【椿女】1
日熊先生に堂々と椿女のかんざしを取ってくると宣言した僕は、日中の授業を終えるなりまっすぐに部室へ向かった……のだが。
部室の扉を開けるなり鉢合わせた部長に、開口一番今日の部活は休みだと告げられた。どうやら肝心の部長が、放課後に家の用事があるらしく、椿女の件を後回しにして部活を休みにしてしまったのだ。ちなみに、ハク先輩は家庭部の手伝いが大変そうで、最初から部室には来なかった。
「ったく、どいつもこいつも非協力的な奴らばっかりだにゃ〜」
ゴウ先輩がやれやれとばかりに肩をすくめる。
結局残っているのは僕とゴウ先輩、そして小鳥遊先輩だけだった。
「日熊先生ってば……何で椿女のかんざしを持って来いなんて言ったんでしょうねぇ」
部室の鍵を職員室に戻しに行くゴウ先輩について行きながら、小鳥遊先輩が牛乳瓶底眼鏡をキラリと光らせる。
「それは……」
僕にも分かりません、と徐々に声のトーンを落として答えようとした時だった。
「顧問になりたくないから適当な事言って先延ばしにしたいだけに決まってるにゃ」
ふくれっ面のゴウ先輩に遮られた。どうやらゴウ先輩は日熊先生があまり好きではないようだ。まあ……怖いもんな。見た目とか声量とか……いかにも体育会系って感じだし。
けれど顧問がいなければ僕達の部活は活動ができない。ハク先輩のお気に入り──もとい、お墨付きである日熊先生を顧問にするためには椿女のかんざしを手に入れなければならないのだから、やるしかないだろう。
「あの、もし良かったらこのまま僕の家に行きませんか?」
「鬼道の家? いいけど、何で?」
目を丸くするゴウ先輩に合わせて小鳥遊先輩が身を乗り出した。何だか楽しそうな顔をしている。
「作戦会議ですよ」
僕がそう言うと、先輩二人が互いの顔を見合わせた。もちろん、突拍子もなく提案したわけじゃない。妖怪のことなら妖怪にも相談すればいいと思ったまでだ。
それに……我が家には『紅蓮の髪を持つ鬼神の娘』も居ることだしな。
二人を招いて家へ帰った僕は、早速作戦会議を始める。
突然客を連れてきたことで魔鬼は驚いたような顔をしていたが、事情を話すとやけにあっさりと受け入れた。
「カトリーヌ的には、日熊先生が椿女に会いたいと言うのは、何やら深い事情を感じるんですよ」
麦茶を飲んで一息ついた小鳥遊先輩が口を開く。テーブルの上の煎餅を食べているゴウ先輩が、煎餅の包装紙をクシャクシャと丸めた。
「深い事情って何だよ」
「それは分かりませんけどぉ」
言葉に詰まってしまう小鳥遊先輩に、ゴウ先輩肩を落としてが小さなため息をつく。
その時、背後から声が聞こえた。
「はっ……その日熊とかいう野郎、椿女と引き合わせて楓をハメるつもりじゃねーの?」
僕の肩にもたれるようにして顔を覗かせたのは、紅蓮の髪を持つ鬼神の娘。その姿は普段の幼い姿ではなく、戦闘モードの冥鬼だった。
「おい、その姿は消耗が……」
「うっせぇな。力を使わなきゃ消耗なんかしねーんだよ。そんなことより──だ」
冥鬼は僕の注意なんかお構い無しに笑うと後ろから手を伸ばしてポテチの袋を引き寄せる。
「椿女は、紅蓮の髪を持つ鬼神の──オレさまをご指名なんだろ? なら行ってみようぜ、学校に」
遠慮なくのり塩味のポテチを口にした冥鬼は小さく『コンソメ味じゃねーのかよ』と呟いた。苦情ならしょうもない親父に言ってくれ。
「い、今からか? なら、ハク先輩にも連絡を──」
「しなくていい。オマエ、あのねーちゃんをまた危険な目に遭わせるつもりか?」
冥鬼の発言は適切だった。ハク先輩と連絡を取りたいのは、僕がただハク先輩に会いたいだけだ。僕の身勝手で先輩を危険な目に遭わせるわけにはいかない。
「そうだな……ありがとう」
「べ、別に礼なんかいらねーし……それにあのねーちゃんが一緒だと……オマエ、デレデレするから嫌なんだよ……」
ぼそぼそとした声色で冥鬼が何かを呟いている。よく聞こえなかった僕は冥鬼の顔を覗き込んだ。
「どうした?」
「……な、何でもねえよ! 顔が近ェぞ!」
冥鬼は慌てたように真っ赤な顔でそっぽを向くと、すぐに体を起こした。ポテチの塩がついた指をぺろっと舐めて、僕達を順番に見やる。
「もうじき日が暮れるぜ……妖怪が活動するにはもってこいの時間だ。オレさまの気が変わらねーうちに行くぞ」
みつあみに結んだピンクのリボンを揺らしながら冥鬼が身を翻すと同時に、今まで無表情で話を聞いていた魔鬼がゆっくりと体を起こした。その眼差しが僕へと向けられる。
そうして僕の元に近づいた魔鬼は、膝の上に軽く前足を置いて小さな声で言った。
「出かける前に、おぬしに渡しておくものがある」
僕は先輩たちに軽く頭を下げて先に玄関に向かってもらうように伝えると、体を起こして魔鬼の後についていった。
黒いしっぽをピンと伸ばして優雅に歩くその黒猫に続くと、長い廊下の先にある【母さん】の部屋の前で立ち止まる。その長らく使われていない和室の部屋には仏壇があり、今朝僕が替えたばかりの花が花瓶の中に入っていた。
魔鬼は迷うことなく仏壇の前に向かうと、前足で器用に座布団を退けて、その下にある紙切れを前足で引き寄せる。
手書きで術式の書かれたその和紙を口に咥えた魔鬼は再び僕の元に戻ってきた。
「何でこんなところに御札が……」
「これは手作りの秘密兵器というやつよ」
魔鬼は片目を伏せてニタリと笑った。その笑い方はちょっと不気味なのでやめて欲しい。
「本来、札というものは陰陽師自身の霊気を込めて一筆一筆手作りで仕上げるものだ。おぬしはそういった鍛錬をしてこなかったため、特別に総連がおぬしでも扱えるように御札を作っている」
「そんなこと知ってるさ」
遠回しにお前には実力がないと言われたような気持ちになった僕は少しムッとした言い方になってしまう。
もちろん魔鬼にそんなつもりはないのは知ってる。僕が自分に自信がないせいで、そう思ってしまうだけだから。
つくづく僕は……卑屈で嫌な奴だ。
「その御札は、鬼道柊自らが作り出したもの。他の陰陽師には霊気の波長が合わないため、絶対に使うことは出来んシロモノだが──息子のお前にならその鬼符を使うことができる」
やけにハッキリと言う魔鬼だったが、僕は半信半疑で眉を寄せた。
「……僕なんかに親父の札が使えるわけないだろ」
自嘲気味に呟く僕を、魔鬼は黙って見上げている。
総連から支給してもらっているきちんとした御札しか使ったことがない僕には、初めて見る代物だった。
どこにでも売っているような薄い和紙には赤い筆で鳥居と五芒星が書かれ、上から黒い筆で鬼という文字が書かれている。
「腐っていてもおぬしは柊の息子。血の繋がった人間は氣の流れもよく似ているものさ。それが使えないなら、きっとおぬしは橋の下から拾われてきた子であろうよ」
魔鬼が、僕の気を解すかのように冗談っぽく笑った。けれどもその眼差しは真剣で、僕の決意を試すかのように向けられている。
「その鬼符は何回使っても効力が落ちることは無い。これから何かと頼りになるはずだ。しかしそれなりのリスクは覚悟しておけよ。柊の鬼符は効くぞ」
「り、リスク? リスクって……」
「楓ぇ~、いつまで支度してんだよ! 女じゃあるまいし!」
僕の問いかけに被って、玄関から僕を急かす冥鬼の大声が聞こえる。
和紙で書かれた手作りの御札をしばらく見つめていた僕は、やがてそれを御札ケースの中に仕舞った。




