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最弱陰陽師は、自分にかけた呪いとまだ向き合えていない  作者: ふみよ
京都編

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【弁慶草、むせかへる鬼の衣かな】15

「……杏珠(あんず)は、何で鬼道(きどう)家を恨まないんだよ」


 理解できない者への苛立ちから、藤之助(とうのすけ)の声色が険しくなる。杏珠は本から顔を上げ、赤く感情のない瞳で藤之助を見据えた。


「人を恨んで、何かが変わる?」


 その声は美しい小鳥のよう。怒りも悲しみも感じられない、無垢で静かな声色。目の前の美しい少女が冷静であればあるほど、藤之助の苛立ちは膨らんでいく。


橙子(とうこ)さんや柚蔵(ゆぐら)……様にいつも酷いことされてるだろ。馬鹿だよな、アイツら。俺たちが本気出せばこんな家の連中、いつでも呪い殺せるのにさ」


 藤之助はふと、何かを思いついたように椅子を蹴って立ち上がった。椅子の足が床を引きずり、鈍い音を立てる。


「そうだよ、鬼道家(アイツら)全員殺そう! 俺たちを仙北屋(せんぼくや)に押し付けて、都合が悪くなったら呼び戻す勝手な連中、まとめて呪殺しちまうんだよ!」


 良いことを思いついたかのように叫ぶ藤之助の目には狂気が宿り、声は興奮で上擦っていた。

 そんな藤之助を見つめた杏珠は、本のページに栞を挟んで音も立てずにゆっくりと立ち上がる。


「呪い方を知っている人は、安易に人を呪ったらいけない。仙北屋の掟を忘れた?」


 その声は冷たく、そして悲しいほどに儚い。藤之助の激しさとは正反対の、静かな声。その言葉に戸惑った藤之助だったが、すぐに苛立った様子でこめかみに青筋を立てながら笑った。


「は? いつから優等生になったんだよ。ここは仙北屋じゃない、鬼道家だ」


 杏珠を追い詰めるように、藤之助が畳み掛ける。部屋の隅へと杏珠の体を追いやった手が、乱暴に壁へ置かれた。

 これではまるで橙子と同じだ、と頭の片隅で思う。姉妹でありながら、妹を痛めつける歪んだ姉、橙子。藤之助は彼女が嫌いだった。

 しかし今、自分は橙子と同じことをしている。杏珠を威嚇して、言うことを聞かせようとしているのだ。


「だったら、殺してみる?」


 杏珠は怖がるどころか、人形のようにされるがまま。ガラス玉のような赤い目が、藤之助をじっと見つめていた。

 藤之助が何かを言いかけるより前に、壁に押し付けられていた杏珠の体が藤之助に寄りかかる。


「んあッ……!?」


 制服越しに少女の柔らかな体が触れて、藤之助の顔が赤くなった。それまでの強気な態度はどこへいったのか、弱気な声を上げて後ずさる。けれど杏珠は気にした様子もなく、ゆっくりと藤之助に距離を詰めてきた。


「ば、馬鹿──来るなッ……ぎゃッ!」


 足を滑らせてへたりこんでしまった藤之助を、杏珠が覗き込む。その頬に、さらさらとした長い黒髪が触れた。心の裏側まで見透かすような赤い瞳に見つめられて、恥ずかしさでどうにかなりそうになる。


「それとも、お父様と同じことを藤之助もしたい?」


 杏珠は躊躇いもなく、藤之助の体を跨いでその上に腰掛けた。少女の赤い瞳は、何の感情も映していない。


「な、何を言って……ッあ!」


 制服越しでも分かる少女の柔らかな肢体が、藤之助の腰の上にある。十六歳にしては大人びた体。黒いスカートから覗く白い足が、月明かりに照らされている。

 杏珠は上体を伏せて、黒髪のカーテンで藤之助の顔を覆い隠した。制服越しの柔らかな膨らみが、薄い胸板の上でぐにゃりと潰れる。


「ひ……」


 怖くて嬉しいこの感情をどう処理したら良いのか分からず、藤之助は切なそうな吐息を漏らしてしまう。男のくせに何て情けない声だと思った。


「あ……当てない、でぇ……」


 なけなしの理性で懇願した藤之助の顔は真っ赤に染まり、声も弱々しく震えていたが、当の杏珠は恥じらうどころか、にこりともしない。


「藤之助は優しいから、人は殺せない。わたしも、恨んでいない人は殺せないの」


 軽く額にキスをされて、藤之助の頬が朱色に染まる。

 少し期待してしまったことが恥ずかしかったからか、それとも馬鹿にされたと感じた怒りからくるものなのか、彼にもわからない。


「ふッ、ふざけんな! 俺は殺せる!」


 咄嗟に反論するが、杏珠は涼しそうな顔をしたままだ。人殺しなど出来ないと知っている目。

 長い髪を耳にかけてゆっくりと体を起こした杏珠は、本棚へ読み終えた本を戻した。


「本、面白かった。ありがとう」


 そう言って杏珠が部屋を出ていく。藤之助は顔を真っ赤にして拳を握りしめた。トコトコ、と机を移動するチー太の足音だけが部屋の中に木霊している。


「く、くそ……ッ! 年下だと思って馬鹿にすんなよッ!」


 ギュッと拳を作って机を殴りつけようとするが、チー太が立ち止まって無邪気に首を傾げていることに気づくと、怒りをどこに向けたらいいのか分からずに自分の拳を手のひらで包むように押さえる。

 声にならない呻き声を上げながら地団駄を踏む藤之助の心中を知ってか知らずか、チー太は嬉しそうにぴょんぴょん跳ねるのだった。

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