【弁慶草、むせかへる鬼の衣かな】2
鬼道家の長男、鬼道柚蔵を殺せと指示を受けた楓は、坊主の紅と共に夕暮れの京都を歩いていた。
「ゆ、柚蔵さんを殺せって……本気ですか?」
強ばった顔で問いかける楓を見た坊主は、少しばかりの妙な間を置いてから笑った。
「──冗談だよ。紅葉はすぐ無茶を言う。本音はお使いと、楓殿の顔見せさ。何せ柊(柊)殿は、子供の頃に家を出てから一度も本家に帰ってないんだ。福樂町の方にはちょくちょく帰っていたみたいだけど」
それを聞いて、ほっとした顔で楓が胸を撫で下ろす。
「紅葉さんたちは、本家で一緒に住んでないんですね」
「紅葉は人嫌いだからね。それに本家は賑やかすぎる」
楓の脳裏に優しそうな祖母の顔が浮かんだ。
「柳川の家も嫌い……ですか?」
「そう見えたかい?」
楓がかぶりを振ると、坊主は嬉しそうに微笑んだ。
やがて二人が訪れたのは、大きな門構えの武家屋敷の前。
その正門は、どっしりとした木製で、重々しい鉄製の金具が取り付けられている。門の上部には、家紋が刻まれた大きな石板が掲げられており、鬼道家の名を一目で認識できた。門の両側には高い塀が続いており、外界からの視線を完全に遮断している。苔むした塀の表面には、ところどころ亀裂が走り、その厳重さと長い歴史を感じさせるのだが──楓には、それが囚人を閉じ込めるための監獄のように見えた。
「怖くないからついておいで」
楓の緊張を察したのか、優しく微笑む坊主に導かれて門をくぐる。
門の先には、手入れの行き届いた枯山水が静かに佇んでいた。白砂が波紋を描き、石組みが見事に配置されたその景色は、まるで絵画のように美しい。
屋敷の両側には四季折々の花々が咲き誇り、その中でもひときわ目を引くのは黒百合や、鮮やかな黄色が特徴のオトギリソウだ。黒百合の花びらは夜の闇を流し込んだような妖しい艶やかさを放っている。
(黒い百合なんて珍しいな)
夏の暑さにも萎れることなく咲き誇る黒百合を何となく眺めながら、楓は坊主の後に続く。
美しい庭園には小さな池があり、池の中では太った鯉がゆったりと泳いでいた。池の水面は穏やかで、夕暮れの太陽に反射してきらきらと輝いている。池の周りには古びた石灯篭が点在しており、夜になると庭園全体をほんのりと照らし出して幻想的な光景を創り出すのだろう。
「おっと、ちょうどいいところに!」
坊主は、ふと庭木の手入れをしている使用人に声をかけた。顔見知りなのか、使用人はすぐに坊主に気づいて頭を下げる。
「彼は鬼道家三男柊殿のご子息──楓殿だ」
坊主が答えると、庭師たちは目を丸くして楓を凝視した。『あの柊様の……』と話し声が聞こえる。
「ぜひご当主の柊一様にご挨拶がしたい。こんな時間に不躾だとは思うが、お邪魔しても良いかな?」
「ど、どうぞ……」
どこか歯切れの悪い使用人が彼らを鬼道家へと招く。
やがて、その理由を嫌というほど痛感するのだった。




