【椿女】2
僕達が学校に到着した時、既に辺りは暗がりに包まれていた。時刻は二十時半を回ったところだ。
ゴウ先輩、小鳥遊先輩、冥鬼、僕の合計四人で学校へとやってきた。夜の学校なんて、何だか鬼火の時を思い出してしまう。あの時は部長もハク先輩も一緒だったけど……。
「さすがに運動部も帰ってるみたいだにゃ……オレたちにとっては都合が良いけど」
ゴウ先輩はパーカーのポケットに両手を突っ込んで小さな体を震わせていた。まだ春とは言え、夜はグッと冷え込む。僕も嫌がる冥鬼にパーカー(中学時代の僕のお古だが、無いよりマシだろう)を着せ、僕自身も軽めのスプリングコートを羽織っていた。
「ゴウにゃん、寒いんですか〜? もしよかったら去年買ったエロゲの特典に付いてきたネコミミ付きふわふわあったか尻尾付きケープをプレゼントしますけどぉ」
「いらねーし! つーかお前まだ十八歳未満だろ。何エロゲやってんだよ」
小鳥遊先輩の親切心を拒否したゴウ先輩は、ふと視線を焼却炉へと向けた。僕が焼却炉から顔を覗かせている鬼火の存在に気づいたのはゴウ先輩の視線を追ってすぐのことだ。
小さな炎をゆらめかせている鬼火へ、ゴウ先輩は人懐っこく片手を上げる。
「よっ」
「……今日も来たのかい?この前とは顔ぶれが違うね」
鬼火は声をかけられて嬉しかったのか焼却炉から身を乗り出す。僕は何となくゴウ先輩を守るように彼の前に進み出て答えた。
「騒がせてすまない。ちょっとあの木に用があって」
僕が簡単に学校に来た理由を説明すると、鬼火は小さな炎をゆらめかせながら大袈裟に身を縮こませる。
「つ、椿女に会いたいなんて命知らずにも程があるよっ!」
「何か知ってるのか?」
ぷるぷると震えている鬼火にそう声をかける。
すると、鬼火は少し渋る様子を見せてから炎を揺らめかせた。
「千年前、この一帯を支配してた妖怪……それが椿女なんだよ」
僕をチラチラ見ながらそう言った鬼火は、焼却炉の上によじ登って古い椿の木を見やる。
鬼火は小さな炎を揺らめかせた。その表情は炎に包まれていて読み取ることはできない。
「──知り合いのつらら女郎から聞いたんだけど、昔々、この土地は無法地帯だったんだって。陰陽師、鬼道澄真が現れるまではね」
鬼火は、少し言い淀むようにして【知り合い】の名前を出す。鬼火以外にも、東妖高校周辺には妖怪がいるのだろうか?
鬼火の知り合いと言うからには……そのつらら女郎とやらも人を襲うのかもしれない。会ったことも無い相手を疑うのは気が引けるが……僕は鬼火に襲われたことを忘れたわけじゃない。こうやって話している間にも、僕達を狙っているかも。
「鬼道って……オマエとおんなじ名字?」
鬼火の話を聞いていたゴウ先輩が、軽く僕のコートの袖を引きながら不思議そうに見上げてくる。
「僕の先祖です。強力な呪術で何体もの式神を操った偉大な陰陽師。子孫はこんなですけど──うぐッ!?」
突然冥鬼に脇腹を小突かれた。おそらく本人は軽く小突いたつもりなんだろうけど、めちゃくちゃ痛い。僕は思わず脇腹を押さえた。
「楓は強い。何たってオレさまを引き当てた男だぞ。そんな奴メじゃねえ。例えビンボーでも、オレさまの楓は最強だ」
「……あ、ありがとう」
おそらくだが、冥鬼なりに励ましてくれているらしい。僕は脇腹を押さえながら礼を述べた。
「鬼道澄真が現れるよりも前にこの土地を支配してたのが椿女だよ。あいつは生まれた時から他の女とは違う、浮世離れしたような美しい女だったそうだ」
鬼火は椿の木を気にするように何度も振り返りながら話を続けた。
「でもその美しさに嫉妬した女達の手によって滅多打ちにされ、白椿の木の下に埋められて妖怪になったと言われてる」
「ひ、ヒデーことするにゃ……それで妖怪になったのか」
話を聞いていたゴウ先輩がネコミミを震わせて身を縮こませる。僕は椿女の逸話を聞きながら、椿の木へと目を向けた。
「でもあの椿は赤い花だぞ?」
「女が白椿の木の下に埋められてからその花弁は赤く染まったと言われてる。アタシも噂で聞いただけなんだ。さすがに千年も昔から妖怪やってないしね」
鬼火は肩をすくめるそぶりをして見せる。
その話を聞きながら、僕は椿の木へと近づいた。確かにこの椿からは昼間とは違った確かな妖気を感じるが、邪悪なものとは思えない。むしろ何かを見守っているかのようなあたたかさすら感じるが……。
その時、突然殺気を感じた僕は慌てて後方に向かって声をかけた。
「下がってくださいッ!」
その言葉と同時に、足元に落ちていた椿の花が巨大化すると、大きな蕾へと変化する。
陽炎のようにゆらゆらと木の幹が揺れ、巨大な蕾がゆっくり開くと、その中から白い着物を着た女性が上半身を覗かせた。
長い黒髪に雪のように白い肌。血のように赤い瞳が開かれて真っ直ぐに僕へと向けられた。
「最弱とは言え、さすがに殺意くらいは読めるのね、陰陽師……私の養分になりに来た?」
「養分になってやる気はない。君に頼みがあって来たんだ」
僕は震えた足を一歩進み出して椿女を見つめる。椿女は僕の恐怖を見透かすように鼻で笑った。
「知ってるわよ。私の簪が欲しいんでしょ?」
「何で、それを……?」
震える足に何とか力を込めて問いかけると、椿女がニヤリと笑う。
「教えてあげない」
でも、と付け足して椿女が長い黒髪を靡かせた。
「私の簪が欲しいなら──陰陽師、式神の手を借りずにあんた一人で私と戦いなさい」
そう言って、椿女が袖をはためかせる。
椿の花びらが風に舞いながら、僕達に襲いかかってきた。
「うにゃあああっ!?」
ゴウ先輩のネコ耳が暴風に合わせて揺れる。
椿女はくすくすと笑いながら花弁からゆっくりと身を乗り出した。
小柄な着物姿の女の子が、たおやかな身のこなしで地面に降り立つとさらに暴風は勢いを増し、僕達を近づけまいとしてくる。
しかし、さすが冥鬼は最強だ。暴風をものともせずに次々襲いかかってくる椿の花びらを刀で斬り伏せた。
「さあて楓、オレさまは手を貸しちゃダメらしいぜ。何か秘策とかあんのか?」
「無茶言うな、お前でもないのに──」
そう言いかけて、僕は口を噤む。
僕は持っているじゃないか──秘策を。
暴風から身を守るようにして、御札ケースから一枚の和紙を取り出す。それは頼りないくらいに薄くて、手作り感満載の御札……と呼んでいいのかすらわからない。
魔鬼いわく、この御札は親父の作ったもので、とても強力な術が使えると言う。しかし……僕なんかが使っても成功するかどうかはわからない。
そんな僕の心中なんてお見通しなんだろう。僕の身を守りながら、冥鬼が口を開いた。
「親父殿は独学で陰陽師やってたんだろ? 親父殿に出来て楓に出来ないはずねーじゃん」
「凡人と天才を一緒にするなよ……親父は元々才能があったから独学でも平気だったんだ。僕自身には何も無いんだよ……自分のことは、自分が一番よく分かってる。現に……」
現に僕は独学でこれだ、と自嘲気味に告げようとした時。
冥鬼はムッとしたように眉を吊り上げて大きく刀を振り払う。
「いいや、分かってねえな!」
刀の風圧により、椿の花びらが僅かに収まったように見えた。椿女が小さく舌打ちをする。
「オマエが自分を過小評価しすぎだ。オレさまを引き当てたのは偶然でも宝くじの一等でもねえぞ。楓だから──」
その時、椿女の袖から無数の枝が伸びて冥鬼の体を拘束した。
「貴方が手を貸すのはそこまでよ、お嬢さん」
椿女は意地悪な笑みを見せる。
同時に枝が冥鬼の体にキツく絡みついた。
「はあ? 何だこれ……」
冥鬼の肌に絡みついた枝は、まるで蛍のように光りながら冥鬼の体から妖気を吸い上げ始めている。
「へッ、オレさまを喰おうってか。カロリーの摂りすぎでデブになるぜ、クソガキ」
「口の減らないお姫様ね」
椿女が眉を寄せる。冥鬼の体からは確実に妖気が吸い取られ始めていたが、彼女はへっちゃらな顔をしていた。
なんせ常夜の国のお姫様だ。妖気は無限にあるだろう。
「ははっ、こんなクソ枝──今すぐぶっちぎってやるよ!」
冥鬼は強気に笑うと、腕に力を入れて難なく枝を引きちぎる。
「どーだ! オレさまを捕まえようなんざ千年早え……」
「それはどうかしら」
自分の半身が引きちぎられたにも関わらず、椿女は涼しそうな顔をしている。
「わたしがあなたのタイムリミットを計算しないとでも思った?」
椿女の言葉に冥鬼の顔色が変わる。
同時に、冥鬼の指先から炎がぽろぽろと零れ落ちた。
「……ちッ!! クソアマがッ! 力づくで奪ってやるよッ!」
冥鬼が目にも止まらぬスピードで手のひらから炎の剣を取り出す。
無数の枝を勢いよく斬り伏せた冥鬼が、その切っ先で椿女の喉元を切り裂こうとしたのを最後に、切っ先からぽろぽろと火の粉が散り、冥鬼の体は幼いものへ戻っていた。
「びえぇ~ん!」
顔面からド派手にすってんころりん。難なく椿女に捕らえられた冥鬼は、情けなく泣きじゃくっている。
「どうして冥鬼のタイムリミットのことを……」
「さあね……私を捕まえられたら教えてもいいけど?」
そう言って椿女が御札と僕を交互に見つめた。彼女の挑発的な言葉に、僕は札を手にしたまま奥歯を噛み締める。
冥鬼を失ったことで、僕の身を守るものは何も無い。
僕にできるのか?椿女を捕らえることが。
「おにーちゃあ~ん! こわいよぉ~っ!」
ふと顔を上げると、冥鬼が泣きながら僕を呼んでいた。
冥鬼は、椿女の枝に捕まったままわんわん泣いている。ああ、鼻水まで垂らしてるよ……お姫様がなんて顔してるんだか。
頭では分かってる。わかってるんだ。迷うくらいならやればいい。御札を使うんだ。
できるかできないかじゃなくて、やれと。きっと親父でもそう言うだろう。
だけどその一歩が、僕には怖くて……遠い。
もし失敗したらどうすればいい? リスクって一体何だ? 本当に僕にこの札を使うことができるのか?
完璧な相棒、完璧な親父、完璧な血筋。
何から何まで凡人の僕には不釣り合い。
僕は生まれながらのエリートでもなければ隠された才能があるわけでもない。
物語の主人公なんて器でもないのだ。
「く……」
僕はしわくちゃになった御札を握りしめた。
「私、あんまり気が長くないの。このまま私と見つめ合ってるつもりなら……先にあんたの友達を殺すわ」
苦悩する僕を見つめていた椿女がゆっくりと僕から視線を外した。彼女の視線の先は……。
次の瞬間、彼女の袖から無数に伸びた鞭のような枝が僕へと襲い掛かる。その枝はまっすぐに僕をすり抜けると、迷うことなく小鳥遊先輩とゴウ先輩へと向かった。
椿女の巻き起こした暴風の影響もあり、枝のスピードは恐ろしく速い。
先輩たちが襲われる。
そう思った時、僕は咄嗟に御札を強く握りしめていた。
「──鬼符、鬼神天翔ッ!」
ぎゅ、と握りこんだ御札の感覚を最後に僕の聴覚から音が消え、目の前が真っ暗になる。
僕の体は風のように跳躍し、先輩たちの前に降り立った。椿女の袖から幾重にも伸びてきた枝が目の前に迫ってくると、僕は腕を勢いよく水平に振る。それは間一髪というべきか、あと少し遅かったら椿女の枝が先輩たちに触れるギリギリだったろう。
「な……」
僕は自分でも驚いていた。まるで枯れ木のように、枝が派手な音を立てて粉砕されたのだから。これが親父が作った、御札の力?
あんなの、何の変哲もない和紙に書かれただけの落書きなのに。
狼狽える僕とは真逆に、椿女は別段驚いた風もなく、軽く袖を振った。
「次、こういうのはどう?」
続けて、間髪入れずに袖の中から鋭く尖った木の枝が僕に襲いかかる。
鞭のように激しくしなる枝は、僕の目の前で勢いよく地面にめり込んだ。
同時に、僕の体は地面の振動から木の枝が襲ってくるまでの時間を予見した。陰陽師の力と言うよりも、どちらかというと野生の勘に近いものだった。
椿女は僕の体を串刺しにするつもりだ。
「……ッ!!」
僕の体が自然と弾むように後退する。同時に、さっきまで僕が立っていたところに鋭く尖った枝が突き出した。
続けて、また僕が後退すると枝が突き出る。まるで僕が避けるのを見越してタイミングでも計ったかのようだと思った。
次第に地面から突き出る枝の速度は上がっていき、そのたびに僕の体はまるで他人のように宙を舞い、彼女の攻撃を躱す。
不思議なのは、これだけ動いているのに僕の息が全く乱れていないことだ。自慢じゃないが僕は体力が無い方だし、運動神経もすこぶる悪い。
それなのに、今の僕の体は羽根のように軽かった。
もちろん、自分の意思で動くことは出来るし椿女の攻撃を避けているのも自分の意思だ。なのに、頭で考えるよりも体が先に椿女の攻撃を避けるものだから、僕の頭と体が別物になってしまったような、不思議な感覚があった。
「これだけ速度を上げてるのにずいぶん余裕ね」
「……よ……余裕な、もんか」
事実、僕の頭の中は椿女に殺される恐怖ではちきれそうになっている。
「反射神経は充分。腕力も、全盛期のアイツと同じくらいってところかしら」
椿女は、じっと僕を見つめたまま呟く。
「な、何を言ってるんだ?」
僕が問いかけようとすると、また体が危険を予知し、軽く跳躍して地面から突き出た枝をすんでのところで避ける。
ふと、地面から突き出した枝がしゅるしゅると音を立てて椿女の袖の中に戻っていった。
袖の中に枝を収納した椿女は、やがて唇の端を上げると。
「……ま、根性はあるみたいね」
そう言って自分の髪に挿している簪を引き抜いたのだった。




