【豆狸】3
「……今日は、ありがとね。急に押しかけたのに夕飯までご馳走になっちゃって」
カレーうどんを食べ終わってお腹を落ち着けた小鳥遊先輩を駅まで見送るため、僕と冥鬼は暗がりの夜道を小鳥遊先輩と共に歩いていた。
「カレーうどんおいしかった!」
「ん。アタシもハマりそうだ」
無邪気に微笑みかける冥鬼に、小鳥遊先輩が笑う。
「……何か、照れますね」
女性に手料理を褒められるのは初めてのことで、僕はちょっと気恥ずかしかった。
冥鬼は女性だけど子供だし、何を作ってもおいしいおいしいって言ってくれるからありがたいんだけどさ。
「楓クンみたいな陰陽師に出会えて良かったよ。仏頂面なところは減点だけど」
「き、気をつけます」
冗談ぽく笑った小鳥遊先輩が、ふと、表情を曇らせる。
「──正直言うとさ、アタシ……陰陽師が嫌いなの。アタシの知ってる陰陽師は昔からクズで、金に汚くて、男を取っかえ引っ変えしてアタシを捨てた……心底軽蔑する女だったから」
まるで吐き捨てるように口にした小鳥遊先輩の表情が僅かに和らぐ。
でも、と付け足した先輩は少しだけ笑った。
「でも今日、その印象が少しだけ変わった」
キミのおかげでね、と。
そう言った小鳥遊先輩が距離を詰めるように僕の隣に並ぶ。
「それは──褒められてるんですか?」
「さあね。考えてみて」
小鳥遊先輩は、肩を竦めて笑ってから冥鬼の頭を優しく撫でた。
「カトちゃん、またあそびにきてくれる?」
冥鬼の寂しそうな問いかけに、小鳥遊先輩は頷きを返して彼女の頭を撫でる。
「ん。仕事が入って無ければ遊びに行く。これ、アタシの電話番号」
そう言って、小鳥遊先輩はズボンのポケットからボールペンを挿したメモ帳を取り出すと、走り書きで電話番号を書いてからそれをちぎって冥鬼に持たせた。
「暇してたら掛けてきていいよ。仕事で出られなくても折り返すからさ。これで冥鬼ちゃんとアタシはズッ友ね」
「わあ! ずっとも!」
電話番号の書かれた紙を受け取った冥鬼は嬉しそうに声を上げて僕へと振り返る。
僕は冥鬼の頭を軽く撫でて小鳥遊先輩に礼を言った。
「すみません、小鳥遊先輩だって忙しいのに……」
「別に──男家族で小さい女の子一人じゃ色々大変じゃん。何かあったら相談乗れるかと思っただけ」
小鳥遊先輩が肩を竦めてニヤリと笑った。
僕と冥鬼は顔を見合わせて笑うと、改めてもう一度小鳥遊先輩にお礼を言う。
「ありがとうございます、小鳥遊先輩にそう言ってもらえるとすごく心強いです」
「別に、夕飯のお礼がしたいだけだし……キミ、真面目な顔でいちいち大袈裟だよね。もしかして童貞?」
小鳥遊先輩は黒いフードを被って僕の鼻先に指を突きつける。
「どっ……」
思わず顔が熱くなる。小鳥遊は吹き出すように笑うと、身を翻して駅の方角に向かって歩き始めた。
「せっ……先輩! 送っていきますよ」
「そう言うのはハクに言ってやりなよ。駅、もうすぐだし……最寄りについたらマネージャー呼ぶつもりだからね」
な、何でハク先輩が出てくるんですか……! と言いかけようとした僕の言葉なんか聞かずに、小鳥遊先輩はイタズラにニヤリと笑ってからいつものぐるぐる眼鏡をかける。
「そんじゃ、また明日会いましょーねっ!」
底抜けに明るい口調でそう言った小鳥遊先輩は、スクールバッグから取り出した黒髪のウィッグを被ると見事な『変装』をして、軽い足取りで駅へと向かった。
「ばいばぁーい! またねぇー!」
小鳥遊先輩の姿が見えなくなるまで大きく手を振っていた冥鬼は、やがて両手を下ろして大事そうに電話番号の書かれた紙をギュッと握りしめた。
「僕達も帰ろうか、冥鬼」
「うん!」
僕が手を差し出すと、冥鬼は慌てて紙を持ち替えてから無邪気に笑うと、僕の手をしっかりと掴んだ。
再び家に向かって歩くそんな僕達の前方から、下駄を鳴らしながら和服の男が近づいてくる。
「おお、こんな時間に散歩か? 不良だねぇ」
「親父……」
それは丸一日姿を見せなかった僕の父親、鬼道柊だった。相変わらず飄々とした男だ。……おそらく、こんな時間までパチンコだな。
冥鬼は僕から手を離すと、小走りに親父に駆け寄って抱きつく。
「おかえりなさーい!」
「おう、メイちゃんに会いたくて帰ってきたぞ〜」
親父は冥鬼を抱き上げて頬擦りをしているが……冥鬼はちょっと痛そうだ。
親父の顔を手で押して、嫌そうな声を上げた冥鬼はすぐに地面に飛び降りてしまう。
「う〜っ……おヒゲきらいっ!」
そう言って家へ駆け戻る冥鬼を、親父はあごひげを擦りながら楽しそうに見送る。
僕は親父とともに冥鬼を見送った後、遠慮がちに口を開く。
「……親父の札、使ったよ。椿女と戦った」
親父の反応を見るように話しかけてみる。けれどこの男は相変わらず飄々とした様子で煙草なんぞを吸い始めていた。
「……親父、妖怪の知り合いなんか居たんだな……陰陽師のくせにさ」
ふう、と煙草の煙を吐き出す親父の表情は、暗くてよく見えない。
「豆狸が、陰陽師狩りに襲われたんだ。傷が癒えるまで、家で面倒を見ることになった」
僅かに親父の顔色が変わった気がした。
しかしこの男は短い返事をするだけ。
「……そーかい。あの大五郎がねぇ」
親父は、豆狸を大五郎、と呼んだ。大五郎は豆狸が人に化けている時の……日熊先生の名前だ。
「日熊先生と、友達……なのか?」
「ああ、高校ん時からのな」
親父は煙草を咥えて笑った。どうやら日熊先生という呼び方がツボに入ったらしい。
「オレは、もう陰陽師じゃねえ。お前に何かを教えたり、鍛えたりしてやることはできねえ……そういう決まりになってる」
けど、と親父が口を開く。
「お前に手を貸すなとは言われてるが、妖怪が手を貸すなとは言われてねえからな……コネはたっぷり使っておかねーと」
そう言ってニヤリと笑う親父の顔はとてもじゃないが正義の味方には見えない。
「豆狸を使って椿女と戦うように仕向けたのって親父……なのか?」
「さあな」
僕の質問をのらりくらりとかわすように、親父はニヤニヤ笑いながら空を仰いだ。
「陰陽師狩りってヤツが何なのか、オレは知らねえ。それは鬼道家の当主が解決しなきゃならねえことだからな」
「……ああ」
僕が深く頷くと、親父は少しだけ目を細めて僕の髪をくしゃくしゃと撫でた。
親父が何を思って陰陽師を辞めたのか、僕には分からない。直接聞いたことは無いからだ。
親父が陰陽師を辞めたのは、どうしてなんだろう。そんなことを考えながら僕は小さく口を開けた。
「あ、親父の夕飯忘れてた」
「そりゃねーだろ楓〜!」
親父が大袈裟にため息をつく。いつまでたっても家に入らない僕達を心配してなのか、冥鬼がぴょんぴょんと駆けてくる。その腕には豆狸も居た。
「おう、チビ」
「誰がチビだこのヒゲ」
親父は豆狸と軽口を交わすと、僕の肩を抱き寄せて言った。
「居候も増えたことだしよ、買い物行こうぜ買い物」
「おかいものー!」
親父の言葉に冥鬼がはしゃいだ声を出して両手を上げた。
豆狸は慌てて冥鬼の腕にしがみつくと、器用に肩から頭に飛び乗る。
「買い物は良いとして、豆狸って何を食べるんだ?」
「何でも食うぞ! 人間の時はコンビニ弁当ばっかり食ってる!」
「コンビニ弁当うめーよな」
豆狸が機嫌良さそうに尻尾を振って、親父がそれに同調する。僕は親父の脇腹に肘鉄を入れてから豆狸を見下ろした。
「体育教師が毎日コンビニ弁当じゃ体に良くないぞ。自炊は?」
「う、し……しない……ってゆーか、できない」
豆狸は返答に困った時の癖なのか、両手で目を隠す。
僕はため息をつくと、冥鬼の頭の上にいる小さな居候の食事のことも考えながら、財布も持たずに歩き出す親父を全力で引き止めてから財布を取りに家へと戻ったのだった。




