【西瓜割り御霊鎮めし魂祭】3
鬼道杏珠が楓を客室へ案内する後ろから、暗い顔をした藤之助が続く。
床をキィキィと不気味に軋ませる三人分の鬼鳴りが、廊下に響いていた。
杏珠が案内したのは、十二畳ほどの客室。
部屋の真ん中には畳用の座敷机があり、それを囲むように座布団が置かれている。
左側の壁際には、高価そうな花瓶に美しい花々が活けられており、左手は押し入れのある襖だ。
部屋の奥には、小さめの簡易冷蔵庫が設置されていた。液晶テレビも完備されており、こんな状況でなければのんびりと京都での滞在を満喫しながらテレビを見る余裕もあっただろう。
「ありがとう、杏珠さん」
無理やり笑顔を作って礼を言う楓に小さく一礼した杏珠は、赤い目でちらりと藤之助を見たが、すぐに背を向けた。
「何かあったら、内線でお手伝いさんを呼べばいい。欲しいものがあれば、持ってきてくれるから」
湿度のある声でぽつぽつと語った杏珠の目が、室内にある電話機へ向けられる。
楓が再度礼を言うよりも先に、もう一度静かに頭を下げた杏珠は、振り返ることなく部屋の前から立ち去った。
彼女のことは、同じ仙北屋に預けられていた鬼道家の子供同士、多少なりとも理解していたつもりだ。鬼道家に戻ってきた途端、姉の橙子には虐められ、父である柚蔵からは虐待まがいのことをされていたことも、藤之助は知っている。
知っていて、何も出来ない自分が腹立たしかった。松蔭の子であるというだけで、彼には柚蔵や橙子に口を出すことが許されない。もし口を出したら最後、地下の懲罰部屋でどんな目に遭うか分からないからだ。
その負い目から、彼女が藤之助の部屋にやってきても何も言わなかったし、本を読んでいても好きにさせた。
話しかけてくることもなく、ただ置物のようにそこにいる彼女に気を遣う必要はない。
そんな関係が心地よくて、いつしか自分から話しかけていた。きっとその時には既に、鬼道杏珠を意識していたのだ。
しかし今は、彼女の考えが読めない。
「杏珠──」
遠慮がちに呼び止めようとする藤之助だったが、既に鬼鳴りは聞こえなくなっている。
藤之助は、大きく舌打ちをして壁に背中を預けた。
「……」
橙子の死体を前にした時、藤之助は激しく動揺した。橙子へ特別な感情があったわけではない。その死に様が、あまりにも残酷すぎたからだ。
しかし、楓はどうだっただろう。
最強の子でありながらまともに術も使えず、藤之助よりも劣っているはずの最弱陰陽師は、あれからずっと何かを考えこんでいる。
藤之助が舌打ちをしたせいか、どことなく気まずそうな顔をして座布団に腰掛けているのが見えたが、あえて気にしなかった。
むしろ、その方が楽だ。誰にどう思われようと自分のやることは変わらないし、楓が勝手に気を張っているなら放っておけばいい──のだが。
「──あの。別に楓さんに怒ってるわけじゃないですよ」
つい、声をかけてしまう。術も満足に使えない最弱陰陽師であることが分かってから、藤之助はどうも楓を放っておけない。彼が頼りなく見えるのも理由のひとつだろう。
その時、部屋の外からしっかりとした鬼鳴りが聞こえた。
正体は桜太郎を部屋に送り届けた、紅という名前の坊主だ。しかし、その表情にはどこか暗い影が落ちている。
自分以上に動揺していた兄、桜太郎のことを思い出して、藤之助はため息を飲み込んだ。良くも悪くも、兄は箱入り息子だ。死体を見るのも初めてだったろう。
(ま……俺も初めてだけど)
藤之助は、先程の自分の狼狽ぶりを思い出して、何となく恥ずかしくなった。
「やはり、桜殿には少しショックが大きかったみたいでね。部屋で休ませてきたよ」
楓と目が合った坊主は、普段と変わらない声色で答える。しかし、藤之助にはどこか歯切れ悪く聞こえた。坊主の顔には、僅かに疲労が滲んでいたからだ。
「楓殿、何を悩んでる?」
しかしそれを楓に気取られないようにしたのか、荷物を下ろして荷解きをしながら坊主が尋ねた。
出会って間もない藤之助でさえ、楓が何かを考え込んでいることくらいわかる。
「さっきの……柚蔵さんの話です。もし犯人が、猿神だったら……って思って」
案の定、思い詰めた表情で口を開く楓を見て、坊主は『楓殿』と諌めるように言った。
「もうちょい猿神を信じてやったらどうだい? これまで死線を潜り抜けてきた仲なんだろ?」
楓は即答しなかった。
猿神と楓の関係がどれほど深いのか、藤之助には分からない。けれど、今自分がすべきことなら決まっている。
鬼道家なんて、どうでもいい。こんな家に忠誠を尽くすつもりなどなかったし、犯人を懲らしめたいとか、橙子のことを可哀想だとも思っていない。
ただ、これ以上自分の無力さを感じるのはごめんだった。




