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最弱陰陽師は、自分にかけた呪いとまだ向き合えていない  作者: ふみよ
3部

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【犬姫に愛されしブルーメンガルテン】12

 猿神(さるがみ)は、朦朧としながら楓の背中を見つめていた。

 彼の胸は静かに高揚している。名前を知らないこの感情が、命を救われて安堵しているからなのか、楓にかけられた言葉からくるものなのか分からなかった。


(弱いくせに。すぐ泣くくせに……術だって全然効いてないじゃん。馬鹿なの?)


 ハクを怪物から救った直後のことを思い出す。あの日と同じように、痛くて苦しいのに、心地いい感情が胸を締め付けていた。


「お前、陰陽師か? 何が目的だ」


 怪物の後ろに控える白装束に問いかけた声。強がっているようだが、虚勢なのは丸分かりだ。声が震えている。

 狐面の下で白装束がくつくつと笑う。


「時間稼ぎですか? まあいいでしょう」


 白装束は怪物の後ろからゆっくりと姿を見せた。


「私は仙北屋(せんぼくや)瀬戸良(せとら)──ただの恨み屋ですよ。鬼道楓様」


 瀬戸良(せとら)と名乗った白装束は、驚いた様子の楓を見て低く笑った。


「何で、僕の名前を……」


 楓は明らかに動揺している。

 会話など無意味だ、と猿神は思った。瀬戸良はいつでも楓を殺せる。仙北屋だと知っていれば、もっと警戒していたのに。


(クロムサンの身内? あんな奴見たことない……でも今はそんなことどうでもいいんだってば!)


 歯ぎしりしながら、猿神が楓を呼ぼうとする。しかし、それは掠れた吐息になって言葉にならなかった。


(どんなにかっこいいこと言ったって、今の楓サンじゃ勝ち目なんかないよ。さっさとボクを連れて逃げろよ)


 猿神は動かない手に力を込めて拳銃を握ろうと試みる。しかし、骨が折れているのか手に力が入らない。

 伝えなければ。彼らの一族が使う呪法は危険すぎると。


「か、え……」


 楓を呼ぼうとする声が血に混じり、得意の猿真似すら披露できない。

 ああ、だめだ。詰んだ。すぐに二人ともあの化け物に殴り殺される。

 薄れゆく意識の中で、死を覚悟した猿神の耳に、どこからともなく声が聞こえた。


「エトセトラだか何だか知らねーが、俺の息子に妙な事吹き込むんじゃねェよ」


 その声は猿神の十八番ではない。そもそも、彼の真似などするわけがないのだ。自分の命を奪うことなく見逃した、いけ好かない男の真似など。


「恨み屋は大人しく自分(テメェ)の親でも呪っとけ、バァーカ」


 その声と共に瀬戸良の頭上で派手に花火が弾け、パラパラと火花が散る。呆然としている楓の前に現れた男は、彼が最もよく知る人物。

 現代の鬼道澄真(きどうとうま)と言われた最強の陰陽師、鬼道(きどう)(ひいらぎ)だった。その肩には彼の唯一の相棒である黒猫の魔鬼(まき)が佇んでいる。

 柊は下駄を鳴らしながら、すみれ色の着流しをだらしなく着崩したスタイルで悠々とやってきた。


「親父……」


 咥えたままの煙草から紫煙が立ち上っている。それはみるみるうちに形を成して獣へと変わった。

 呆気に取られている楓の首根っこを何かが掴む。それは楓が使役する炎狗の姿によく似ていたが、明らかに大柄で狼のようだった。


「お前は先に家戻ってな」

「えっ……うわっ!?」


 その言葉と共に、炎狗は楓の首根っこを咥えて窓から飛び出すと、空を駆けるようにして住宅街を跳ぶ。残されたのは重傷の猿神、怪物、瀬戸良。そして、鬼道柊だ。


「さて、お前さんも助けてやりたいところだが……その前に用事があったんだわ」


 柊は飄々と笑いながら瀬戸良へと向き直る。からかうような含み笑いを浮かべる柊とは対照的に、瀬戸良はあまり楽しくなさそうだ。


「鬼道柊様。貴方は陰陽師を辞めたはずでは?」

「ツレないこと言うなよ、江都(えと)。今は瀬戸良ちゃんだったか?」


 瀬戸良は仮面の下で唇を結び、柊の質問に答えない。


「──仙北屋(おたく)はどこまで関わってんだい? 怪物(こんなもの)まで作って」

「話すと思いますか?」


 瀬戸良が再び両手の指を絡めた。


「柊、来るぞ」

「あいよ。まずは様子見な」


 柊の指が煙草の灰を落とす。それらは無数の炎狗となって怪物に襲いかかった。怪物は炎狗に噛みつかれて多少怯んだようだったが、それでも致命傷を与えるほどの傷はつけられない。


「なるほど、やっぱ物理しか効かねえか。あるいは……」


 煙草を咥えた口元から紫煙が立ち上る。それは視界を撹乱するように広がっていった。煙草の煙を吸った瀬戸良が袖で口を押さえながら咳き込む。


「こほ、こほっ……」

「ああ、悪い悪い。お前さんは嫌煙家だったよな。姉ちゃんと違って」


 白煙の中から聞こえる声が近くなり、瀬戸良がハッと息を飲む。柊の袖口からつまみ出されたのは青蛙神のハルだった。


「ケロ?」


 顔面目掛けて放り投げられたハルが、見事に狐面へと張り付いた瞬間──。


「〜〜〜ッ!!!」


 声にならない悲鳴が響き渡った。からん、と音を立てて仮面と共にハルが地面に落ちる。同時に瀬戸良と怪物の姿も消えていた。


「逃がしてどうする」

「いや、瀬戸良を驚かせりゃあの化け物も消えっかなーとか思ってたんだけどやりすぎたわ」


 魔鬼にたしなめられた柊は笑いながら、地面でもぞもぞしているハルを片手で持ち上げる。ハルは黒豆のような瞳で無邪気に柊を見つめていた。その顔は少し不服そうだ。


「何だよその顔は。大活躍だぜ、ハル」


 柊はハルをなだめながら袖の中に仕舞う。既に意識を失いかけている猿神の体を担ぎ上げて、荒れ放題となった家を一瞥するのだった。


「はな、せ……」

「派手にやられたなァ。大猿にならなかったのか? 油断してるとこうなるんだよ」


 担ぎ上げられた猿神が、くぐもった声で唸る。柊の手が猿神の背中を円を描くようにさすってからポンと叩いた。嫌そうに猿神が瞼を伏せる。


「ちちんぷいぷい御世の御宝」


 幼子をあやすようなその言葉と共に、猿神の視界がぐるりと反転した。


「さ、猿神……!」


 炎狗に連れられて脱出したはずの楓が、猿神の目の前にいる。その姿が逆さまに見えるのは、猿神自身が柊に担がれたままだからだ。

 たった一度の瞬きの間に、柊と猿神は鬼道家の前に戻ってきていた。傍には炎狗と共に楓も居る。


「……親父、さっきの敵は?」

「逃げられちまったわ。色々吐かせたかったんだが、残念」


 柊はそう言って、抱えたままの体を軽く手で叩いた。


「いつまでボクに触ってんだよッ!」


 猿神が柊の手を払って地面に降り立つ。

 やはりと言うべきか、あの妙なまじないの言葉で応急処置を施されたようだが、完治には至っていない。


「またボクに恩を売ったつもりかよ」

「治してやったのにツレないねェ」


 柊は憎らしげに笑って二本目の煙草を口に咥えた。炎狗の体を纏っている炎を使って火をつけ始めた柊から視線を外した猿神は、楓を睨みつける。


「楓サンも……何でボクを助けたの?」


 猿神の問いかけに、楓は仏頂面で黙っていたが、やがて小さな声で『仲間だから』と答える。

 その瞬間、猿神の心はささくれ立った。

 震えていたくせに。術も効かず、あのまま殺されるところだったくせに。結果的に、一番助けて欲しくない男にまた助けられてしまった。

 猿神は、次第に癇癪を起こしたように敵意を露わにする。


「仲間? 一回や二回手を貸してあげたからって勘違いしないでよ。マジで人間って単純……バッカじゃないの」


 猿神はわざとらしく背伸びをするが、体が痛むのかすぐに猫背になる。そんな猿神を気遣って手を伸ばそうとする楓だが、赤い瞳に睨みつけられてそれ以上何も言えなくなってしまう。


「もうボクは金輪際陰陽師なんかに協力しない。元々気まぐれで手を貸してあげてただけだし。これからは自由にやらせてもらうからね」


 ぺっ、と血の混じった唾液を吐き出した猿神は、よろめきながら楓の肩を押しのける。


「……大っ嫌い」


 吐き捨てるように言って、傷を押さえながら楓たちの前から立ち去っていく猿神の後ろ姿を、楓は何も言えずに見つめていた。


「フラれちまったな、色男」


 柊はケラケラと笑いながら楓をからかうと、下駄を鳴らして玄関へと向かう。楓は慌てて柊を呼び止めた。


「待てよ、王牙くんは──」

「無事に山羊頭が助けたってよ。連絡が来た」


 柊は袖から取り出したスマートフォンを軽く振って悪戯に笑う。


「いやー、謝礼が楽しみだよなァ」


 そう言って振り返ることなく家へ戻っていく父の背中を、楓は何とも言えない顔で見送るのだった。

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