ」
藤之助の声に、部屋の入口に居た使用人たちがざわついた。
「じいさんが死ねば次の当主になるのはアイツだ。さっさと殺したかったんだよ。この家を支配したいから」
「藤之助」
松蔭が低い声で制する。その声は相変わらず感情のないものだった。
柚蔵を犯人扱いしても変化を見せない鉄仮面の父親にほとほと愛想が尽きたと言わんばかりに、藤之助が部屋を出ていこうとする。
「どこへ行く」
「楓さんを起こしてくるんだけど? 犯人探しの続きもあるし。邪魔すんなよな、ウザいから──」
じろりと松蔭を睨むように一瞥して、藤之助は部屋の入口に溜まっている使用人たちを虫でも追い払うかのように手を振る。
そんな藤之助の背中に向けて、松蔭は静かな声でぽつりと呟いた。
「──既に犯人は見つかった」
ぴたり、と藤之助の足が止まる。
聞き間違いだろうか。怪訝そうに振り返った鳶色の瞳には、感情を失ったような松蔭の顔が映っている。
「お前が起きる少し前、処罰された。父上を殺した犯人は──鬼道楓殿だ」
藤之助には、父が何を言っているのかわからなかった。




