【弁慶草、むせかへる鬼の衣かな】11
墓参りを終えてその場から離れようとした楓は、自分たちと同じように墓参りをしにやって来た二人組に気づいた。歳若い青年が、新しい墓石に手を合わせている。どうやら楓たちには気づいていないようだ。
「やあ、桜殿」
「紅先生……ご機嫌よう」
桜と呼ばれた若者が、暗がりの中で深く頭を下げた。彼の名前は桜太郎。松陰によく似た、どこか儚げな美青年だった。
若葉色の羽織りを纏い、名前と同じ桜色の着流しには鳥のブローチの帯留めがきらきらと光っている。
その後ろには、居心地悪そうな表情をした少年の姿が居た。
顔の右半分を長い前髪で覆い隠した少年は、唯一覗く左の瞳で楓たちを一瞥する。
その鳶色の眼差しは、警戒心に満ちていた。
「やあ、君が藤之助殿かい? 桜殿から聞いてるよ。初めましてかな……俺は紅」
坊主に声をかけられた少年は、少し強ばった顔をして顔を背ける。明らかに、他人に対して壁を作っているようだ。
「藤之助……挨拶はちゃんと──」
桜太郎が優しく諭すように言うが、その言葉が藤之助の心に届いている様子は無い。
「はは、構わんよ。むしろ鬼道家の陰陽師たるもの、このくらい警戒心を持っていただかなくては。紅葉なんて初対面の人相手じゃ目も合わせないからね」
坊主は大して気にもしていないのか、快活に笑って藤之助の頭を撫でた。突然頭を撫でられた藤之助は、慌てて振り払うように距離をとる。
「俺、陰陽師になるつもりないです。こんな家、さっさと出るつもりだし」
その言葉に込められているのは、鬼道家に対する強い反発。
「おや、それはどうしてかな?」
快活な笑顔をそのままに、坊主が首を傾げた。
「どうしてって、鬼道家なんて過去の栄光にばっかり縋って、裏では汚いことを平気でしてる奴らだからですよ。その証拠に、柚蔵は暴力で家族を支配してる。そんな奴に媚びてる椋さんだって黒い噂しか聞きません」
藤之助は捲し立てるようにして言った。小声で桜太郎が諌めるが、あえて無視をしている様子だ。スイッチが入ってしまったのか、藤之助は長い前髪の下で笑った。
「そこのお坊さんが引き取らなかったら、紅葉叔父さんは椋さんに殺されてたかもしれないんでしょ?」
楓が半信半疑に坊主を見上げる。にこやかだった坊主の表情は、少し引きつっていた。ほらね、と藤之助が満足げに歪んだ笑みを見せる。それを止めようとしたのは兄の桜太郎だ。
「もうやめなさい、藤之助……」
「鬼道澄真だって、美談ばっかりが独り歩きしてるけどどうせアイツらと変わらない詐欺師の極悪人で──」
饒舌に話を続ける藤之助の悪舌が、彼らの祖先である鬼道澄真にまで向かう。
「藤之助……!」
静寂な墓地に桜太郎の悲痛な叫び声が響いた。
「それは……竹兄様のことも、悪く言っているのと同じことです」
桜太郎の眼差しに悲しみの色が浮かぶが、それでも肉親を理解しようとするように寄り添う。
「死人は自分が悪く言われようと気にしない。もう死んでるんだし。大体、俺が竹兄様のことなんて覚えてるわけないだろ」
藤之助の冷たい眼差しと突き放すような返事に、桜太郎は悲しげに表情を歪ませる。兄としてどう接したらいいのか分からないと言うように。
そんな兄を一瞥した藤之助は、嘲笑うように言った。
「……怒れば? 兄貴らしく説教しなよ」
桜太郎の目は悲しそうに細められている。楓は居心地悪そうに坊主をチラッと見た。
「怒れるわけが、ありません……。やっと帰ってきたお前を、たった一人の弟を……怒るなんて……」
強い口調で責められ、桜太郎の眼差しには涙が浮かんでいた。ちっ、と藤之助が舌を鳴らす。
「……いい子ちゃんかよ」
そう言って藤之助が背を向けた。慌てて袖で涙を拭った桜太郎が声をかける。
「と……藤之助、どこに……」
「部屋に戻るんだけど。ビクビクしながら兄貴面して干渉してくんなよ、ウザいからさ」
強い言葉で突っぱねられ、桜太郎は口を噤んでしまう。その反応を嘲笑うように、藤之助が鼻を鳴らしてその場から立ち去った。そんな弟の背中を見つめて、桜太郎は小さく肩を落とす。
そんな重苦しい空気を変えたのは坊主だった。
「いやあ──ずいぶん素敵な性格だな。うちの紅葉といい勝負だ」
「はは……私もあの子とどう向き合ったら良いのか模索していまして」
その声には、藤之助への愛情と戸惑いが込められている。桜太郎という青年は、弟思いの優しい人なのだと楓は思った。
「良かったら、仲良くしてやってください。環境が変わって、友達も居なくて……きっと心細いんです。だからわざとあんなことを口にしているだけで……本当は、とても優しい子なんですよ」
そう言って微笑む桜太郎の目に涙が浮かんでいた。
刺々しい藤之助の態度に若干尻込みしてしまっていた楓だが、桜太郎の頼みを聞いて小さく頷いた。
仲良くできるかどうかは別として……。
「紅先生──少しよろしいですか?」
桜太郎が、帯留めのブローチを指で擦りながら言った。坊主が何かを言う前に、気を利かせた楓が声をかけてくる。
「僕、先に戻ります。その……藤之助くんのところに行こうかなって」
「悪いな、楓殿」
楓は双方に会釈をして墓地から離れていく。桜太郎はその背中を見送りながらどこか寂しげに微笑んだ。それはまるで、過去を懐かしむように。
「少し、竹兄様に似ていますね」
「そうだろ? 気が弱くて優しいところなんてそっくりだよ。今日も紅葉にたっぷり振り回されて来たんだろうに、そんな様子も見せない」
桜太郎が微笑んだ。しかしその笑みは徐々に消えていき、彼の瞳に悲しみが浮かぶ。
「……紅様」
桜太郎の赤い瞳が、じっと紅を見つめている。その瞳に涙が浮かび、桜太郎は耐えきれずに坊主の胸に飛び込んだ。
「鬼道家を、お救いください……」
泣き出してしまったのか、桜太郎の声が震えている。
坊主は桜太郎の背中を撫でた。
「何なりとご用命を。俺に出来ることなら力になるよ、桜殿」
その優しい声を聞いて、桜太郎は安堵したように胸を撫で下ろす。
その瞼が、ゆっくりと瞼を閉じられていった。まるで優しい夢を見るかのように。
「竹殿が亡くなったと伺った。一体どうして──」
坊主の問いかけを聞いて、桜太郎の顔色が現実に引き戻されたように青ざめる。
その鳶色の瞳は、深い悲しみに満ちていた。
「父からは、事故としか説明されていません。ですが、椋様が言うには……まだ死体が見つかっていないから、必要以上に騒ぐなと」
桜太郎の感情を押し殺したような声が、闇夜に溶けていく。
坊主は、怪訝そうに眉を寄せながら自分の顎をさすった。
「ちょうど兄の姿が見えなくなってすぐに、父が眼帯をつけるようになって……その後、藤之助が仙北屋家から帰ってきました。兄の死と関係があるのでしょうか」
その言葉には明らかな不安が滲んでいる。坊主は顎を撫でながら苦笑した。
「ない──とは言いきれない。しかし椋殿からの情報と言うのが……イマイチ信用出来なくてなあ……」
坊主の言葉には、紅葉の兄に対する複雑な感情が滲んでいる。それは藤之助の言った通り、過去の出来事が原因だ。
私情を挟みたくはないが、彼はあの男のことが苦手だったし、きっと椋も坊主のことをよく思っていない。
「鬼道家は……どうなってしまうのでしょう」
桜太郎の声が涙声になる。細い肩が、頼りなく震えているのが見えた。
「君が鬼道家を継ぐ気はないのか?」
桜太郎が驚いた顔をして坊主を見上げる。坊主の言葉が、桜太郎の胸に突き刺さったかのように。
「君は松蔭殿に似て賢いし、竹殿に似て文武両道だ。鬼道家を取りまとめるための力も備わっている。これほどの適任者は居ないぞ」
坊主の言葉は真摯で、客観的に物事を判断している。彼はいつだって嘘をつかないまっすぐな人だと桜太郎は知っていた。
しかし──。
「私は……」
桜太郎は惑うように視線を泳がせた。その声は震え、涙がこらえきれずに頬を伝う。
やがて、かぶりを振った桜太郎は静かに『できません』と答えた。
「正式な鬼道家と認められていない父の子に、その資格はありませんから」
そう言った桜太郎は悲しげに微笑む。この世の咎を、全て一人で背負い込むかのように。
「それより紅様、また槍術の修行をつけてください。あれから少しだけ上達したのですよ?」
無理やり話を変えるように、桜太郎の声に明るさが戻る。しかし、それも一時的なものでしかなかった。
「それは楽しみだ。楓殿や藤之助殿も交えて一緒にやろうか」
にこやかに答えた坊主の返事に、桜太郎が落胆したように視線をさまよわせる。その頬は赤く染まっていたが、暗がりの中では坊主の瞳に映らない。
「私は……紅様と二人きりがいい、です」
徐々に声が小さくなっていく。秘めた想いを心の底から絞り出すように、桜太郎は弱々しい声で懇願する。
坊主は目を丸くしたが、やがて困ったように笑って、こめかみのアザを軽く指でかいた。
「せっかくご立派になられたのに、昔と変わらず甘えん坊だね、桜殿は」
それは幼い頃によく見た笑顔。
閉鎖的な鬼道家に、外からたびたびやってくる坊主の男が居た。
父に用があって訪れる彼ともっと話したくて、陰陽術とは全く関係のない槍術の修行をつけてもらいたいと頼み込んだのは桜太郎から。
長居をして欲しくて、桜太郎は様々な理由をつけて坊主を引き止めた。そのたび、彼が見せる困ったような笑顔が切なくて──。
桜太郎は頬を朱に染めて『いけず』と小さく呟く。その声は、風に吹かれて彼には届かない。
例え、坊主の想い人が他に居たとしても構わない。秘めた想いを隠すように、桜太郎は帯留めのブローチをそっと手のひらで包んだ。




