【獰猛な、覚めて静けき猫の夢】1
まるで映画のワンシーンのようだった。
耳障りなバイクの音が夜の街に響きながら、ヘッドライトの明かりを揺らしている。バイクに乗っているのはフルフェイスのヘルメットを被った背の高い少年。
『来てくれてありがとうございます、総長』
その少年を待ち構えていたかのように、暗がりの中から声が近づいてくる。礼儀正しいが、どこか嫌味のある声色。総長と呼ばれた長身の少年はバイクを降りてヘルメットを外すと、ポケットからくしゃくしゃの手紙を取り出す。
『……これ、どういう意味だよ』
総長の問いかけに、声が低く笑った。質問には答えず、沈黙が闇夜を支配する。総長は重ねて質問した。
『何で、オレの名前を知ってる?』
『他にも知ってますよ。例えば、ご両親の名前、自宅の住所──テレビにも出ていましたよね。一人息子が暴走族なんて──イメージダウンに繋がると思いません?』
声が笑った。その少年はえんじ色のブレザーに身を包み、育ちの良さそうな出で立ちをしている。暴走族の総長と優等生の彼ではまるで生きる世界が違う二人。
『家族に危害を加えられたくなければ──今すぐチームを解体してください。あなたの存在は、目障りなんです』
畳み掛けるようにそう告げられた総長の瞳は、海のように青かった。その瞳を、橘海斗は知っている。
「海斗〜、勉強頑張ってる?」
その声で、橘海斗はゆっくりと夢から覚醒した。机に突っ伏して寝ていたせいか肩が痛い。どうやら勉強の途中で居眠りをしてしまったようだ。彼のノートには、考案中の和菓子のメニューが綴られている。
「やだ〜海斗ってば♡ 居眠りしちゃってかわいいっ♡ あんまり頑張っちゃだめなんだから♡」
そう言って、母親が海斗の机に自称抹茶フラペチーノを置いた。こんもりと盛り付けられたクリームは、食欲を減退させるような虹色。年頃の少女なら(飲むかどうかは別として)SNSに載せてはしゃぎそうな映えドリンクだ。
「……ありがと」
海斗は、母がニコニコと見守る中でその抹茶フラペチーノをストローですする。
歴史ある和菓子屋の娘でありながら、独特のセンスを持つ母親の仕事は、もっぱら店番。愛想もよく、若々しく美人なお母さんが居て羨ましいとよく客に言われる。けれど海斗にとっては『いつまでも子供っぽい』過保護な母親だ。
店の味に惚れ込んだ婿養子の父親と、母方の両親で経営している橘総本家に生まれた一人息子の橘海斗は、そんな母親のセンスを受け継ぐことなく、高校生ながらプロ顔負けの和菓子を作っている。店に並ぶ和菓子も、海斗が考案したものがいくつかあった。
将来の夢は、もちろん家の仕事を継ぐことだ。
「それ新作メニュー? 美味しそうっ♡ またお母さんに味見させてくれるでしょ?」
「採用するかはまだ未定だけど……」
「えー? 美味しそうなのに〜」
母親が甘えた声で海斗の肩にぎゅうぎゅうと体を押し付けてくる。これで無自覚なのだから始末が悪い。
「もう、ほんと気が散るってば……」
「はーいっ♡ それ飲んで頑張ってね♡」
母親は楽しそうに鼻歌を歌いながら部屋を出ていった。毎度のことだが、今日はいつになく上機嫌だ。海斗は大きなため息をついてやたら甘ったるい生クリームをストローでかき混ぜる。虹色のクリームが次第に形容しがたい色に変化していくが、この見た目で飲めなくはないのだ。美味いかどうかは別として。
母親が出ていった部屋の中では、静かにペンを走らせる音だけが響いていた。しかし、それもすぐ止まってしまう。海斗の脳裏には、夢に出てきた総長の顔が焼き付いて離れない。
「……」
総長と呼ばれる少年が暴走族として活動する時、本名は使わない。彼の所属するチームにはコードネームというものが存在する。
日本語で酔っ払いという意味を持つ、イヴローニュ。総長は、イヴというコードネームで恐れられていた。
最初は、ゲームかアニメの影響でおかしな夢を見ているのだとばかり思っていた。けれどそれは妙にリアルで、生き急ぐ少年たちの日常がドキュメンタリー映画のように続いているのだ。
「ただの夢なんかじゃ……なかったんだ」
下校時、怪しげな集団から自分を救ってくれた青い目の少年のことを思い出しながら、海斗が絞り出すような声で呟く。これは空想の出来事なんかじゃない。もちろん、まだ夢を見ているわけでもない。
これがアニメなら、夢で見ていた女の子が主人公の目の前に現れた衝撃の一話目。異世界から主人公である自分を守るためにやってきたとか、はたまた自分に何かを伝えるために夢に出てきたとか、これから波乱の日常が始まるのだと確信する。
海斗の場合それが美少女ではなく、たまたま暴走族の総長だっただけだ。




