【犬姫に愛されしブルーメンガルテン】9
「帝人さん……! 無事でよかった……私、私本当に……」
御花畑夫人が泣きながら帝人の胸に縋り付く。帝人はようやく安全な場所に到達したことで気が緩んでへたりこんだ進に代わり、楓たちに礼を言うのだった。
「鬼道家の陰陽師殿、ですね。妻を救っていただきありがとうございます」
「い、いえ……僕は何も……」
礼を言われた楓が胸の前で両手を振る。
「そんなことより、御花畑王牙は? おじさんたちと一緒じゃなかったの?」
不躾な態度の猿神を小声で叱る楓だったが、嫌な顔をすることもなく帝人がかぶりを振る。
「恐らく……王牙は別の場所に監禁されている。葛西の性格から考えて、間違い……ない……」
説明をする帝人の足元が僅かにふらついていることに楓が気づく。手を貸そうか迷っている内に、帝人が話を続けた。
「本来ならば私自ら出向き、葛西を逮捕しなければならない……私の全権限をつか、って……でも……」
猛火の中を抜けてきたことで体力が限界を迎えたのか、とうとう帝人は気を失ってしまう。その体を支えたのは人の姿をした悪魔だった。カトシキの体からは白い煙が立ち上り、失ったはずの下半身は煙と共に復活している。
「やれやれ……貴重な魔力を大量に消費してしまいました。ですが、王牙様から戴けば良いでしょう」
普段の声色で淡々と言ったカトシキは、妃咲に頼んですぐに救急車を手配した。
ほどなくして、火傷を負った進が救急隊員によって運ばれていく。帝人も共に連れていこうとした救急隊員だったが、帝人は最後の力を振り絞って妻を呼んだ。何かを告げられた妃咲が小さく頷いて楓たちの元に駆け寄る。
「王牙のこと、よろしくお願いします」
「は、はい」
深々と頭を下げる妃咲に、楓は緊張した面持ちで返事をした。そして、妃咲は未だ完全に回復しきっていない悪魔へと向き直る。
「カトシキ、この人達に協力できるわね?」
「かしこまりました。このカトシキにおまかせください」
カトシキが静かに返事をすると、夫人はすぐに帝人の居る救急車へ同乗する。
遠ざかるサイレンの音を聞きながら、カトシキはおもむろに胸ポケットから取り出したスマートフォンを楓に差し出した。
「王牙様のスマートフォンです。位置情報を頼りに、犬杜埠頭の傍で見つけたものなのですが──」
淡々と話を続けるカトシキを遮るように、猿神が間に入ってくる。
「バラバラにされて海に捨てられたとか?」
「ちょ……失礼だろ猿神ッ! す、すみません」
楓が謝罪すると、カトシキは大して気にも留めていないのか『いえ』と返事をする。
「そう思いまして海中も調べましたがそれらしき物体はありませんでした。死体が上がったという情報もありませんし、山林に遺棄された可能性も考え、周辺一帯の山は捜索済みです」
「す、すごいなカトシキさん……」
「御花畑の使用人として当然のこと」
カトシキは瞼を伏せたまま涼しい顔で答える。主人の子供が行方不明になっているというのに狼狽える様子もなければ、御花畑夫人のように悲しんでいる様子もない。
氷のように冷たい人物、というのが楓の感じた第一印象だった。
(王牙くんが心配じゃないのか……?)
他人事ながら心配になってしまう楓をよそに、ここからが本題なのですが、と前置きしたカトシキが口を開いた。
「王牙様のRAIINが消去されていました。おそらく何者かが消したのでしょう。私は機械に疎いので、データを復元することは出来ません。どなたか詳しい方はいらっしゃいますか?」
楓はスマホを持ち始めたばかりの素人で、RAIINに関しては最近スタンプの使い方を学んだばかりだ。機械関係のことはさっぱり分からない。猿神をちらりと見ると、あからさまに目を逸らされてしまった。
「……困りましたね」
スマートフォンを見つめながらカトシキが呟く。無表情で冷たく見えるが、その顔は明らかに落胆している様子だ。
「あの、一人だけアテがあります」
ふと、楓の脳裏に浮かんだ人物の顔が一人。頼めばどんなことでもしてくれるのではないかとすら思える人物が、今の鬼道家には居るのだ。それこそ、RAIINの復旧どころか殺人さえも躊躇いなく出来る男が──。




