【赤加賀智 残痕辿る 狐雨】3
「なっ」
襖の先は別世界だった。
天井があるはずの場所には、どこまでも続く澄みきった青空が広がり、視界を占めるのは、色とりどりの花々が咲き乱れる花畑。
まるで、突然夢の中に落とされたような感覚。
あまりにも非現実的な光景に、鬼道楓は言葉をなくした。
「ようやく来たのかい?」
花畑の中から声が聞こえて、楓は恐る恐る声のした方向へと進んでいく。少し開けた場所で、先程の子供が足を投げ出して串団子を頬張っていた。まるで、この花畑が彼の庭であるかのように、余裕たっぷりの表情で。
「な、何で家の中に花畑が……」
「海の方が良かった? 私はどちらでも良いんだ。美味しいものが食べられてゆっくり眠れたら山の中だろうと海の上だろうと、それこそ雲の上でも──」
子供は悪びれもなく答えて、団子を食べ終えた竹串を咥える。
そのぼんやりとしたゆるさに──この幻想的な光景にすっかりペースを乱されてしまう楓だったが、何よりも先に問わねばならないことがある。
「お前、何なんだ」
震えた声で楓が尋ねると、子供は赤い瞳で流し目を送った。
「鬼道家の気象予報士。あとは占いと、探偵業も少々」
要は何でも屋さ、と子供が笑いながら傍らの紙袋を探り始める。
本気か冗談かも分からない子供の落ち着き払った口ぶり。幼い子供とは言え、鬼道家に居る以上ただ者ではないだろう。
「何でもって……」
「何でも屋だよ。花畑だって作れるし、体が動かない子には自由に動ける体もあげられる」
そう言って子供は楓を見上げると、自分の隣を軽く叩いた。
「座ったらどうだい? この花も福樂焼きも本物だよ」
仏頂面で立ちすくんでいる楓に微笑みかけた子供が、紙袋から取り出した福樂焼きを差し出す。
警戒した様子の楓は、子供と福樂焼きを交互に睨んでいたが、やがて恐る恐る福樂焼きを受け取った。
「……本当だ」
口に含んだサクサクとした皮と中の甘いこしあんは、楓が紅葉と食べた福樂焼きそのもの。しかも焼きたてだ。
「鬼道橙子を殺した犯人は自分の仲間かもって疑っているんだろう?」
福樂焼きを頬張りながら、突然子供が言った。それは今、一番触れてほしくない話題だ。
楓は少し距離を置いて子供の隣に腰掛け、膝を抱えながら福樂焼きを齧る。
「アイツは人を殺さないって約束した」
自分に言い聞かせるように口に出す。しかし、事件現場で聞いた人喰い妖怪の話がどうしても頭をよぎってしまうのは、『人の心臓を食べる猿が出没している』という柚蔵の話を聞いてしまったからだ。
猿神が楓の目の前から立ち去って、既に数日が経っている。
もしも、彼が空腹を満たすために人を襲っているのだとしたら──。
「相変わらず後ろ向きな子だねえ。誰に似たんだろ」
次第に暗くなる楓の顔を見て、子供はおっとりした声色で言った。
「君は本質が見えてない。自分のことも見えない奴にあの子を守れると思えないなぁ」
楓は黙ったまま答えない。そんな楓の反応を眠そうな表情で見つめていた子供は、自分の指をぺろっと舐めた。
「鬼道楓、私と手合わせしようよ」
子供はいいことを思いついたかのように、ゆっくりと体を起こす。陽光に照らされて、艶やかな黒髪が煌めいていた。
「剣術の心得なら多少はある。昼間、椋とやってたのは何だい、あれ。お遊戯会?」
「み、見てたのか……」
苦虫を噛み潰したような顔で楓が口ごもる。
子供は気にした風もなく、胸に抱えた紙袋から福樂焼きを差し出した。
「いや、今は……」
これ以上の甘味は要らないと胸の前で軽く手を振る楓を見て、子供は肩を竦めて福樂焼きを頬張る。
眠そうな顔は相変わらずだが、やたらと甘味を頬張る顔は楓の知る誰かに似ている気が──。
「甘味は大事だよ。紅葉も言っていただろ? ちなみに私もこしあん派だ」
福樂町で楓たちと共に同行していなければ分からない話を子供が口にした。まるで、ずっと楓のことを見ていたかのような口振りだ。
穏やかに微笑みながら福樂焼きを頬張った子供は紙袋に手を突っ込むと、紙袋の中身が異次元に繋がっていたのかと思うほど長い木刀を取り出す。
「これが君には使いやすいかもしれないねぇ」
「お前、何で紅葉さんのことまで……っていうかその木刀、本当に紙袋から出したか?」
楓は投げ渡された木刀を反射的に受け取り、さりげないツッコミを口にする。
「おいでよ。まったり死合おう」
質問には答えず、得体の知れない妖気を纏った子供はたおやかに微笑む。
ふわりと舞い上がった風が花びらを散らし、子供の体を纏うように幻想的に揺れていた。




