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最弱陰陽師は、自分にかけた呪いとまだ向き合えていない  作者: ふみよ
京都編

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【赤加賀智 残痕辿る 狐雨】4

 目の前に佇むのは子供とは思えない神秘の存在。あどけない眼差しで、(かえで)の全てを見透かすように微笑んでいる。彼の奥底にある恐怖も劣等感も、全て見えているかのように。

 赤い瞳が鈍く光った次の刹那──。


「ぐっ!」


 楓は、全身に力を込めてその攻撃を受け止めた。一体その体のどこに力があるのか、木刀を握った手がピリピリと痺れる。

 即座に木刀を弾き返したが、その一撃は虚しく空を切った。子供は軽やかな動きで楓の攻撃をかわし、その身のこなしはまるで野山を駆ける兎のように素早く、とらえどころがない。


「私に一発でも入れてごらん。ご褒美に甘味をあげる」


 まるで幼い子供をあやす兄や親のように子供が言った。軽やかに子供が跳ねるたび、黒髪を結った紐が大きく揺れる。

 その言葉に挑発されるように、楓は焦って木刀を振るった。


「何で──こんなことをする必要がッ!」


 楓の木刀は呆気なく空を切り、子供が楽しそうにコロコロと笑う。まるで、次の行動が読めているかのように、優雅な舞を踊るように楓の攻撃は避けられていく。

 そのたびに、焦燥感と無力感が楓の中で広がっていった。


 やっぱり自分には、何も出来ない。


 その思いが木刀を重くし、彼の動きを鈍らせていく。

 足がもつれ、よろめいたところを子供の木刀で叩かれる。

 これでは子供に遊ばれているかのようだ。


「ふふ、何でって?」


 子供は穏やかに微笑みながら、軽やかに跳ねて楓の払った木刀の上に乗った。


「これはおさらいだよ、鬼道楓。君がこれまでに何を学び、どうやって己を育ててきたか」


 木刀の上に乗ったまま、子供は器用に近づいてくる。その赤い瞳が楓の困惑した顔を映した。

 幼い手が楓の頬を撫でて、艶やかな黒髪を指に通していく。それは我が子を慈しむようでもあり、何かを見定めているような仕草でもあった。


「──なるほど。()()()()()()()()()だめか」


 楓を覗き込んで言った子供の声は、無邪気で冷酷。まだ何かしらの敵意がある方が良かった。


 そこには、殺意も悪意もない。


 楓の背筋を冷たい汗が伝った。

 次の瞬間子供の瞳が瞬き、楓の体から自由を奪う。見えない鎖で縛られているかのように、手足が動かない。


「うッ!」

「君には(まじな)いが掛かってる。それは()()()()をかけ、幾重も絡まって無理やり解こうとした糸みたいだ。簡単には解けないよ」


 子供は木刀の上から軽やかに降り立って流し目を送る。その眼差しは相変わらず眠そうで、口元には穏やかな笑みをたたえていた。


「かつては君の血筋を羨む大人たちがかけたものかもしれない。それを君自身がさらに複雑に──ぐちゃぐちゃにしてしまったんだねぇ」


 おっとりとした口調で言った子供が楓を二本指で示す。


「自分は弱い。何も出来ない。だから成功しない──そう暗示をかけてる」


 子供は冷静に、穏やかな声で楓の弱点を分析する。その言葉はナイフのように楓の深くに重く突き刺さっていった。


「そんな、こと──」


 だから反論しようとしても続きの言葉が出てこないのだ。かろうじて絞り出した声は情けなく震え、言葉が出てこない。


「これが《呪い》さ」


 子供はそう言いながら手を下ろした。

 同時に、楓の体から力が抜ける。まるで悪い夢でも見ていたかのように。

 しかし、楓の表情は晴れなかった。


「僕が弱いのは……本当のことだ」


 ぽつりと暗い声が漏れる。

 自分を見つめる幼い子供を、赤い瞳で見つめ返した。


「いつも冥鬼(めいき)や、みんなに助けられてばかりで、何も出来なかった」


 胸の内を少しずつ明かしていく楓に、子供は穏やかに微笑んだまま。弱気な彼を叱ることもせず、慰めることもない。

 ただ、木刀は構えたままだった。


()()()()を守るんじゃないのかい?」


 舌足らずな問いかけに、楓の指先が僅かに反応する。

 楓が顔を上げるのと木刀が叩きつけられるのはほぼ同時だった。その小さな体のどこにそんな力があるのか、容赦ない攻撃に激痛が走る。


「ぐっ……」


 楓の表情が歪む。それは痛みだけのせいではなかった。

 呪いも、無力感も全てが重く彼の体にのしかかってくる。


『何自分は無関係ですって顔してんだよ』


 京都に初めて訪れた時、紅葉(くれは)に言われた言葉が頭をよぎって、木刀を持つ手が反射的に震える。

 彼を打ち負かさなければ、自分自身に勝てない。


(でも……)


 楓が唇を噛んだ。


「僕は、親父(最強)でも紅葉さん(天才)でもないッ! 凡人だッ!」


 よろめきながら体を起こした楓が、力任せで木刀を振りかぶる。


「ふふ」


 子供は涼しい顔をしながら避け、逆に楓を翻弄していく。それを追うように、楓は何度も立ち上がって木刀を振り上げた。

 黒髪が乱れるのも構わず、ただひたすらに獲物を追う狩人のように。


「少し良くなってきたかな」


 子供は陽炎のように姿を変え、野を駆けるうさぎになって、時に鹿になっては楓を翻弄する。景色も華やかな花畑から野山、野山から都へ、そして赤い空の広がる荒野へとめまぐるしく変化していった。

 しかし、戦いに夢中になっている楓はその変化にすら気づかない。

 彼の視線の先で、楓の木刀が淡く輝いていたことにも。

 木刀が振りかぶられるたびに赤い残像が空を切った。


()()()()()()だ、鬼道楓」


 赤い空の下で子供の声が言う。楓が振り返ると岩で作られた祭壇の上に、純白の狐が佇んでいた。その瞳は楓と同じように赤い。

 狐は、岩で出来た階段をしなやかな足取りで降りてくる。

 笑みを浮かべるように赤い瞳を細めたその顔は、(ひいらぎ)にも紅葉(くれは)にも(むく)にも、そして楓自身にも似ていた。


「お前──」


 楓が何かを問いかけた次の瞬間。

 狐の爪が楓の胸を深く切り裂く。まるでスローモーションのように、大量の鮮血が桜吹雪のように花畑の絨毯へと飛び散った。


「か、はッ……」


 切り裂かれた胸が熱い。震える手で傷口を押さえようとするが、滝のように溢れる血で致命傷であることしかわからない。

 血が抜けていくにつれて手足は急速に冷たくなっていき、意識が急速に遠ざかっていく。


(あと少し、だったのに……)


 子供との戦いの中で、何かが掴めそうな気がした。けれど、それも今となっては──。

 薄れていく意識の中、彼が最後に見たのは自分を覗き込む赤い瞳の白狐。


「その呪いは、いずれ君自身が解かなきゃいけない。時間はかかるけどね」


 白狐の鼻先が、優しく楓の額に触れた。

 その言葉を理解するよりも前に、楓の意識は深い暗闇へと沈んでいく。


 死へ向かうことに恐怖はなかった。

 あるのは、母の腕の中で眠りに落ちるような心地良さと心地いい疲労感。


 完全に暗闇に包まれた世界で人工呼吸器の音がハッキリと聞こえたのは、彼が意識を手放してからまもなくのこと──。

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