【常夜華、待って寝かせて彼岸まで】7
「……というわけなのぉ」
美燈夜を連れて自宅に戻った橘汐里は、驚いている彦右衛門とサチエに、隼人の手助けを受けながら一部始終を説明する。
事態が飲み込めず困惑している様子のサチエとは真逆で、彦右衛門はすぐに何かを思い出したように自室へ向かい、ノートを手に戻ってきた。彦右衛門は歴史好きが集まる中高年向けのサークルに入っていており、くずし字にもハマっている。橘総本家の包装紙の文字も彦右衛門が書いているほどだ。
「確かにワタツミノミトヨ……って名乗ったんだな?」
上擦った声の彦右衛門が、慌てたようにノートに美燈夜の名前を走り書く。
「美燈夜……ワタツミ……んー、どこかで聞いた気がするんだが……サークルに詳しい子が居るから聞いてみよう!」
正体不明の子供を前にしてやる気満々の彦右衛門とは逆に、サチエと言えば得体の知れない子供を家に上げることに抵抗がある発言をしていたが……。
「ママ、ママ! ちょっと来て!」
帰宅早々、汐里に袖を引かれて別室に連れていかれた。
「あの美燈夜って子、女の子よ」
興奮気味の汐里に耳打ちされたサチエは『まあ、そりゃ本当かい』と驚いた表情を浮かべた。身内以外の女性に恐怖してしまう海斗が美燈夜に反応しないのは、彼女たちにとっても喜ばしいことだ。
「まあ、単にあの子の性別に気づいてないだけだと思うけどねぇ……」
「成長って言ってよママ! 私嬉しくってぇ……」
汐里は嬉しさのあまり鼻をすすっている。そんな娘の涙をハンカチで拭ってやりながら、サチエはしばらく何かを考えている様子だったが、美燈夜が橘家で過ごすことに反対しなかった。
海斗は、すっかりリビングで熟睡している美燈夜を見下ろす。その無邪気な寝顔は、とても高貴な身分には見えない。頬を数回叩くと、美燈夜が寝ぼけながら目を開けた。
「なんだァ……飯か?」
「違うよ、こんなとこで寝ないで。君は僕と相部屋だから」
海斗が言うと、美燈夜は目を擦りながらソファから体を起こす。
「我は別に、このふかふかの寝具で充分満足してるが」
「ソファで寝たら腰悪くするじゃん……ほら、行こう」
まるで子供のようにグズる美燈夜の手を海斗が掴む。その時、別室から母とサチエが戻ってきた。
「海斗〜、美燈夜ちゃんはお母さんと寝るから良いのよ♡」
「え、でも……」
怪訝そうに眉を寄せる孫に、サチエが耳打ちする。
「あんたの部屋、変なゲームや人形がたくさんあるだろ。弄られて壊されたりしたらどうすんの?」
海斗は想像して顔を青くさせた。部屋には、収集癖のある父から引き継いだ未開封でプレミア物のフィギュアや、父が学生時代を共に過ごしたゲームがたくさんあるのだ。その中には、年齢制限でまだ海斗が遊べないゲームも含まれている。
「さあ美燈夜ちゃん、私たちと一緒にねんねしましょうね〜♡」
「我は眠くねェんだがな……」
ソファから起こされた美燈夜は、汐里に手を引かれてぶつくさ言いながら居間から出ていく。
橘家の長い長い日曜日は、これでようやく終了するのだ。
「僕もお風呂入り直そ……体冷えちゃったよ」
「久しぶりに一緒に入ろうか」
隼人の提案に、海斗は小さく頷いた。
たった一日の出来事だが、海斗にとっては普段の二倍疲れてしまった。何せ一度殺されているのだ。夢で済んでどんなに良かったか心底安堵する。
「海斗」
髪を洗う海斗を見ながら、湯船から隼人が声をかける。くぐもった声で返事をすると、普段よりも声のトーンが控えめな隼人が言った。
「夢、見たんだろ?」
その問いかけに、海斗は驚いて顔を上げる。しかし目にシャンプーが入ってしまい、泣きながら目をつぶった。
「お母さんも子供の頃から何回か見たことがあるんだって。予知夢って言うのかな……今より少し未来の夢」
隼人は、熱い湯を肩にかけながら言った。
「橘家は親戚にも占い師が多いんだって。あの楓くんって子みたいに陰陽師だったのかもしれないね」
そう話す隼人はどこか楽しそうだ。海斗は髪にシャンプーを付けたまま、まじまじと父に向き直る。
「お父さんは……本当にアイツが大昔からタイムスリップしてきたって思う?」
隼人は迷わず『うん』と言うと、風呂の湯で顔を洗いながら少年のように笑った。
「だってそのほうが面白い」
海斗の中にも、心の底からわきあがるわくわした気持ちはある。けれど少し怖いような、そんな気もして、不安な気持ちごと押し流すように、ぬるめのシャワーで髪を流した。




