【青嵐からくれないの白と黒】7
粟島家へ向かう電車の中で、異形の者と退治していた美燈夜は刀を構えたままキッと前方を見据える。うじゃうじゃと黒い腕を腹から生やしながら、男の体は何かに操られるように体を起こした。
「ひっ……」
海斗が怯えた様子で美燈夜にしがみつく。そんな彼を下がらせた美燈夜は、間合いを取りながら敵の出方を窺った。車内に誰も乗っていない時点でもっと警戒するべきだったのだ。
「ミノコノヨコト……」
男の腹の中で何かが呻くように言った。最初は意味不明な言語を喋っているのだと思っていたが、どうやらそれは違うようだ。
「ミノコ……ヨコト……トコヨノ、コノミ? それッ、美燈夜が探してるやつだよね……!?」
「らしーな」
美燈夜は刀を向けたままにこりともせずに答える。
「常夜香果は、母上のために使うもの。貴様なんぞにやるわけねーだろ!」
そう叫んだ美燈夜は床を蹴ると、刀を振り上げて異形の者へ斬りかかった。腹から伸びた無数の黒い腕が美燈夜を捕らえようと伸びてくる。それらを鮮やかな動きで斬り伏せていくが、なかなか中心に辿り着けない。
「ちッ!」
ぺらぺらの皮のようになった男の体から無限にわいてくる黒い腕は、絶えず美燈夜に襲いかかってくる。
「み、美燈夜! アイツの腹の中……御札みたいなものがある!」
座席にしがみついていた海斗が声を上げた。注視して見ると、黒い腕を生み出している腹の中に不気味な札が貼られているのが分かる。あれが何らかの力を与えていることは間違いないだろう。
黒い腕がしなり、再度美燈夜を弾き飛ばす。今度はつり革を掴んで衝撃を受け止め、無傷で地面に降り立った。再び充分な間合いが保たれる。
このままでは埒があかない。いずれ体力も切れてしまうだろう。そうなると、再び海斗に危険が及ぶ──。鬼斬丸を強く握りしめた手に力がこもった。
「こんなモンじゃねェだろ──鬼斬丸」
ぽつ、と美燈夜が呟いた。敵を真っ直ぐに見据えるその瞳に海が宿る。まるで彼女の声に応えるかのように、鬼斬丸の刀身は青く輝き始めていた。
「そーだ。良い子だな」
ニヤ、と美燈夜が笑う。再び地面を蹴って、真正面から敵へ突っ込んでいく。無数の腕が美燈夜を狙うが、彼女に触れることは出来なかった。先程とは違う、常人離れした動きで腕を斬り捨てていく。それは海斗には全く追えないほどの、達人の業。
ひゅ、と音を立てて青い斬影が煌めいた。
「鬼姫蒼蓮剣──」
一際鋭い一太刀が、男の体ごと腕を斬り落とす。次の瞬間、その体はぐらりと揺らいでバラバラと崩れ去った。
「や、やった……の……?」
しん、と静まり返った電車の中で海斗が呟く。車内にはもう不穏な気配は無い。怪しげな札も、美燈夜が斬り刻んだためか紙吹雪のように地面の上でゆらゆらと揺れている。
へっぴり腰で立ち上がった海斗は、ようやく安全を確認して刀を鞘に納めている美燈夜に駆け寄った。
「すごい、美燈夜ッ……かっこよかった!」
海斗が興奮気味に美燈夜の両手を握る。美燈夜は驚いたように目を丸くしていたが、やがて照れくさそうに鼻を鳴らした。
「オマエが後ろに居たから勝てたんだぞ」
「僕?」
不思議そうに聞き返す海斗に、美燈夜が頷く。海斗が照れくさそうに笑うと、美燈夜も笑った。まるで兄弟のように。
遠い過去からやってきた不思議な同居人、海神美燈夜。しかし彼とは良い友人関係を続けていけそうな気がする。海斗はそう思いながら感謝の言葉を口にしようとした。
「美燈夜……助けてくれて、ありが──」
その時だった。不意に海斗のポケットの中でスマホが震える。発信者は彦右衛門──海斗の祖父からの着信だ。海斗はおずおずとスマホをタップする。
「もしもし──じいちゃん?」
『おお、やっと繋がった! 海斗、今どこに居る?』
「電車の中だよ。美燈夜と一緒で──」
説明しようとする海斗に、彦右衛門の声はどこか興奮気味に上ずっている。
『海斗、確かに海神美燈夜は実在の人物だったぞ』
「え?」
一体何の話かと思わず聞き返す。しかしすぐに思い出した。美燈夜について祖父に調べてもらっていたのだ。
『常夜の国に不老不死の果実を求めて旅立ったが、海に身を投げて自害した悲劇の姫君……海神美燈夜は千年前に実在していたんだ!』
興奮したような祖父の声は美燈夜の耳にも届いていた。海斗は何を言われたのか理解できない顔をして美燈夜をまじまじと見つめる。
悲劇の姫君。美燈夜は男性ではない。その実感は、否応なしに海斗の腕に鳥肌を立たせた。
海神美燈夜は、異性だったのだ。
「──うッ……!?」
反射的に口に手を当てて美燈夜の体から離れる。手すりにしがみつくようにして、海斗は胃の中のものを吐き戻した。一度吐いてしまうと、もう止められない。海斗はゲーゲーと吐きながら全身を襲う震えに耐えていた。
彼の体は、心を許しかけていた美燈夜のことさえも本人の意思とは無関係に強く拒絶する。
「違ッ……おぇ……ッ……」
びちゃびちゃと音を立てて胃の中のものを吐きながら海斗はすすり泣いた。
そんな海斗に手を差し伸べることも出来ず、美燈夜が伸ばしかけていた手を軽く握りしめる。
「……あ、安心しろよ! 我、もうオマエの傍には近づかない。だから……」
美燈夜がおろおろと声をかける。そんなことを言わせたいわけがない。海斗は何度も被りを振った。ただ、ありがとうと伝えたいだけなのに。
「みと……」
美燈夜へ伸ばす手が、本人の意思とは無関係にガクガクと震えている。これ以上彼女に近づけば気を失ってしまいそうなほどに全身が冷たくなっていく。
「海斗!」
先に距離を取ったのは美燈夜のほうだった。青ざめた海斗を安心させるように美燈夜が微笑む。
「ここでお別れだ。世話ンなった」
美燈夜が深く頭を下げた。電車のドアがゆっくりと開く。
すぐに彼の前から離れるようにして電車から降りていく美燈夜を呼び止めることも出来ず、海斗は力が抜けたようにその場に座り込んだ。




