【鬼道家の陰陽師】3
さて。いくら式神とは言っても、四六時中一緒には居られない。
何故って、僕には学校があるからだ。
この春から高校生になった僕は新品同様の制服に身を包んで、玄関に立っている幼女にしばしの別れを告げる。
「じゃ、留守番よろしく。行ってきます」
「ふにゅ……いってらっしゃあい……」
未だ夢の世界に浸っている冥鬼は、瞼を擦りながら間延びした声を上げる。
最初の頃は僕が学校へ行こうとすると泣きながらついてこようとしたものだけど、半年もすると慣れたのか大人しく見送りに来てくれるまでになった。
「姫様、楓が学校に行っている間も修行をお忘れなきよう」
腕の中に居る魔鬼の一声で覚醒したのか、冥鬼はパチッと目を開けて大きな頷きを返した。
「メイ、しゅぎょーする! おにーちゃんのやくにたつんだもん!」
「いい子だ。じゃあ行ってくるよ」
そう言って、僕は冥鬼の頭を撫でてから外へ向かおうとする。すると、冥鬼の手が僕の袖を掴んだ。
「どうした? すぐ帰ってくるから……」
「おにーちゃん、がっこーでもさみしくないように、いってらっしゃいのちゅーしてあげるね」
僕の言葉を待つまでもなく、冥鬼が僕の袖を強めに引っ張る。すると僕は自然と体勢を崩し……唇に冥鬼の柔らかいものが押し当てられた。さよなら、僕のファーストキス。
「むぐっ!?」
「ひ、姫様! 常夜の国の姫ともあろうお方がなんということをっ! あああ、王と王妃に何と報告をしたらよいのだっ!」
僕と魔鬼が同時に声を上げる。当の冥鬼は、満足そうに唇を離すともう一度僕の唇を奪う。さよなら、僕のセカンドキス。
こんなに幼いのにとんでもない大物だ。もちろん、中身は年頃の女の子なんだろうけど……いくら何でもやることが大胆すぎる。
僕は、二回もの口付けを受けてしばらく放心していたが、冥鬼の頭をくしゃくしゃと撫でて礼を言った。
「あ……ありがとうな。今日も一日頑張れそうだ」
「ほんと……?」
冥鬼は目尻を赤く染めて僕を見上げている。もしかすると恥ずかしかったんだろうか?
からかおうとして口を開きかけると、魔鬼が死んだ魚のような眼差しで見つめていることに気づいた。というか睨んでるよな、明らかに。
僕は慌てて冥鬼の頭から手を離して身を翻す。
「本当だよ。それじゃ……行ってくる!」
そう言って、僕は後ろ髪を引かれる思いで小走りに家を飛び出した。
陰陽師をしつつ、学生としての本分もこなさなきゃならないし、身だしなみにも気を遣わないといけないなんて難儀なものだ。特に僕は陰陽師として霊力を高めるために髪を伸ばしてこまめに手入れをしているし、そんじょそこらの男子高校生よりも毎朝の支度に余計時間が掛かる。
「それにしても冥鬼の言う通り……最近妖が活発化してるかもしれないな」
最寄り駅の改札を抜けて電車待ちをしている間、僕はメモ帳に挟んだ小さな地図にチェックを入れる。
僕の住む東妖市は昔から妖の目撃情報が多い。心霊スポットもいくつかあるし、夏になるとテレビ局が来て特番を組んだりもしていた。それくらい、妖の集まりやすい地域なんだ。……田舎とも言うけど。
「特に、学校周辺の目撃情報……住宅街も含めると三十は超える──か。さすがに異常だな」
赤ペンで地図にチェックを入れながら僕は独り言のように呟く。傍目から見れば勉強の予習をしている勤勉な学生にしか見えないかもしれない。
冥鬼を呼び出したばかりの頃だって、それなりに妖の目撃情報はあった。といっても、ひと月に二匹くらいのペースで僕たちが倒してた。当時はまだ中学生で高校受験もあったし、学生をしながら電車を乗り継いで妖を探しに行くのは結構骨が折れたよ。
学生として、一番多忙な時期に月に二匹も倒してた僕を褒めて欲しいもんだ。
「……若かった」
ほんの半年前のことを思い出して、僕は自分を労りたくなった。これから、下手したら半世紀以上あの式神と一緒に妖怪退治をすることになるんだ。退屈はしないどころかあっという間かもしれない。実際、この半年間もあっという間だったしな……忙しすぎて。
この忙しさは全て鬼道の名を知らしめるためであり長い目で見れば子孫のためでもある。鬼道の名が再び広まれば今みたいな貧乏生活とはオサラバだ。
陰陽師の活動資金は、陰陽総連合会へ出資するあしながおじさん(いや、おばさんかも?)たちによって賄われてる。世の中の一部の金持ちは陰陽師の存在も妖怪の存在も知っていて、人知れず戦う僕達を応援してくれているのだ。ありがたい話だよな。
鬼道家以外にも式神を扱える家は多数存在していて、それらを束ねるのが陰陽総連合会となっている。元を辿れば陰陽師の始祖は鬼道家と言われているが……すっかり落ちぶれた今、総連は鬼道家の陰陽師──つまり僕に期待はしていない。
陰陽師は総連の定めた区画ごとに活動場所が決まっており、討伐ノルマを決めたり活動資金や報酬を与えたり──あとはありがたい御札や強力な数珠など消耗品の支給も、総連のお偉いさんたちが行っている。でないと僕みたいな貧乏な陰陽師は商売道具が使えず、食っていけない。
鬼道家に個人的に活動資金を提供してくれるあしながおじさん(おばさん)でもつけば、自前で商売道具を揃えることも出来るんだろうが、こんな没落した家に手を貸してくれる石油王なんていやしない。何せ鬼道家の成績は万年Fランク。これだけ頑張っても、だぞ。
月末の報告会で、討伐数の少なさについてグチグチ言われると思うと頭が痛い。
「こんなに頑張ってるのに何をこれ以上やれって言うんだか。僕は高校生だぞ」
なんて、たまにボヤキたくなる時はあるが──陰陽師の息子として生まれたのが僕の宿命なんだから仕方ない。大体、僕がやらなきゃ誰がこの町を守るっていうんだ。
父さんが引退した今、鬼道家の陰陽師としてこの町を守るのは僕しか居ないし、嫌だと言っても生活がかかってるんだ。やるしかない。
「……まずは学校、頑張らなきゃな」
僕は電車に揺られながら、自分を鼓舞するように声に出して呟くとゆっくり瞼を伏せた。