【青嵐からくれないの白と黒】4
「嬉しいなァ〜、ハクちゃんとデートできるなんて。この日のために他の女の子たちからのお誘い全部断ったんだヨ?」
見事ハクとデートする権利を得た猿神こと牛尾日吉は、誰が見ても目立つ派手な服装でハクの隣を歩いていた。
「そ、そうなのね……」
手を若干強引に引かれながらハクが困惑気味に微笑む。
傍から見れば、彼らは休日を謳歌する恋人同士に見えないこともない。猿神は機嫌良さそうに公園沿いの歩道を歩きながら言った。
「ハクちゃん、行きたいところない? ボクがどんなところでも連れてってあげる」
幼い少女にでも話しかけるような声色で猿神が尋ねる。楓相手の態度とは別人のようだ。
それもそのはず──楓にはあくまで手を貸してやっているだけ。正式に彼に使われることを了承したわけではない。
(そもそもボク、柊の息子に使われるなんてごめんだし。お情けで協力してあげてるだけなんだから)
猿神はにまにまと笑いながらハクの顔を覗き込む。人間の住む世界とは違う妖の世界、常夜。その女王である白夜の魂が宿った少女──鬼原ハク。破壊と不死を司るその魂はどれほど高潔で美味だろう。
白夜の魂が宿ったその少女を、陰陽師たちはずっと探していた。恨み屋と名高い仙北屋一族に手を貸し、とうとう鬼原ハクの存在へと辿り着いたかつての彼は……。
(ああ忌々しい)
ハクを誘拐し、鬼道楓と対峙した猿神は、かつての旧友──今は人間に使われている烏天狗の黒丸にこてんぱんにやられてしまった。
死にたくない、命だけは助けてくださいと、かつて鬼道柊に向かって叫んだ言葉を再度口にした猿神は、何の因果か柊の息子に使われる羽目になってしまったのだ。
(マジでツイてないしムカつくけど、こういうご褒美があるならたまには人間に優しくしてあげるのも悪くないよねぇ)
猿神はハクの顔を覗き込んで満面の笑みを浮かべた。人間の女──相手が鬼原ハクならなおさら、まるでブランド物のアクセサリーを身につけた時のように気分も上がるというものだ。
そんなハクの視線の先にあったのは、公園沿いのアイスクリーム屋のキッチンカー。車の前には物珍しそうに女子供が並んでいる。ワッフルコーンに乗ったパステルカラーのソフトクリーム、一番上には幼い男の子と女の子のアイシングクッキーが乗っているという、SNSに載せれば映えること間違いなしのスイーツだ。
「かわいい」
その呟きには猿神も同感だった。彼もかわいいものや珍しいものが好きだし、甘いものも好きだ。
つくづく気が合うなあ、などと思いながらゆらゆらとしっぽを振った猿神が、おもむろにキッチンカーへと近づく。
「おじさん、アイスくれる?」
「ちッ、どうぶつかよ。猿はバナナでも食ってな」
猿神の背中で揺れるしっぽを見て、店主は塩対応で彼を追い払うような仕草をする。そのあからさまな態度を目の当たりにしたハクは、ムッと表情を歪めた。
「そんな言い方、ないんじゃないですか」
普段穏やかなハクが、怒りを露わにした。猿神は意外そうに目を丸くする。彼女が何故怒ったのか理解できなかったからだ。
「友達を目の前で馬鹿にするような店のアイスなんて、こっちからお断り──」
「ケケッ……」
ハクの声に被せるように猿神が笑う。それは不自然なほど爽やかで、不気味なほど感情のない笑み。
「おっかしいなぁ。ハクちゃんがそんなヒートアップすることないじゃん。それよりさぁ……」
猿神は戸惑うハクの肩に腕を回した。その赤い目が優しく細められる。
「さっきから気になってたんだけど、パウダールームに行ってこなくて大丈夫? 今日は暑いからね〜」
猿神が意味深に笑う。ハクはおずおずと目の下を指で押さえた。ほんの少し、メイクが落ちてしまっていることに気づいたようだ。
「も、もう、やだっ……全然気づかなかった」
「ボク待ってるから、行ってきなよ」
猿神が目を細めて笑うと、ハクはすまなそうに頭を下げた。身を翻したハクを見送った猿神がひらひらと手を振る。
「さて」
そう言ってゆっくりとアイスクリーム屋の店主に振り返った猿神の目は、他人に興味の失せた冷たい眼差しをしている。彼女をこの場から立ち去らせたのは、彼なりの気遣いだ。
店の前に突っ立ったまま動かない猿神を見て、店主が痺れを切らして声を荒らげた。
「まだ居たのかどうぶつ野郎! 俺はケダモノアレルギーなんだよ、さっさと失せ──」
カチリ、と音を立てて店主の額に押し付けられたのは拳銃だ。罪悪感も殺意もない、ただ無邪気な笑顔で猿神が告げる。
「失せるのはそっちでしょ。気色悪い人間のオスがボクの視界に入るなよ」
猿神は何事も無かったかのようにセーフティーを外して引き金に指をかける。そのせいで店主自身も気づかなかったのだ。ずっと猿神から殺気が発せられていたことに。
やがてパウダールームから戻ってきたハクは、アイスクリーム屋のキッチンカーが居なくなっている事に気づいて少しだけほっとした。しかし、猿神の姿も見あたらない。
『猿神は危険な妖怪です。もし、奴が人間を殺すようなことがあれば……』
楓の忠告がハクの頭をよぎる。その時、ハクの頭上から声が聞こえた。
「おかえり」
そう言って屈託のない顔をして笑った猿神に、ハクは少し驚いたような表情を浮かべる。両手にコーンアイスに手にした猿神が木の上からハクを見下ろしているのだった。
「そのアイス……」
「美味しそうでしょ? ボク、先に食べないで待ってたんだから感謝してよね」
猿神がそう言って地面に降り立った。アイスが落ちないように着地の仕方に気をつけながら。
ハクは少し険しい顔をして、悠々とベンチに腰掛けた猿神の傍へ近づく。
「アイス屋さんは?」
「さあ? 別の場所行ったんじゃない?」
「……本当に?」
ハクがじっと猿神を見つめる。
「人を殺さないって楓くんと約束したわよね?」
そのうち猿神が悪戯を咎められた子供のように、上目遣いで唇を尖らせた。
「……ちょっと脅して殴っただけ。ちゃんと自分の足で逃げてたし、殺してない。ホントだよ」
ハクは胸を撫で下ろすようにため息をついた。安心しているその感覚もずいぶん麻痺していると気づいたが、人を殺していないだけ大きな成長だ。実際彼は、何の躊躇いもなく人を殺せるのだから。
「そんなことより、ほら。ハクちゃんが欲しがってたアイス! 食べたいでしょ?」
猿神が笑顔でアイスを差し出した。ハクは半ば押し付けられるようにアイスを受け取る。
「ね、自撮りしよ」
猿神が甘えた声で笑いかけてくる。パウダールームに行く前とは真逆の、まるで弟や妹のように甘えた態度。猿神はハクの肩に寄りかかりながら自分のスマホを差し出した。
「ハクちゃん上手なんでしょ? 撮って欲しいな」
ハクは受け取ったスマホを頭上に向けて自分たちの姿を撮影する。完全に溶けてしまう前にアイスクリーム単体での写真もきちんと撮った。
「あーんして食べさせて」
ハクの撮影が終わるまで大人しく待っていた猿神が上目遣いで言った。ハクはすっかり猿神のペースにのまれてプラスチックのスプーンでアイスを掬い、猿神に食べさせる。
「……どう?」
「おいしい」
そう言って笑った猿神の笑顔は人を小馬鹿にしたような態度でも、何かを企む悪い顔でもない。ただ純粋に、この状況を楽しんでいるように見える。
「ハクちゃんと一緒に居ると甘えたくなっちゃうナ」
ゆらゆらとしっぽを揺らしながら言ったそれは、彼の本心なのだろう。
猿神という妖怪のことを、ハクは心のどこかで恐れていた。無邪気さの中で突如として表れる油断ならない残酷さ。けれど今だけは、この瞬間を楽しんでいる普通の子供に思えて。
(妖怪っていうより……何だか日吉くんって……)
何故彼は人間を殺すようになったのか。胸の内に浮かんだ疑問に彼は答えるだろうか。
不思議に思うハクの胸の内など知る由もなく、猿神はかわいらしい少年と少女のアイシングクッキーを頭からバリバリと食べていた。




