【赤加賀智 残痕辿る 狐雨】5
『やはり血筋だけでは才能は受け継がれないようですな』
『鬼道様、もう少し頑張っていただかないと。古御門先生の顔に泥を塗ってしまいますよ』
耳に入る嘲笑は、どれもかつての楓を腐らせた言葉たち。
鬼道澄真の血を引き、最強の陰陽師である柊の息子である楓は、陰陽師となってすぐに最弱のレッテルを張られた。
それは事実だし、否定はしない。
だからこそ、彼なりに努力を重ねてきたつもりだ。冥鬼の助力で妖怪を倒しながら、鍛錬は欠かさなかった。
今年に入って一人で依頼をこなすことも増え、自信もつき始めていた矢先がこれだ。
周囲の陰陽師に比べて十三年遅れていることなど、この差は縮められないことなど、紅葉に指摘される前から分かっていた。
こうして今も、彼は自分自身に呪いをかけてしまうのだから。
「う……」
全身がだるく、まるで自分の体が鉛のように重たい。視界はぼんやりと霞み、しばらく自分がどこにいるのかも分からなかった。
やがて暗闇に慣れた目が部屋の天井を認識し、畳の香りが彼の意識を引き戻していく。
楓は、薄暗い部屋でゆっくりと意識を取り戻した。
「……そうだ、怪我……」
震える手で胸を撫でるが出血はなく、外傷も見当たらない。いつのまにか白狐の姿も消えていた。
頬を伝う冷たい涙を拭って部屋の中を見渡すと、月の光が障子の隙間から差し込んでいることに気づく。
部屋の奥には布団が敷かれており、部屋の主が寝ているはずである。
しかし──楓の視界に映ったのは、年若い青年が月を眺めながら手すりに凭れている姿だった。
白い髪に、鮮やかな赤い瞳をした青年。扇子で自分自身を仰ぎながら、悠然とした様子で微笑んでいる。
それは、鬼道家の廊下に飾られていた白黒写真の青年。薄暗い廊下の壁面に飾られた白黒の写真の人物がそこに居た。
「あ、ありえない……」
混乱する楓を見つめて青年は微笑みながら長い髪をかきあげ、静かに言葉を紡ぐ。
「一緒に月見をしませんか?」
青年はそう言って微笑んだ。
なぜ若い姿なのか、なぜここにいるのかという疑問は残る。それでも彼の微笑みは、これまでの戦いの疲れから解放されたかのように心地よかった。
「こ、れは……夢、ですか? 本物のおじいさまは……」
楓がこわごわと尋ねる。青年は子守唄のように優しげな声色で応えた。
「ここは私の部屋ですよ、楓くん」
くす、と鬼道柊一が笑う。
またあの子供の術で幻を見せられているのかもしれないとも思ったが、そんな楓の心を解くように柊一の笑みは無垢だった。
「夢か現実か、それは君が決めることですが……でも、こうして君の目の前にいる私は、確かに鬼道柊一の意識があって、君と話したいと願っているかも……」
柊一は、先程の子供のようにふわふわとした口調で答える。
しかし、あの子供と決定的に違う部分がひとつあった。
「私には霊力がありません。何もできませんから安心してください」
柊一はそう言って絹糸のような白い髪に指を通す。その髪は、彼が一切の霊力を持たない証拠だ。
「おいでやす」
柊一はそう言って自分の隣を示した。
黙りこくっていた楓は、やがて小さく頭を下げて柊一の隣に向かう。
頬を撫でる風も、虫の声も先程の花畑と同じで本物そのものだ。
「君がこんなに立派になったこと、祖父としてとても嬉しいですよ」
楓は黙って大きくかぶりを振った。
先程も、子供相手に惨敗したばかりなのだから。
自分の中で押し込めていた劣等感や焦燥感、無力感が、楓の口から零れていく。
「……僕は、あの子供に手も足も出なかった。紅葉さんにも、勝てなくて。これまでだって……僕は……」
楓は、ぽつぽつと自分の心の中にある傷を打ち明けながら、手すりをぎゅっと掴んだ。
自分が何度も打ちのめされてきたこと。伸び悩むその苦しみが、彼の胸を締め付け続けていることも。
「そうでしたか──」
柊一は、静かに楓の肩に手を置き、優しく頷いた。
彼の手の温もりは、現実のものか幻想のものかは分からない。それでも、その温かさは本物だ。
「私も若い頃、君と同じ悩みを抱えていました」
何せ最弱陰陽師ですからね、と柊一が笑った。
祖父が、若い頃にどれほどの苦労をしてきたのか、楓は知らない。
けれど、彼は穏やかに真っ直ぐ生きてきたのだろう。その顔立ちを見ていればわかる。
「僕は、どうしたら良いんですか」
藁にもすがるような気持ちで楓が問いかける。
柊一は穏やかな表情を浮かべて楓を見つめると、やがて静かに口を開くのだった。




