【常夜華、待って寝かせて彼岸まで】2
「まさか海斗と宿儺くんが友達だったなんて、近所って案外狭いのねぇ」
「それを言うなら世間だね、しーちゃん……」
汐里が目を丸くする中、粟島家には気まずそうな宿儺と海斗、そして隼人に粟島夫妻が揃っていた。
「つまり……うちの妻が怪しげな集まりに参加していたところをレガーレさんに助けてもらったということでしょうか」
置物のように寡黙すぎる高見が静かに頷く。隼人は小声で汐里をたしなめるように言った。
「しーちゃん、何でそんなところに行ったの?」
「だって、だってぇ……海斗のためになればと思って……」
「僕が、そんなこと頼んだ?」
海斗は青い顔をしていたが、誰も海斗の顔色には気づかない。父親の隼人すら、海斗は未だ家族喧嘩を引きずっているのだと思っている。
「海斗……」
隼人が諌めるように声をかけるが、海斗は黙ったまま答えない。
不穏な空気の中、一番気まずいのは宿儺だ。訳あって暴走族から足を洗うために一人暮らしを始めたものの、たまたま週末に里帰りをしただけで友人一家の修羅場に遭遇するとは思ってもみない。
「……母さんは何でわざわざ県外まで行ったんだよ、人のバイクまで持ち出して」
「ワタシはオフ会に参加してただけだゾ」
宿儺の母、レガーレは悪びれもなく唇を尖らせて答える。
「さっさと帰りたいと伝えたノニ、手付金を払わないと抜けられないッテ言われてぷんぷんダ!」
「手付金って、これのお代ってこと……?」
汐里が綿毛のキーホルダーをぶら下げる。宿儺はそれをどこかで見たことがある気がしたが、思い出せない。
「ソレ! 汐里もクーリングオフしたほうが良いデス。不細工なデザインだしセンスないデス」
「えー? でもふわふわでかわいいし……海斗、これ要る?」
「ええ……?」
その時、微動だにしなかった高見が体を起こした。普段仕事の時以外、身動ぎひとつしない寡黙な父が突然立ち上がったので、宿儺が動揺する。しかしレガーレは驚く様子もなくソファから体を起こした。
「ワタシが汐里をココに連れてきたのは、お清めのためデス! まだ気分悪いダロ? ウチのお酒を飲めば悪いモノは全部吹っ飛ぶからナ! チョット待っててネ! 行くゾ、タカミ♡」
レガーレはそう言うと、高見の背中を押してイチャイチャしながら蔵へと向かう。残された宿儺と橘家は気まずそうに沈黙する。その中で一番先に口を開いたのは汐里だった。
「海斗、さっきはごめんねぇ。お母さん……酷いこと言ったみたいで」
「本当だよ……色んな人に迷惑かけて」
海斗が膝の上で拳を作る。その手が小さく震え始めた。
「お、お母さんに何かあったら……殺されちゃったら僕、どうしようって……し、心配してたんだからね……」
長い前髪の下から涙の雫が零れてくる。汐里は感極まって海斗を自分の胸に抱き寄せた。
「わあーん海斗〜! ごめんね、泣かないで〜っ! お母さんが悪いの〜っ! 赤ちゃんが出来たから色々心配だったの〜っ!」
「なにそれ!? 聞いてないよ!?」
「しーちゃんは悪くないよ! 僕が父親としてもっと早くフォローできてたら……」
「うわ〜ん!」
他人の家であるのもお構い無しで三人で泣き始めてしまった橘一家を見て、宿儺は心配が杞憂に変わったことに安堵し、ソファの背もたれに身を預ける。
「……遅ェな」
橘一家が泣きやみ、いつまで経っても両親は蔵から戻ってこない。宿儺は食べかけているカップのバニラアイスをテーブルに置いておもむろに体を起こした。
「すみません、ちょっとオレも蔵に行ってきます」
そう言って宿儺が席を立つと、泣きべそをかいていた海斗も後からついてくるのだった。
「ぼ、僕も行くぅ……」
宿儺は、顔から出る汁を全部垂れ流している海斗に苦笑して首に巻いていたタオルをかけてやる。
「お前の作る菓子が美味い理由、分かったよ」
タオルの下で海斗がくぐもった声を上げて聞き返す。宿儺は笑って、タオルの端で海斗の顔を拭った。
彼の作る和菓子が美味しいのは、粟島酒造の酒が多くの人たちに慕われる理由と一緒で、家族仲がいいからだ。そんなことにも気づかないほど、宿儺は家族から離れていた。
「オレも、たまには帰ってこれたらいいんだけどな」
ぽつりと小さな声で呟く宿儺を、バスタオルの下で海斗が不思議そうに見つめていた。




